怪奇探偵・朧木
ペテン師のMark
第一部 妖怪の王編
第一章 怪異の街・霞町
第1話 朧木探偵事務所
ちんちん電車が高層ビルの合間を縫うように駆けてゆく。それは蜃気楼のような町だった。
その町の中に古めかしいビルが一棟立っていた。建物内にあるのは『朧木探偵事務所』唯一つ。探偵事務所のオフィス一階の応接室にて暇そうにしているのは探偵助手の丼副さくらだった。
さくらはつい一ヶ月ほど前に朧木探偵事務所に雇われた身だった。そんな彼女は割烹着を着て部屋の掃除をしている。
さくらは接客用の大理石のテーブルを拭いて磨いていた。
「相変わらず閑古鳥の鳴き声が聴こえてきそうだねぇ」
と、急に何者かの声がする。部屋に響いた声はさくらのものではなかった。
「猫まん、またお客さんの座るところを毛だらけにして!」
さくらが怒りながら客用のソファーを見ると、そこには一匹のぶち猫がいた。猫の名前は猫まんじゅう。略して猫まんと呼ばれている。その猫が口を開いた。
「猫がソファーに寝転んでいただけじゃないか」
猫が人語をしゃべりだす。この猫の尾は二本あった。
「だからソファーが毛だらけになったんでしょうが!」
猫が手で口を覆った。
「おやおや、わたくしとしたことが。時折自分が猫だったことを忘れるんだよ」
「さっきは猫がソファーにどうのこうのと言っていなかった?」
「さて、猫の額と言うほどに小さい頭。物事を覚えておくには困難で困難で」
「こんなんですまないねぇ」と、猫が口を開いて「くっくっくっ」と哂っていた。
「あ、さてはお前、わざとか!」
猫まんはさくらの声をまるで聞こえていないと言わんばかりの態度を取りながら、ソファーからぴょんと降りた。猫まんは恨めしそうにくるりとさくらを振り返る。
「やれやれ、お前さんが来てからというもの、わたくしはほんと落ち着かなくて困る」
「所長には猫を飼っていると言われたけれど、化け猫がいるだなんて聞いて無かったよーだ」
「化け猫とは失礼な。わたくしの尾を見なさい。れっきとした由緒正しい猫又なのだから」
猫まんは二足歩行ですっくと立ち、自分の二本の尻尾を誇らしげにさくらへと見せた。
「ほおかむりをして行灯の油をぺろーりぺろーりしていたと言う?」
「・・・ほおかむりはしていたかもしれないが、行灯の油は普通の猫も舐めていたよ」
江戸時代の行灯の油には魚の油が用いられていた。故に猫が行灯の油を舐めていたという話が今も残っている。魚の油を舐める猫の陰が行灯の光で照らし出されるのだ。今以上に明かりの乏しかった江戸時代。確かにある種はホラーなのかもしれない。
「つまり今も昔も、人の掃除の手間を増やしかねないのが居たというわけね」
「さてさて、そこは普通の飼い猫でも変わらん事ですからねぇ。猫に罪なし」
「人権ならぬ猫権の主張でもするつもり?」
「我々にも仕方のない習性などがあると言うもの。抜け毛の季節に猫の抜け毛くらいは大目に見てもらわねば」
「猫まんは人の言葉がわかるんだから、わざわざ私の仕事を増やすような事をしなくてもいいじゃない」
「助手殿に閑古鳥の相手をさせずとも、わたくしが日々細々としたやりがいのあるお仕事を提示できるのだから、はからずながら協力させてもらってますよ」
「重ねて聞くが、お前、わざとか!」
猫まんはぴょいこらと外へと駆け出して逃げていった。
「あんの
猫まんはわざと掃除する手間を増やしたわけではなかった。だが、邪魔者扱いされて気に喰わなかったので、わざとやった風を装ったのだ。難儀な性格の猫だった。
さくらが腰に手を当て独り言を言う。
「やれやれ、掃除する手間が増えたからって、この探偵事務所が繁盛するわけじゃないのに」
そういうとさくらはため息をついた。
朧木探偵事務所は表向きは興信所としての仕事を請け負っている。それである為、普段からまったく客がいないわけではなかった。
と、事務所の出入り口のドアベルがちりんちりんと鳴った。がちゃりと入り口のドアを開けて誰かが入ってきたのだ。さくらは慌てて笑顔を作る。
「いらっしゃいませー!」
さくらが来客を迎えようとする。が、その表情はいつもの表情に戻った。
「やぁ、丼副君。部屋の掃除に精が出るね。隅々のほうまで掃除してもらえて、僕としては大助かりさ」
と声をかけてやってきたのは茶色いフォーマルベストを着た長身の男。さくらの雇い主。朧木探偵事務所、四代目所長の朧木良介だった。
さくらが胸を張っていった。
「一応お仕事ですから掃除しておきました。・・・古くて立派な建物ですし、お手入れしないと廃墟と間違われそうですから」
「あぁ、僕一人ではそこまで手がまわらなくって難儀していたよ。君のおかげで大助かりだよ。ありがとう」
