もしもあの日に戻れたら、僕はどちらを選ぶだろう

波瀾 紡

第1話:秘めた想い

◆◇◆


 小説やアニメの設定で、タイムリープ、つまり時間跳躍というものがある。

 主人公に何か大変なできごとが起きて、何らかの方法で過去に行き、その問題を解決するっていうのがタイムリープ物の定番ストーリーだ。


 しかし──僕の身に起きた『それ』は、定番のストーリーとは少し違った。

 問題が起きて過去にタイムリープしたら、なぜかそこは元の状況よりも、もっと悪い状況だったんだ。


 こんなことってある?

 ──と嘆いても、仕方がない。だって現実にそんなことが起きてしまったんだから。


 まあ元の状況も、僕にとっては困った状況ではあったんだけども。

 そう、それはきっと、あの日のできごとが始まりだったに違いない。


◆◇◆


─五月下旬のある水曜日─



『君が好きだ。大好きだ! 中学校の頃からずっと、高校生になった今も好きだ。この想いが、僕の大切な人、美奈に伝わりますように』


 オレンジ色の陽が差し込む夕暮れの文芸部の部室で、長机に向かって本を読むふりをしながら、僕は紙切れにボールペンで想いを吐き出した。


 普段は心の奥底に押し込めてある想いが、時々我慢ができずに急にあふれてくることがある。

 そんな時にはこうやって白い紙に想いを書き出して、そしてそれをじっと見つめる。


 それからその紙を丸めてゴミ箱に捨てる。

 そうすれば僕の想いは、また心の底に押し込めることができるんだ。


 それがいつもの僕のやり方。


「吉田、あの本知らない?」


 急に声がして、僕はあわてて机の上の紙を本で隠しながら、顔をあげた。

 知らない間に文芸部の同級生、ポニテ黒縁メガネの加代がすぐ横に立って、僕をギロリと睨んでいた。


「あの本って?」

「ほら、あれよ。『もしもあの日に戻れたら、僕はどちらを選ぶだろう』っていう新作のSF小説」


 加代が探している本は、まさに今僕の目の前に、ページを開いた状態で置いてある。想いを書き出すのに、目隠しに使っていた単行本だ。


「え? 知らないなぁ……」

「あれっ? 吉田が持ってるの、あの本じゃない?」


 せっかくとぼけたのに見つかって、加代が僕の目の前に手を伸ばした。この本を持っていかれたら、僕の美奈への想いが丸見えになる。


「いや、いや、いや、ちょっと待って!」


 素早く紙切れをしおりのように挟んで、単行本を閉じて胸元に引き寄せる。

 本の表紙があらわになり、これが加代が探している本だと気づかれた。


「あ、やっぱ持ってるじゃん! 貸してよ。読みたいんだ」

「やだよ。僕もまだ読み始めたばかりだし。読み終わるまで待って」


 今この本を持っていかれたら、僕の想いを書いた紙を見られてしまう。なにが何でも渡すわけにはいかない。


 うわっ、こりゃヤバい!

 ──って焦ったけど、加代はわかったよと素直につぶやいた。


 なんとか助かった。



「吉田、もう今日は帰らない?」


 部室内の掛け時計に目をやると、もう六時前でそろそろ部活の終わり時間だ。


「そうだね。帰ろっか」


 僕は本を手にしたまま、鞄を肩にかけて立ち上がった。加代が部室の扉に鍵をかけるのを待って、一緒に廊下を歩き出す。


 僕が通う県立の中堅校、美方みかた高校の文芸部には、僕と加代の三年生二人しか部員がいない。

 しかも僕はもっぱら読み専門なので、執筆活動をしているちゃんとした部員は、加代一人しかいないに等しい。


 加代は小柄でおでこを出した黒髪ポニーテールの地味な少女で、いつも無表情で今ひとつ何を考えてるのかよくわからない。

 そのくせ変に勘が働くこともあって、今日のようにあたふたさせられることもよくある。


 よく言えばクールでミステリアスな少女。まあその実態は、単なる読者好きのオタク少女だと思うけど。


 そんな感じだから、二人っきりの部活の割には、僕は加代のことをよくは知らない。


 



 校門まで行くと、いつもの場所で『彼女』は待っていた。

 彼女は僕たちに気づくと、とびっきりの笑顔を見せて飛び跳ねるようにして手を振った。

 ブレザーの制服の、チェック模様のスカートがふわふわ揺れてとっても可愛い。


「美奈ちゃん。今日は早いね」

「うん。今日はちょっと早めに終わったんだ」


 加代が声をかけると、美奈はいつものように、明るく弾ける無邪気な声で答える。


 小顔にショートカットが似合う、学校イチの美少女。我が校ダンス部のエースで、アイドル的存在の美奈。


 ついさっきまで想いを紙にぶつけていた相手の美奈を見ると、恥ずかしさがこみ上げて、まともに顔を見ることができない。

 いつもいつもってワケじゃないけど、さっきみたいに想いが湧き出た後に、美奈の顔を見るのはめちゃくちゃ照れてしまうんだよな。


「じゃあ私、先に帰るね~」

 加代はひらひらと手を振って、僕と美奈を残して立ち去る。僕と美奈も、加代に手を振り返した。


 加代が帰った後、僕と美奈は同級生でサッカー部のエース、中谷なかたに仲也なかやが来るのを待つ。


 部活終わりに校門近くで待ち合わせをして、三人で一緒に帰る。これは小学生時代から、もう十年以上も続いている習慣だ。


 南野みなみの美奈みな中谷なかたに仲也なかや、そして僕、吉田よしだヨシキ。

 僕たち三人は小学校からめちゃくちゃ仲がよくて、三人の名前を取って自称「ミナ、なかよし」トリオと呼んでいた。


 クラスは一緒だったり別になったりしたけど、ずっと三人仲がいい状態が続いている。

 そして高三の今は、三人ともばらばらのクラスになってしまった。だけど毎日三人で下校する習慣は続いていて、僕たちの仲は良好なんだ。


「あっ、その本! ヨシ君が面白いって言ってた本でしょ? 貸して貸して~!」

 美奈は思いついたように声を出して、俺が手にしていた『もし僕』を、突然ひったくるように奪い取った。


「あ、待って! ダメだって! 返して!」

 なんてことをするんだ。この本には美奈への想いを書いたメモが挟まっている。

 僕は手を伸ばして本を取り返そうとするけど、美奈は意地悪に笑いながら、本を持った手を僕から遠ざける。


「やだよ~ 借りるからねっ!」


 いやいやいや、めっちゃやばいよ! どうしよう……

「ちょっと美奈! 返してったら!」


 美奈は駆け足で僕から離れる。えらいことになった。

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