8月26日-10-
「お前・・待てやぁ!!」
走ってくる足音。
振り向くや否や、僕は真壁に思いっきり顔面を殴られた。
そのまま無様にも倒れた。
い、痛い・・・
「われぇ!!何抜かしよんじゃぁ!?」
真壁が叫んだ。
完全にキレている。
倒れた僕をお構い無しに、真壁は僕の胸ぐらを掴んだ。
眉間にシワを寄せて凄い形相で僕を睨んでいる。
ヤバい。どうしたら・・・
そんな考えが頭を過ったが、赤井さんと鶴里さんが真壁の両腕を取り押さえた。
とりあえずは助かったが・・・
僕はそのままぺたんと尻餅をついた。
両腕を押さえられても、ぐいぐいと前へ出ようとする真壁。
反射的に僕は丸くなった。
頭を両腕で覆い、亀のように丸くなった。
「お、怯えているだろ・・止めないか!!」
「うるせぇ!ぶっ殺しってやるわ!!」
家中に響き渡る真壁の怒鳴り声。
「ご、ごご・・ごめんなさいぃ!!」
僕は弱々しくも謝った。
ここまでキレると思わなかった。
いつぞやのアル中のおっさんに殴られていた眼鏡の少年と同じように僕も丸くなっていた。
無意識とはいえ情けない姿を晒している。
「と、とにかく一旦落ち着くんだ!!」
離すなよ?離すなよ?
こいつ・・まだ飛びかかってきそうだ。
「どういう意味じゃ?あぁ?」
これは恐らく僕に言っている。
僕が最後に言った捨て台詞の事だろう。
「あっ・・そっ、その・・・えっ・・と」
怖くて、緊張して、殴られた痛みで、上手く言葉に出来ない。
駄目だ。何でこんな事になった?
僕が警官を捜そうなどと口走ったから?
悠里が瑠菜と僕を会わせたりしたから?
そうじゃない・・・ー
悠里と芹香があの日、僕の家に転がり込んできたからだ。
あいつらが悪い。
僕は一人で良かった・・・一人が良かったのに。
あいつらに関わったのがそもそもの間違いなんだ。
無理やりにでも、一人でいるべきだった。
嫌われても良い。そんな事には慣れていたはずだ。
「はよ答えやぁ!?」
真壁の怒鳴り声に身体がびくっと反応する。
何かを言わなくては・・・
何を言ったら許される?
「静かにしないか真壁君!!」
「冷静さを欠いたら駄目だろう?」
二人は必死に真壁を説得している。
「えぇからはよ答えんかい!!」
調子は変わらず叫び散らす真壁だったが、
「うっさいわぁ~うわ・・な、何?」
この惨状にリビングまで来た生田さんが驚いている。
「お前はすっこんどけ!?」
「はぁ?お前・・何キレとん?」
「うっさいわ!どつくぞ!」
「意味わからんのだけど何なん?」
「ブスはどっか行けやぁ!」
「はぁ?なんなんお前?」
「ま、まぁ・・生田さんもそんな事言わずに・・ね?」
赤井さんが仲裁に入る。
僕は亀のような姿勢を止め、踞った状態のまま頭を少し上げた。
「てか、お前・・顔赤すぎやろ!ウケるんだけど!」
そう言って鼻で笑う生田さん。
真っ赤になっている真壁にお構い無しに挑発する生田さん。
だけど、怒りの矛先が生田さんに向けられた事には多少の安堵もある。
「黙れブス!!どつくぞ!?」
「うわ・・レパートリー少なっ!!」
「あぁ?舐めとんのか?」
鋭く生田さんを睨み付ける真壁。
少し、僕も落ち着いてきた。
生田さんの存在に救われている。
真壁と生田さんの小学生のような口論は止む事なく続いていた。
そこに終止符を打ったのは、
「ど・・・どうしたの?」
今にも泣き出しそうな表情で柚希ちゃんが言った一言だった。
これだけ騒いでいたら気になるのも無理はない。
様子を見に来た柚希ちゃんだが、怒鳴り散らしの喧嘩を見て泣きそうになっていた。
「もう良いか?」
鶴里さんが言った。
その声音は怒りや苛立ちではなく悲嘆といった方が近い。
真壁も生田さんも返事を返さないが、静かにはなった。
その無言の時間に小さく咳払いをして、悠里が言った。
「もう大丈夫だよぉ~柚希ちゃん、こっちおいで~」
悠里はにこにこ微笑みながら手招きをする。
柚希ちゃんは、たたたっと小走りで生田さんの足元に近づき、不安気な表情で隠れた。