「私としては忙しいのは大歓迎なんですがぁ」
「あぁ、本業のほうは今日も来客は無しかい?」
「本日ようやく来客予定が1名! かれこれこの一週間は来客0だったんですから、このままで大丈夫なんでしょうか?」
「僕らが必要ないというのは、それだけ世の中平和って事だからねぇ」
「掃除のついでに、本日来客予定の神主が居るお隣の神社で世の平穏も祈ってきたのが良かったんですかね」
「それじゃあ僕らはおまんまの食い上げになっちゃうから、ちょいと神社で世の不平穏でも祈ってこようか」
「それ、祈るんじゃなく呪うって言いません?」
「そんな願いをされては神様も迷惑だろうかね」
「迷惑だろうし、叶えられたらたまりません!」
「猫まんは平穏な生活とはいかないみたいだったけどねぇ。さっき事務所から駆け出していくところを見かけたよ。ただの猫ならいざ知らず、妖怪には人権があるから気をつけようね」
巷にはその存在は認知されど、あまり公にはならない存在が多数いた。あやかしなどはそのもっとも身近な例だった。
「えー、所長。猫まんが悪いんですよぉ」
「猫まんのやつは僕のおじいさんの時代から既に飼い猫だった猫だから、少しは労わってやらないとねぇ」
「えー、あれお年寄りだったんですか?」
「お年寄りもお年寄り。長生きした猫が変化した妖怪なんだから」
さくらは所長の言葉に納得した。よくよく考えると、猫まんの顔のひげなどはすごく長く垂れ下がっていた。どこかしら老猫らしい風格はあった。
朧木はいつもの様子で所長椅子のほうへと歩いて行った。その手には新聞を持っている。
と、朧木が所長椅子に座り新聞を開く。
「さて、事件が来ないならば探そうか。今日はニュースで何か変わったことでもあった?」
「所長が探すような事件は基本的に刑事介入済みですから・・・出番は殆ど無いんじゃあないかと。巷では政治ニュースが頻繁ですけど。最近もアメリカの話が結構多いですよ」
「あぁ、国際政治はいつも動きが大きいからねぇ。特に向こうの出来事が必ずしもこちらに無関係かと言うと、決してそうではない。さて、新聞でも見て世の中の流れでも考えるか」
そういうと朧木は新聞をぴらりとめくり、ばっと広げた。
「所長はいつも何かについてを考察しているんですか?」
さくらは普段、所長椅子に座ってぼーっとしている朧木の姿を思い描きながらそう尋ねた。
「僕かい? 頭の体操は好きだねぇ。いつだって観察眼を磨き、推理力を高めるトレーニングをするのが大好きさ。本当はミステリー小説の探偵のようにもっと派手に活躍したいんだけどねぇ。世の中平和でよい事だ」
と、朧木は言いながら新聞をめくった。
「ミステリー小説のように色々なトリックが張り巡らされた事件に遭遇していたら大変ですよ」
「言えてるねぇ。まぁ僕は安楽椅子探偵が良いんだけどね。椅子に座ったまま全てを解決! 現場まで赴く調査費用がかからなくて、経営的にも大歓迎だ」
と、神妙な表情で朧木が述べた。
「経営上の利点でなりたいだけですか!」
「いかにも! 事件現場へ赴く旅費だけでもバカにならないだろう。経費扱いで別請求できるわけでもなければ、僕は安楽椅子から全てを解決したいよ」
朧木探偵事務所では、いつもは事件解決のための必要経費として請求していた。だが、固定金額の報酬の場合はその限りではない。必ずしも湯水の如くお金を使える案件ばかりが舞い込んでくるとは限らなかった。
朧木がさらに新聞を読み漁りながら語りだす。
「世の中、僕らが思うほど平穏と言うわけでもなさそうだよねぇ」
世のニュースから事件が途絶えたためしなし。
「うちのお仕事に繋がらないだけですから」
都内の一角にオフィスビルはあった。駅からのアクセスもそこそこによく、客が来ないのは立地が悪いと言うわけでもなさそうだ。原因がかんたんに改善できれば、世の経営者は誰も困らないであろうが。
「まぁ、ニュースの一面に載っているような事件に関わっていたら、今頃こんなに悠長におしゃべりなんてしていられないさ」
と、朧木はそんな風に言いながら軽く笑って見せた。
その時、猫ドアを開けて猫まんがオフィス内に入ってきた。
「おや、おかえり。猫まん。そうだ。私、掃除していたの忘れてた」
そういいながらさくらは掃除の続きを始めた。
猫まんは悠々と毛づくろいしながら朧木に尋ねる。
「やぁ良介。飯はまだかいね」
「まぁ、なんてお年寄りな台詞みたい!」
「丼副君、さきほどこいつはお年寄りだと教えたばかりじゃないか」
「おやおや、化け猫の次は老猫扱いか。まったく、もうすこし地位が向上しても良いんじゃないかねぇ」
