Log-028【包囲網の魔術-壱】

 ある日、男はウルリカから麻袋を授けられて、夜分遅くまで街中を巡っていた。


 袋には大量の——文字が刻印された石。男はウルリカから指定された箇所に、誰にも見られず隠すように設置していった。


 男には石に刻まれたその文字が、どんな内容なのかを理解できなかった。それは識字能力が低いことが理由だと思っていたが、文字の読める組員に聞いても、それが何なのか理解できなかったため、恐らくはウルリカの持つ、神秘的な力にまつわる文字なのだろうと推察した。


 それは、案の定だった。男が完了報告するために、ウルリカの根城とする集合住宅に戻った際に、その行為が何の意味を持っていたのかを目の当たりにする。


「姐さん……こりゃなんだ……」


 ウルリカは以前のように、机いっぱいに地図を広げていた。しかし以前と打って変わり、地図上に記された黒い斑点が道筋に沿ってウヨウヨと動いているではないか。


「何あんた、これ見て見当もつかないの? はぁ、相変わらずクソ鈍いわねぇ。毛色は違うけどあんた、どっかの阿呆に似てるわよ」


 溜息を吐きながら、ウルリカは地図上に描かれた斑点を指で差す。


「これはあんたが街中に配置した石が、人を探知して地図に反映してるのよ。要は追跡、これでおよそ誰がどこに居るのかを掴めるわ。更に突き詰めれば、どこに向かって何をしようとしているのかも、これで類推できるわね」


 男は目を点にして地図を眺める。確かに地図上に描かれた斑点の箇所は、組員が配置され、活動している場所だった。


 しかし、男にとって不思議だったのが、ウルリカは“人”と言った。もし本当に“人”全てを探知しているのであれば、地図上にはもっと膨大な斑点があるはずだった。


「……これだけしか居ないのか? 夜更けとはいえ、人通りの多い場所なら、もっとこの点が無数にあってもいいような気がするが……」


 男は何気なく問うた。するとウルリカは、僅かに口角を上げて反応する。男は驚いた、普段一切の感情を表に出さない彼女が、初めてその男の前で笑ったからだ。


「いい質問ね、その通りよ。実際、技術的には無選別に人間を探知することだって可能だわ。だけど、それじゃ人混みの中から特定の人物を探し当てるのは困難でしょ? だからクレストレートの組員には前もって選別しといたの。あんたも持ってるでしょ? 組員証って名目で信書を通して各位に送った、イニシャルと通し番号入りの安っぽい石ころ」


 男はズボンの衣嚢いのうから、ウルリカの言う石ころを取り出す。六立方メートル程の直方体で、綺麗に磨き上げられた灰色の石だった。これは元々、組織が大型化してきた為に、組員の管理を容易するという目的のため。そして、密偵や裏切り者といった組織に害を為す者を炙り出すため、という目的で発明された制度、という建前で配られていた。


「もしかして、この石はこの地図のために配っていたのか……?」


「当たり前でしょ、私が単にこんな石ころで組織管理するとでも思った? そんな原始的制度は石器時代に時間旅行してからほざいて頂戴。とはいえ、今はまだクレストレートの連中にしか適用されない遠隔透視図でしかないわ。しかも精度的に地図の半径四、五メートルが今のところ限界ね。ま、急ごしらえで詰め込んだ術式だから、所詮この程度よね」


 そう言って、ウルリカは鞄の中から小さな麻袋を取り出す。その中から指先ほどの小さな球体を一つ取り出した。表面はザラザラとして粗く、朱色を湛えた物体だった。


「それは?」


「まあ見てなさい。これを例えば、そこの壁に付着させると——」


 ウルリカはその球体を指で弾き、室内の薄汚れた壁面にぶつける。するとその球体は、ぶつかった瞬間に弾け飛んだ。中から粘稠ねんちゅう性のある透明な液体が溢れてきて、その壁に付着する。


「あの液体はシルベホタルって虫の粘液ね。付着部分にしつこく残って、魔力を流すと青白く光る液体よ。元来は天敵に付着して命懸けで仲間に警告したり、求愛の印だったり……って、んなことどうでもいいわね、話を戻すわ。この液体の特性をもう一つのシグナル発信源として用いて、対象を見極めるの。ほら見て、地図に黒い斑点の他、赤い斑点が現れたでしょ? これで敵性対象の動向を見分けるってわけ」


 男が地図を見ると、確かに今いるこの部屋に位置する箇所に赤い斑点が現れた。


「俗に、捕捉粘弾スティッキーキャプチャーなんて言われてるわ。こいつを、例えば原始的なのだと、スリングショットや弓……まあ今どき飛び道具って言えば当然銃になるんでしょうけど。要するにこの球を放って相手に当てればいいの。別に、特別な機構なんて必要ないわ。最悪、今みたいに投げれば良いわけだしね。そうね……わざわざこんな面倒なことをするのは、簡単な話よ。殺傷や尋問なんかより、長い目で見ればあたしたちの大きな利益になるからよ」


 男は深く頷いた。敵を下手に殺害したり、尋問の為に敵組員を拉致したりすれば、必ず報復が来る。全面抗争ともなれば、多かれ少なかれ互いに死傷者が出るのは、火を見るより明らかだ。そして、それが長引けば、兵站で劣るクレストレートの敗北は必至。


 そのため、現在のように先に手を出した方が不義という冷戦中には、相手を如何に筒抜けにしてしまうかが鍵だった。


「相手の手段を限りなく削ぎ落とし、どれだけ相手より優位に立つか。まあ個人対個人でもそうだけど、組織戦ともなれば当然念頭に置かなきゃいけない意識ね」

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