5話「悲しい笑顔」
5話「悲しい笑顔」
「送っていただき、ありがとうございました。冷泉様。」
家庭教師と夕食が終わった後、色は翠を自宅へと送った。大企業の社長なので、自分で車を運転することはないのかと思ったが、そうでもないらしい。
色は、「一人になる方が気楽だ。」と言っていた。それなのに、翠を送ってくれるのは、彼の優しさなのだろうと、翠は心の中で何度も感謝した。
「俺が帰るついでた。それに、そんな荷物大変だろ。……ここか?」
「はい!えっと、小さい部屋なんですけど……。」
到着したアパートの前に高級車が停まる。お世辞にも素敵な家とは言えない、少し古びた3階建のマンションだった。社長である彼とは、世界が違いすぎて、少し気まずくなってしまう。どんなに高級なものを食べて、社長に家庭教師をしても、自分は変わるものじゃないのだ。
社会的地位など気にしたことがなかったはずなのに、彼の前だと何故か、気になってしまう。
「おまえが自分の金で借りてる部屋なんだろ。いいんじゃないか。仕事、頑張ってるんだろ。」
「…冷泉様。」
思いがけない言葉に、翠は胸が締め付けられた。その感覚に戸惑いながらも、彼から仕事を認められている事が嬉しくて仕方がなかった。
「はい!ありがとうございます。」
「わかったから、早く降りろ。他の車の邪魔になる。」
あまり車通りのない通りだが、色の様子を見て、照れているのかなと思い、翠は隠れてくすりと微笑んだ。
「あ、そうでした!これ、本とノートです。ペンはおまけです。」
「なんだ、これ。」
「それは、冷泉様にあげる物です。本はもともと差し上げるつもりで買ったものですし。私のは家にあるので!ノートとペンも毎回持ってきてくださいね。もちろん、復習も忘れないでください。」
「さっそく先生気取りだな。」
「先生ですよ?」
「わかった。……もらっておく。」
渋々ながら色が受け取ったので、翠はお礼を言って、車を降りた。
小さく手を振っていると、色はそれを見て微かに笑った気がしたが、それを確認する前に車は遠くへと去ってしまった。
次の日。
「冷泉様、覚えるの早いですね!」
「まぁ、これぐらいならな。言葉覚えるのは昔から好きなんだ。」
「そうなんですね。ちなみに、何語がしゃべれるんですか?」
「英語、韓国語、中国語ぐらいだな。仕事で必要だから覚えた。」
「すごい、、、。」
その日の授業が終わる10分ぐらい前に、そんな話しをしていた。読み方や挨拶を昨日教えたばかりなのに、1度覚えたことは忘れないのか、すらすらと口がギリシャ語が出てくるのだ。
しかも、発音にも違和感がない。それに関心しながらも、沢山の言葉をしゃべれると聞いて納得してしまった。
「すみません!話しが脱線してしまいました。では、次回はギリシャの地図を見ながら地名などを練習しようと思います。あとは、お料理なども。」
「あぁ。……そうだ。それで、思い出した。」
そういうと、テーブルの脇にあったバックから、袋に入った何かを取り出した。
「これ、おまえにだ。」
「え、なんでですか?……私、何もしてませんよ?」
「昨日の本とかノートとかの代わりだ。どうせ金払っても受け取らないだろ。」
「…お金は確かに受け取らないですが。でも、あれは授業に必要だから買っただけなんですよ。」
「いらないなら捨てるぞ。」
「それはだめです!」
そういって紙袋に入ったものをゆっくりと受け取る。まさか、そんな事まで気にしてくれると思ってなかったため、驚きつつ「ありがとうございます。」とお礼を言った。
こうやって、細かな気配りが出きるから、あんなにも大きな会社の社長になっているのだろうか、と、紙袋を見つめながら考えてしまう。
彼と会うたびに、どんどんと印象が変わっていく。なんて、かっこいいんだろう………と、思っていた瞬間、翠はその考えを忘れようとした。
(冷泉様はお仕事の相手。そんな風に思うわけがないわ!何を思ってしまったんだろう。)
と、心の中で葛藤していると、色が怪訝そうに翠を見つめていた。
「あ、あの!開けてみてもいいですか?中身が気になって…。」
そういうと、素っ気なく「ああ。」と返事を貰ったので、ほっと安心しながら中身を開ける。
「わぁ!!これって、ギリシャの写真集ですか?すごい、綺麗………!」
色がくれた物は、色鮮やかな写真集だった。「大自然とギリシャ」と書かれており、自然との建物や街並み、人々の暮らしなど、沢山の写真が載っていた。
「アクロポリスは有名どころですよね。サントリーニの青と白の島は行ってみたいですよね!わぁーこっちも綺麗。どこだろう、、、。」
ページを捲る事に綺麗な場所や、知らない所、神秘的な雰囲気の島など、翠を夢中にさせるものばかりだった。熱心に見ていると、隣から「くくっ」と小さく笑う声が聞こえ、翠ははっとした。
「すみません!今は仕事中ですよね。なのに、1人で夢中になってしまって。」
「いやいい。気に入ったか?」
「はい!ありがとうございます、冷泉様。とっても嬉しいです。」
翠は大切に写真集を胸に抱き締めながら笑いかけると、色は少し驚きながらもつられるように優しく微笑んだ。
それが、とても幸せそうで、それでいて悲しげで。翠は、嬉しいのに切ない気分になった。
自分はどうして彼にそんな悲しい顔をさせてしまうのか。考えてもわからないのだ。
「おまえは、本当にころころと表情が変わるな。子どもみたいで、見ていて面白い。」
「そ、それは、冷泉様もですよ?」
「…俺が?」
何故そんな事を言ってしまったのか。
翠は自分でもよくわからなかったが、彼に伝えたい。そう直感的に思ったのだ。
翠はギリシャの写真集をぎゅっと握りしめて、言葉を続けた。
「あの、初めは爽やかに笑う人だなって思ったり、でも俺様で怖いなって思ってたんですけど。こうやって、家庭教師をしてもらって、優しく笑うなーとか、怒るとやっぱり怖いけど、時々悲しそうだったり。冷泉様も、たくさん表情か変わってますよ。だから、一緒ですよ。」
何が言いたいのか、言いたかったのか、わからない。でも、色が悲しそうな顔をしている事を伝えたかった。私もころころと気持ちが変わるから、一緒だと。だから、彼の気持ちが知りたい。
きっと、そういう事だと話してみてわかった。
まだ会ったばかりの色が自分に話してくれるような事ではないのは翠も理解していた。けれど、私の気持ちもわかって欲しかったのかもしれない。自分勝手かな、と翠は反省しつつ、おどおどと色を見つめた。
すると、彼は無表情のままゆっくりと翠に向かって手を伸ばし、そのまま肩を掴まれたかと思った瞬間、気づいたら彼の胸の中にいた。
「冷泉様………?」
彼の着物の感触と、お香のような優しい香りが翠を包む。
ドキドキしながら、それを嫌がっていない自分がいる事に気づいた。
(イヤじゃない。むしろ、嬉しいの…私?)
体温が伝わり、更に彼を感じてしまう。
「おまえは、本当に…。」
その続きの言葉は、いつになっても聞こえてこなかった。色に抱き締められたまま、仲居さんに声を掛けられるまで、それは続いたのだった。
その時間は、翠にとってとても幸せな時間になっていた。
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