「猫まんは猫まんでしょ。そもそも、自分でネコ缶を開けて食べているような猫を、普通の猫扱いできるもんですかってんだ!」
「まったく、こっそりネコ缶を食べていたのがこの子に見つかったのが運の尽きだよ」
それまで猫まんはさくらの前では普通の飼い猫のふりをしていた。猫まんは腹をすかせたあまり、キッチンの床でネコ缶を開けようとして缶切りを握り、熱心になりすぎていたところをさくらに見つかった。
あぐらをした猫が缶詰を持って開けようとしていた。そんな光景を見かけたさくらは始めこそ驚いていた。今でこそ互いにからかい、からかわれの間柄となっているが。
「老いた猫は賢いと聞くけれど、限度があります!」
「老いたも老いたり。おいたがすぎたかねぇ」
と、猫まんは口に手を当て「くっくっくっ」と哂った。
「出たー。老猫ギャグ」
猫まんとさくらのいつものやり取りだった。彼女と猫一匹が揃ったら朧木探偵事務所はだいぶ騒がしくなった。
「おや、わたくし何か言いましたかねぇ・・・」
「あー、なんでこんな化け猫なんだろう。もう少しニャンコ先生みたいな可愛らしい感じにならないのかしら」
「おやおや、いなかっぺ大将のあのトラ猫ですか」
「えっ、トラ猫・・・?」
さくらが首をかしげた。どうやら猫まんとさくらはそれぞれ同名で違うものを指していた。朧木はなにかピーンと来たようだ。
「丼副君。猫まんが友人帳に名を書いてくれるような猫に見えるかね?」
「ぜんぜん思わないです!」
「僕もね、せめてあれくらいはアシストしてくれる先生役をやってもらえたら嬉しいんだよ。だが、いかんせん先祖代々からのただの飼い猫だからねぇ」
「はいはい。わたくし、猫又以前にここの愛玩動物ですからねぇ」
猫まんが目を細めて喉をゴロゴロ鳴らし始めた。
「何でそこで機嫌が良くなるのよ?」
「昔の朧木家の者に可愛がられていた時のことを思い出しました。少なくとも今ほどこき使われてはいなかったので幸せでしたよ」
猫まんは子猫の時に、かつての朧木家当主におむすびを握るような真似事をされて、手のひらで丸められながら猫まんじゅうと名づけられた。その頃はただの猫だった、はずだ。
「はいはい、未熟者でごめんね。僕はまだ若輩者ゆえ、猫まんのサポートが欲しいわけだ。妖怪、猫又としての知見がね」
朧木は度々猫まんに助言を求めていた。そのため旅先まで連れて行くことも多い。
猫まんは仕事とあらば歴代の朧木所長と共に行動していた。彼らとの経験は猫まんの知識となって、今も朧木良介に活かされている。
猫まんが朧木の話を聞いてしみじみと語りだした。
「情報が密接にやり取りされるようになったこの時代じゃあ、妖怪達もそうおいそれと動きやしないさ。今じゃあ噂話と言うものも、不確かな情報では広まりにくいくらいだからねぇ」
ネットが無い時代には人面犬や口裂け女と言った現代の妖怪のごときモノも、情報があっという間に広がる今となっては生まれにくい土壌となった。
「だが、猫又がいるように、妖怪はいなくなった訳ではない。余計に見つかりにくいように動くようになっただけだ」
「この化か猫は缶詰を開けようとして私に見つかったんだけどね」
「丼副君。君に内緒にしておくつもりは無かったんだよ。実際に猫を飼っている事には変わらないだろう」
「・・・えー、変わりますぅ!」
「わたくしとしては、ただの猫扱いだったほうが気は楽だったねぇ・・・」
と、猫まんはため息をついた。
「それはそれとしてだな。先ほどの話に戻るが、確かご飯はあげただろう」
朧木の言葉を受けて、猫まんはぺろりぺろりと毛づくろいを始めた。
「あ、猫の振りをしてごまかした!」
猫まんはぴょいこらと駆け出して、また外へと出て行った。
「んー、猫まんのあれは計算なのか、それとも本当にボケでやっているのか、わかりかねるな。なにせ僕のおじいちゃんの代から生きているもんな。いったい歳はいくつなんだか」
「所長も知らないんですか?」
「知らないとも。僕が生まれてくる前から居たんだから。その頃には既に猫又だったなぁ」
「うーん、色々なボケをやる猫だから、私からはなんとも言えないなぁ」
さくらは猫まんのボケ方が芸風ではなく歳によるものだと疑っていた。
「あー、あの性格。僕のおじいちゃんに似ちゃったんだろうな。昔の記憶にある姿と似ているところがあるよ」
「飼い主と似るのは犬だって聞きましたけれど?」
「猫でもいるんじゃないの? 飼い主に似ちゃう猫って」
と、その時、チリンチリンとドアの呼びベルが鳴った。
来訪者の知らせに室内が静まりかえるのだった。
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