第91話 カルマの選択
部屋の中央に置かれた応接セットに座る五人と傍らに蹲るオードレイを、完全武装の聖騎士と司祭二十人余りが取り囲む――
グランチェスタは実に支配者然とした態度で言い放った。
「おまえたちも察しているように火急の事態には違いないが……ここに居るカミナギ殿と私の間で、すでに取引が成立している。アルヴァレス、ブルーム、ギャレット。おまえたち三人がカミナギ殿の相手をしろ――他の者は一切手出しをするな!」
形勢が逆転したことで、グランチェスタは完全に自信を取り戻していた。
自らこの状況を作り出したカルマの態度が不気味ではあったが――最早勝利は約束されたようなものだ。
「枢機卿猊下、お言葉ですが……先ほどの強力な結界から考えて、相手はかなり危険な魔術の使い手だと思われます。ここは我々全員で対処すべきかと具申しますが?」
口髭を生やした年配の司祭が、カルマの方を気にしながら告げる。
額に浮かぶ大量の汗から、彼の緊張の度合いは丸解りだった。
「グラハム、これは私自身が決めたことだ。おまえなどが口出しすべき話ではない」
グランチェスタは、あからさまに司祭を見下していた。
「それに、本当にそうすべきであれば……レパード殿が真っ先に進言している筈であろう?」
先ほどから黙っているレパードに話を振るが――カルマに映像を見せられて以来、彼は完全に意気消沈していた。
まるで万能であるかのように次々と魔法を見せつけるカルマに、抵抗する気力を失ったのだ。
(……この役立たずが! 天使を憑依させる度胸もない貴様など、もはや用済みだな)
グランチェスタは自分が天使を使役する側の人間だと考えていたから、自ら天使を憑依させる気など端からなかった。
しかし、レパードは――憑依に耐えられずに消滅する可能性を恐れて、ずっと二の足を踏んできたのだ。
「カミナギ殿。このまま戦いを始めては、結局は皆を巻き添えにしてしまう。この者たちに場所を空けさせるので、そちらで戦うというのは如何だろうか?」
他の者のことを気遣っているように聞こえるが――何のことはない。この状態で戦いが始まればグランチェスタ自身が真っ先に巻き込まれるから、単に自分の安全を確保したいというだけのことだった。
「ああ、別に俺は構わないけど――」
カルマも当然グランチェスタの意図に気づいていたが――
グランチェスタの指示に従って、司祭たちが二つの長椅子を壁際の中央に寄せる。それから指名された三人を除くと、司祭と聖騎士たちが部屋をぐるりと取り囲むように壁の前に立った。
「私はここから、ゆっくりと見物させて貰おう」
グランチェスタは寛いだ格好で長椅子に座り、もう一つの長椅子をキースとクリスタに勧めた。
「カミナギ……一人で戦うつもりなのよね?」
カルマの傍らで、クリスタは困ったような顔をしていた。
「これで二度目だな? クリスタさんがそんな顔をするなんて思わなかったよ」
最初はカルマが転移魔法と結界でグランチェスタを脅したとき。そして今度は――
「てっきりクリスタさんは止めるかと思ったけど……止めないんだな?」
「そうね……カミナギは私たちのことを考えて天使と戦うんだって、解っちゃったから」
クリスタは苦笑して、思わず溜息をつく。
別に天使など放置したまま強引に話を纏めることもできたのに、カルマが敢えて戦いの場に引きずり出したのは――グランチェスタから意趣返しの手段を奪うためだ。
クリスタならまだしも、キースが一人でいるときに天使に襲われれば、まず命はないだろう。
「あまり追い詰めると、馬鹿なことをしないとも限らないからね? でも、理由はそれだけじゃないんだ――今後のために、絶対に勝てないってことを、きちんと教えておこうと思ってね。だから今回は、俺一人でやらせて貰うよ」
カルマがキースのために怒ったことも、剣のないクリスタを庇っていることも、全部解っていた。
だから――
(止められる筈がないじゃない……)
今のクリスタは足手纏いにしかならない。
キースを守りながら丸腰でも戦力になれると考えるほど、クリスタは己惚れていなかった。
「じゃあ、行ってくるよ。すぐに終わらせるからさ、ここで待っていてくれ」
そんなこと気にするなよと、カルマは悪戯っぽく笑うと――ゆっくりと三人の司祭が待つ部屋の中央に向かって歩き出した。
司祭たちはすでに天使の力を開放し――背中から光の翼を生やしていた。
トーリー・アルヴァレス司祭――二本の光の剣を持つ長髪の美丈夫は、冷酷な眼差しをカルマに向ける。
「……枢機卿猊下の御前だ、初めから全力で行くぞ!」
オリバー・ブルーム司祭――長槍を構える背の低い小太りの男は、血に飢えたモノ特有の狂気を感じさせる笑みを浮かべていた。
