Log-055【再会する駐屯兵】

 アウラを発って一日が過ぎていた。途中、宿場町で一泊して、早朝には馬車に乗り込み、馬を走らせていた。胃袋から鼻を抜けて伝わる、この世の苦味を凝縮したかのような酔い止め薬の臭いをグッと堪えながら。


「フゥ……何だか、こうやって一人になったのも、もう随分と久しぶりな気がする。駐屯地に赴任してから、ウルリカ達とは何年も会っていなかったのにな」


 アクセルはふと、そんな独り言を呟いた。命を試すような日々だった駐屯地での数年間が、まるで一瞬の出来事のように思えたからだ。


 彼が駐屯兵として着任して、初めて魔物と相対した時のこと。一目見て、死の恐怖が身体の芯を貫いた。その魔物は、彼が幼少の頃に襲われた瓢虞ヒョウグだった。鷹のような鋭い眼に射抜かれ、血の気の引く戦慄せんりつを覚えた。だが同時に、喜びをも感じていた。この戦いを生き抜くことができれば、過去の弱さと決別できる、と。そしてアクセルは、ジェラルド率いる駐屯兵団とともに、見事討伐してみせたのだ。


 それからというもの、彼はどれほど血を流そうとも、怯むことはなくなった。力量を試し、命を試す。それはかつて、ローエングリンに席を置いていた頃には得られなかった、死を間近に感じるほどに鋭さを増す自己練磨。命を切り売りすることでようやく感じ取れた、己の存在価値。


「今やもう、そう安々とは死ねないな」


 無意識に自らの命を投げ打っていた振る舞いを自覚させられ、ウルリカから価値を与えられた身となった今、アクセルはその価値の為に生きると彼女に誓った。そしてそれは、他者の為に生きる方が性に合うと彼に自覚させた。誰かの為に生きているから、生きたいと望むことができる、と。


「お客さん! そろそろ着きますぜ!」


 御者の声が響く。アクセルが車窓を覗くと、峡谷きょうこくに沿って設けられたアウラ第二国境駐屯地。右手には木造の詰所、その横には簡素な訓練場。左手には宿舎、そして中央には魔物を迎え撃つ為に広く設けられた広場。


 アクセルには馴染み深い、かつての光景が広がっていた。



―――



「アクセル! おい、アクセルじゃないか! お前、どうしたんだ。あのお嬢さんたちは? 勇者の功業とやらはどうしたんだ?」


 アクセルが詰所に入り面会の手続きを終えて暫くすると、ジェラルドが息を切らせながら現れた。矢継ぎ早に問うジェラルドの表情には、困惑と怪訝さが滲んでいた。


「団長、お久しぶりです」


 アクセルは丁寧に敬礼する。だが、ジェラルドの表情を見て、はっとして言葉を続けた。


「あ、いや、決して残念なお話をしに戻ったわけではないのです。話せば長くなるのですが、結論から言うと――パスク国境駐屯兵団のお力添えを頂きたく、こちらに参った次第なのです」


「な、なに? どういう……いや、お前も長旅だっただろう。立ち話も無粋だ。長らく使ってはいないが、客室を使わせてもらおう」


「団長。お気遣い感謝致します」


 ジェラルドは窓口の女性職員に一言告げ、アクセルを客室まで案内する。玄関から見て向かいに設けられた階段を昇り、二階の一室に入る。そこは、埃を被ったソファと机、質素な什器が置かれた、素朴な作りの客室。数年間在籍していたアクセルですら、使用したことはおろか入ったことすらもなかった。


「こんな部屋があったんですね」


「そもそもこんな辺境に来る物好きなどいなかったからな。ここ最近訪れた者など――ああ、ハプスブルク卿が率いる調査団が年に数回、ここを通っているか」


「え? ハプスブルク卿?」


 アクセルはジェラルドの言葉に引っかかった。自らが調査団を率いて、この地を訪れている? しかも関門を通過して、魔物が蔓延はびこるパスクの地に?


「……団長、ハプスブルク卿はなぜこちらに?」


「わからん、とにかく調査の一点張りだった。その上、門の先は危険だと説明して、我々駐屯兵を遣わせることも提案してきたが、尽く断られ続けてきた。確かにハプスブルク卿の調査団に抜擢された者は選りすぐりの精鋭で固めてはいたが、それでも危険なことに変わりはないのだが……どうした? 気になることでも?」


