19話「緑色」
19話「緑色」
翠という名前からか、それとも祖母が「エメラルドちゃん」や「エメルちゃん」と呼ぶからなのか。翠は、緑色が好きだった。
洋服や小物などを選ぶときに、自然と緑色を選んでしまうのだ。母親も祖母がそうだったのを真似ているだけなのかとも思った。けれど、大好きな人が自分のために選んだ色だから、好きになったと思うようになり、ますます緑色が好きになった。
それを、色もわかっていてくれたのか、誕生日プレゼントも緑色の浴衣を選んでくれた。偶然なのかもしれないけれど、翠はそれが偶然であっても幸せで嬉しかった。
浴衣を眺めていた翠を、自分の子どもを微笑ましく見る親のように、笑いながら頭を撫でてくれた。
「この浴衣、早く着たいです……!」
「あぁ、外で待ってるから早く着替えてこい。」
そう言うと、色はすぐに部屋から出ていってしまいそうになる。
それを見て、翠は焦って追いかけて、色の浴衣を軽く引っ張って、それを止めた。
「あ、あの!冷泉様………っ!」
「なんだ?」
「実は、その………。」
「……どうした?何かあるのか?」
言いにくそうにしながら、モゾモゾとして恥ずかしそうに色を見上げた。
「私、浴衣の着付け出来ないんです。」
「……………。はぁー。」
「すみません!!」
呆れ顔を見せて、翠を見つめている。
申し訳ない気持ちで、翠は身が小さくなる思いだった。
浴衣を着たのは、本当に幼い頃だけで、その時は母が着せてくれた。一人になってからは、浴衣を買う事も着る事もなかったのだ。
「冷泉様……せっかく買ってくれたのに………。」
「……脱げ。」
「……え?」
「俺が着付けてやる。だから、服を脱げ。」
「え、えぇ!!……そんなの無理ですー!」
色の突拍子もない言葉に、翠は後退りしながら、悲鳴のような声を上げてしまう。
好きな人の前で脱ぐというのは、あまりにも恥ずかしい事で、翠は激しく拒絶するしかなかった。
(明るいし、いろんなところ見られそうだし、冷泉様かっこいいから、そんな人に見られたら恥ずかしすぎる……。)
そんなことを考え、すでに頭の中は羞恥心でパンク寸前だった。色の前で、服を脱ぐなど考えられない行為だ。翠は、真っ赤な顔で彼を睨むように見つめた。
「それだと、この浴衣着れないだろ?」
「練習してから着れるようになります!」
「出掛けるつもりで、俺も浴衣着てきたんたぞ!」
「………浴衣で………お揃いですか!?」
「おそっ…………まぁ、そうなるな………。」
自分で浴衣を着てきたのに、何故か恥ずかしそうにする色を見ながら、翠は「お揃い」という言葉に惹かれていた。
頭の中で、色と一緒に浴衣を着て歩く姿を想像するだけで、幸せで顔がニヤけてしまう。
外を出歩いた事はないし、色が一緒に出るのは嫌がっているのかとも思っていたので、その誘いは翠にとって特別なものだった。
しかし、そのためには着付けしてもらわなくてはいけないのだ。魅惑の誘いを受けながらも、悩んでしまう。
すると、色は翠にプレゼントした袋から1つのものを取り出して、翠に手渡した。
「長襦袢だけ自分で着ろ。それなら俺の前で裸にならなくてすむだろ。」
「長襦袢………?」
「それも知らないのか。浴衣の下着がこれだ。上の下着脱いで直接これを着るんだ。着方は簡単だし、ここに書いてある。玄関にいるから、さっさと着替えて呼べよ。」
翠が何か質問する暇もなく、色は部屋から出ていってしまう。
翠は戸惑いながらも、受け取った長襦袢を開けてみる。優しい触り心地で、透けない生地で出来ていたたので、ホッとする。
それでも、ドア1枚を隔てた先に彼がいると思うと、裸になるのに躊躇してしまう。
だが、翠は少し考えてだけで、すぐに服を脱いだ。夏の暑い熱を直接感じ、部屋に他の人がいるのに裸になっているのだと不思議な気持ちになる。
下着を取った後はすぐに長襦袢を羽織った。そして、写真を見ながら、なんとか着替え終わり、部屋にある姿見鏡を見て確認をした。
いつもと違う和装に違和感を感じてしまう。外国の血が入っている自分には、和装はやはり似合わないと翠は思った。色はあんなにも和装が似合うのに、と、隣で歩く事を今更申し訳なくなってしまう。
「やっぱり似合わないなー。」
そう呟き、ため息を落とした。長襦袢を脱いでしまおうかと迷っていると、「遅い!入るからな。」と、色の声が聞こえ言い終わってすぐに、彼が部屋に入ってきた。
「冷泉様っ!!」
「なんだ、終わってるんだな。さっさと呼べ。」
「すみません……あの、私、変じゃないですか?和装似合わなくって……。」
申し訳なさそうに翠が言うと、色は真顔のままで「下着姿なんだぞ、それ。」と言って、置いてある緑色の浴衣を手に取って、緑に肩にフワッとかけた。
「俺が見立てたんだから、似合わないはずないだろ。」
「…………ずるいです。」
「?………何か言ったか?」
「いえ…….。」
彼の行動や言葉は、時々とてもずるいなと感じてしまう。恋人でもないのに、優しかったり、褒めてくれたり、勘違いをしてしまうのだ。それなのに、彼と一緒に過ごしていくことを拒まれてしまう。
(どうして、優しくするんですか?)