「ガーン・・・」
ショックを受けたのか分かりやすくリアクションをとる悠里。
それが少し場を朗らかにさせた。
天然でやったのか計算でやったのか分からないけど、悠里の行動に僕も少し楽になった。
「もう・・離してくれんっすか?」
真壁はぶすっとした表情で呟いた。
大丈夫だとは思うが僕は少し身構えた。
「あ、あぁ・・」
二人は真壁の腕を離した。
内心ばくばくだが真壁はそのまま、もといたソファーへ戻って行く。
「冷静に話し合おう!」
そう告げて鶴里さんは僕の背中を擦った。
実際にまだ震えが止まっていない僕だけど、小さな声で「大丈夫、大丈夫」と励ましの言葉を掛けてくれた。
だけど・・・こうなるとこの後が動きづらいのも事実。
あまり僕に優しくしないで欲しい。
「もう・・大丈夫です。でも・・その・・・す、すいません」
鶴里さんだけに聞こえるようにそう呟いた。
なにも言わず鶴里さんは頷いた。
それから立ち上がって、ぱんぱんと手を叩いた。
「時間までに必要な物を揃えよう!!」
夜に奇襲をかける話し合いに戻した。
真壁と赤井さんは小さく返事をした。
悠里も立ち上がり、
「私達も何か無いか探してみます!」
と答えた。
それから少し会話をした後、恐る恐るといった様子で僕の方に近づいてきた。
まるで腫物扱いだな。
「正護君?」
悠里が言う事はもう大体読める。
十中八九、「大丈夫」である。
「叩かれたとこ・・だ、大丈夫?」
ほらな。
笑ってしまいそうになる。
心配した風な態度ってばればれだから。
何も返事を言わなければ芹香の加勢があるのだろう。
「痛いよ・・悪いが参加出来そうにないわ」
言って頬に手を置く。
短い沈黙。
それから温かな視線を向けた。
「うん・・・分かった」
その表情の裏が読めない。
呆れているのか・・・怒っているのか。
だけど聞きたくなった。
これは前から思っていた。
「なんで、こんな僕と一緒にいたがる?」
疑いの視線を僕は向けた。
「な、なんでって!?前に言ったじゃん!」
慌てた表情で手を振る悠里。
「いや・・・そういうの疲れるから!答えてくれ?」
表情を変える事もなく僕は悠里に問い詰める。
「だから・・・前・・言った通りだよ!」
こいつの行動と言動が不気味にしか思えない。
それで納得出来る訳がない。
「正、護君?」
首を傾げてこちらを見てくる悠里。
気遣わしげな視線。その表情が演技にも思えるし、素にも思えてくる。
何を言っても無駄なのか?
間が持たない。
僕はふと視線を逸らした。
その膠着状態の間に芹香が割って入る。
「どうかしましたか?」
そんな事を聞いてくるが、それよりも僕に言いたい事があるだろう。
僕はまた芹香に酷い事を言ったのだ。
今朝、芹香を傷つけたばかりなのに・・
がらにもなく熱くなってしまった。
芹香の発言が蓄積され腹が立った。
こういう奴だと分かっていたにも関わらず。
だけど謝りたくはない。
それに・・芹香も謝る気はさらさらないのだろう。
「ううん・・何でもないよ!」
言いながら首を振る悠里。
このままここにいても良い事なんて無い。
黙って逃げ出す訳にも行かないから、鶴里さんにだけ断りを入れて帰ろう。
「それでは私達も何か武器になる・・ー」
「あっ、そのね?正護君は無理っぽいんだよね!」
申し訳なさそうに悠里が言ってくれた。
「そう・・・ですか・・・」
釈然としない様子だったけど、その後に小さく「分かりました」と呟いた。
良し!!これでこの場は自由の身だ。
やはり芹香には悠里の存在が大きく影響していると改めて思えた。
「正護君、立てる?」
悠里は確認するようにちらっと僕に視線を向けてきたが、それに頷きを返すと優しく微笑んだ。
過保護にも思えなくもないが、悠里が諸悪の根源と思っているから罪悪感もさほど感じない。
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