「いえ……ただ、一国の宰相自ら危険地帯に踏み入るなど、どうも不可解で」


「それは俺も同じだ。しかも頻繁に出入りしているときた。向こう側で、何か魔物に関する事でも見つかったのか……?」


 ジェラルドの当て推量は大きくは外れていないかもしれない、そう考えて黙り込むアクセル。だが、すぐにウルリカの言葉が頭をよぎる。今考えたところで答えは出ない。


 アクセルは一先ず、今回訪問した経緯を説明することにした。



―――



「わかっちゃいたけど、なかなか支援は得られないわね」


「ほとんどの者は、半信半疑ながらも怖気づくばかり、といった反応でした」


「致し方あるまい。突然訪れたローエングリンという社交界のはみ出し者が、唐突に不吉なことを話し始めるのだ。信用しろという方が難しかろう」


 三人は中心市街地を練り歩いていた。片っ端から貴族をあたっては説得する、というローラー作戦を講じるも、手応えはなかった。


 そもそも、レンブラントの言葉通り、ローエングリンは社交界でも浮いた存在だった。謹厳実直、公明正大を信条とする当家は、寵臣として王からの信頼はあるものの、それが貴族たちから疎ましがられる一因にもなっていた。その多くが既得権益で生計を立てている現状の貴族社会には、馴染みづらい性質だったのだ。それゆえに、親しい家柄の者は少ない。


「結局、旧知の仲を頼る以外に方法はなさそうね」


「となると、あそこか……」


 レンブラントは思い当たる節があったようだ。だが、表情は芳しくなかった。


「あそこは、少々癖があるからな……」


「分かってるわよ、それくらい。でも足踏みしてる場合じゃないでしょ」


「……そうだな」


 レンブラントは額に手を置きながら、重い足取りで踏み出す。それを、不思議そうな表情で見るルイーサ。いつもならば冷静かつ寛容に対処する主人が頭を抱えていることに驚いていたのだ。


「ウルリカ様……失礼ながら、旦那様がここまで憂鬱となる人物とは、何者なのですか?」


「そっか、ルイーサは当然知らないわよね。今まで実家に呼んだことなんてなかったから。まあ、行けば分かるわよ。言葉通り、ヤバいから」


 そう言って、なかなか歩みの進まないレンブラントを急かすように、ウルリカは先導を切って歩いて行く。ルイーサは少し困惑した表情をしつつも、ウルリカの後ろについていった。


 こうして、三人は中心地から少し外れた、閑静な住宅街へと向かった。



―――



「それは、本当なのか……」


 ジェラルドの声は重く、表情は沈鬱としていた。それもそのはず、彼ら駐屯兵団がこれまで魔物を堰き止め続けてきた血涙の努力が、一挙に水の泡と帰す事実を告げられたのだから。かつて命を落としてきた者たちに顔向けできない、という心境だった。アクセルもまた、ジェラルドの想いは痛いほど感じていた。だが、それでも前進しなければならない、と彼は痛切な覚悟を持って言葉を紡ぐ。


「団長。これは個人や一国だけの問題ではなく、世界が係った問題です。僕達が立ち止まるわけにはいきません」


「ああ……ああ、そうだな。俺が落ち込んだところで、良い方向に転ぶはずもないしな。ただ、この話はまだ、俺だけに留めておく」


「そうですね、不用意に吹聴ふいちょうしても、ただ皆を混乱させてしまうだけですし」


 ジェラルドは首肯する。彼は自分の両の手を見て、震えているのを認めた。己に対する皮肉を込めた笑みが零れる。


「ははっ……恐怖しているな。俺は昔から臆病者だったからな、話を聞いただけだってのに震えが来る」


 ジェラルドは自嘲な笑みを湛えたまま、アクセルを一瞥した。すると突如、ジェラルドは真剣な顔つきに変わる。ソファから飛び上がるように立ち上がり、床に積もった埃を巻き上げた。


「おい、お前……腕、どうしたんだ」


「あ……すみません。説明し忘れていました」


 ジェラルドはアクセルの片腕に手を伸ばし、驚愕した。


「腕が……腕が、無いじゃないか!! どうしたんだこれはっ!!」


 眼を血走らせて問いただすジェラルドに、アクセルはなんとかなだめようとする。


「だ、団長! 落ち着いて下さい! 問題ありません、これは解決できるんです!」


「な、なに……?」


「僕たちがこれから向かうセプテムの技術が、失った腕を代替してくれるのだそうです。自らの意思のままに動く義手が発明されたんだとか」


「それは……本当なのか」


「僕が腕を失った経緯や、その義手については、追ってお話しします。なので、まずはセプテムに向かう手筈を一刻も早く整えましょう」


「そうか……とりあえず、あとで詳しく聞かせてもらおう。全く、世話のやけるやつだよお前は」


 ジェラルドは頭を抱えて、一呼吸置く。アクセルも立ち上がり、二人は互いに頷いて意思を共有し、部屋を出た。

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