何回、この言葉を翠は思っただろうか。
そんなことを考えているうちに、色は次々に道具を出して準備を始めていた。
綺麗な緑色の浴衣に袖を通していく。肌着を見られているという恥ずかしさを忘れて、翠は色に見とれていた。
彼の表情は真剣そのものだった。そして、とても丁寧だけど、手早く浴衣を整え、紐で縛っていく。時々「キツくないか?」と、翠の顔を見て気遣ってくれるのも忘れない。彼にとって着付けは手慣れたものであるかもしれない。だけれど、その丁寧さと真剣はを見ると「着物がお好きなんだな。」という感想が翠に出てきた。
とてもキリッとした表情の中にも、楽しんでいるところもあるように思えて、そんな生き生きとした彼を見下ろすように近くで見られただけで、翠は恥ずかしい格好になってよかったのかな、とさえ思えてきたのだ。
帯を締める時は、思いきり力を入れられてビックリしながらも、少しずつ自分が浴衣姿に近づいてくるのを見て、翠は気持ちが晴れやかになっていた。
宝石の付いた帯紐をつけると「いいぞ。」と言って、翠を鏡の前に立たせた。
そこには、見たこともない姿の自分がいた。翠自身、絶対に似合わないと思っていた浴衣姿が、しっくりきており、そしていつもより顔が明るく見えるのだ。自分でも「この浴衣が1番似合っている。」と思えるのだ。
翠はその姿をもっと見たくて、後ろ姿も鏡で見ようとした。だが、色に「動くなっ。」と言われて、慌てて動きを止めた。
まだ何かあるのかと待っていると、ふわりと髪が上に持ち上げられ、首に色の体温を感じた。
鏡越しに見ると、色が髪をまとめはじめているのだ。
「もしかして、冷泉様はヘアメイクも出来るんてすか?」
「……まぁ、簡単なものならな。簪を使うのなら出来る。」
色の手さばきを見ているうちに、あっという間にアップヘアになる。簪には、翠と碧のとんぼ玉が揺れていた。
「すごい!すごいです!自分じゃないみたいです。」
「………それはよかった。」
「冷泉様、ありがとうございます!」
「似合ってる。綺麗に着こなしてるな。」
全身を眺めながら、嬉しそうに微笑む色に、翠はドキリと胸がなり、苦しくなる。
その優しい微笑みは、翠が大好きな色の表情だった。
「あ、あの!お出かけしてもいいんですよね?」
「そのために用意したんだ。」
「嬉しいです!冷泉様、早く行きましょう。」
照れ隠しと流行る気持ちで、色を急かしてしまう。そして、つい色の手を握って引っ張ってしまい、すぐに「あ!」と気づいて、翠は手を離した。一瞬感じた彼の熱が、すぐになくなってしまい翠は寂しさを感じてしまっていた。
「す、すみません!つい、楽しみで………。」
そう言って、逃げるように巾着に荷物を入れて玄関に向かった。
下駄を履いて外に出る。すると、辺りはすっかり暗くなっていた。
「冷泉様。どちらにいくのですか?」
「歩いて移動するぞ。来い。」
先ほどなくなってしまった、色の体温がまた手に戻ってきた。手を握って、翠を引っ張っていく色の背中に、翠は泣きそうなぐらい嬉しくなり、いつまでも、彼の後ろ姿を見つめ続けた。
この時の浴衣姿の彼を、絶対に忘れたくなかった。
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