「トーリー? 止めを刺すのは私だからな!」
エレン・ギャレット司祭――王国正教会唯一の女性の天使であり、クリスタほどではないが知的美人の彼女は、蛇のようにうねる光の鞭を構えてサディスティックに笑う。
「……カミナギって言ったわね? 少しは楽しませてよ!」
そんな三人の言葉を――カルマは全く聞いていなかった。
「グランチェスタ、始めて良いか?」
思い切り三人に背を向けて、長椅子に座るグランチェスタの方に振り返る。
完全武装の三人の天使に対してカルマは丸腰だというのに――その余りにも無防備な様子を、グランチェスタは嘲るように笑う。
「ああ……始めてくれたまえ!」
その声に即座に反応して、三人の天使が一斉に襲い掛かった――
「
勿論、声に出す必要などなかったが――演出も必要だろうと、一応それっぽい言葉を言っておく。
カルマから三本の稲妻が放たれたのは、ほんの一瞬だった。
唯それだけで――三人の天使は消し炭と化した。
「はい、終了――グランチェスタ、約束は守れよ?」
一瞬の出来事に言葉を失う聖騎士と司祭たちに囲まれて――カルマは何食わぬ顔で言った。
そして、天使たちの元に向かったときと同じようにゆっくりと、グランチェスタが座る長椅子の方へと真っ直ぐに歩いていく。
グランチェスタの傍らに立つ司祭は、指導者を守るという役目すら忘れて、カルマから距離を取って逃れようとする。
隣に座るレパードも心情的には同じようなものだったが――動くことで標的になることを恐れて、立ち上がることすらできなかった。
(この状況で……私に何ができると言うのだ?)
グランチェスタとて、カルマに対する恐怖心から全てを捨てて逃げ出したかった。
しかし、絶対的な戦力である筈の天使すら秒殺した相手が、それを許すとは思えなかった。
そんなグランチェスタの心情を嘲笑うかのように――カルマは意地の悪い笑みを浮かべながら近づいてくる。
「……カミナギ殿。見事な魔法だったな」
顔は青ざめていたが、声は震えていなかった。
支配者としてのプライドだけが、グランチェスタの気力を支えていた。
「へえ……まだそんなことが言えるんだ? さすがは底なしの権力欲に取り憑かれた男だ。他の奴らとは違うみたいだな?」
椅子に座るグランチェスタを見下ろして、カルマは鼻で笑う。
「……勿論、約束は守らせて貰う。今すぐ『
「いや、そのことだけどさ――」
カルマは認識阻害を発動させた――この後の会話はカルマとグランチェスタ以外には聞こえず、彼らの姿も他者には見えなくなった。
「やっぱり気が変わった。枢機卿を引退するって話は無しで良いや」
実に気楽な感じで、アッサリと要求を取り下げたカルマに、グランチェスタは唖然とする。
「カ、カミナギ殿……今、何と……」
「だから、枢機卿の地位に留まれって言ってるんだよ? その代わりに――俺の思い通りに動く駒になって貰う」
勿論、急に気が変わった訳では決してなく――カルマは初めから、そうするつもりだった。
グランチェスタに一度全てを諦めさせてから――最も望んでいるモノを与えてやることで、自分の言いなりにさせるつもりだったのだ。
実に悪魔的なやり方だったが――非常に有効的ではあった。
グランチェスタが居なくなっても、急進派の誰かが同じことをする可能性は高い。
だったらグランチェスタに首輪をつけて、歯止めを掛けさせた方が良い。
キースのことでグランチェスタには本気で腹を立てていたが――こういうやり方で従わせてしまうのはアリだと思う。
「グランチェスタ……俺の言っている意味が解るよな? おまえに他の選択肢なんて無いだろう?」
「……ええ、その通りです。カミナギ様……今から私は貴方のために働きましょう」
グランチェスタは狡猾な笑みを浮かべて、ゆっくりと頷いた。
そうだ――これが唯一、最上の選択なのだ。
「その『カミナギ様』ってのは、周りに怪しまれるから無しにしろよ?」
「ええ、解っています。カミナギ
「話が早くて助かるよ。それと……解っていると思うけど、この話は俺とおまえにしか聞こえていない。魔法を解除したら適当に話を合わせるから、上手くやれよ?」
カルマはしたり顔で、認識阻害を解除した。
「そういうことで、グランチェスタ? おまえは今後も枢機卿として、俺に協力してくれるんだよな?」
「ああ……承知した、カミナギ殿」
二人の声が聞こえず、姿が見えなかったことは皆も
だから、カルマが何らかの魔法を発動して姿を消している間に、二人が取引したことは容易に想像できた。
しかし――勿論、その内容までは解る筈もなかった。
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