10.デーフィの祠(5)
ネジュミと呼ばれる獰猛な獣。そのヤツの背後から、セッカがこっそり近づいているのが見える。
縛り付けるとしたら、ここから15メートルくらい先のあの大木だろう。
距離的には問題ない。的までの距離より圧倒的に短いしな。
大方の見当をつけ、矢が放てる位置まで移動する。
ネジュミが目標の大木に近づいたところを見計らって、俺は立ち上がり弓を構えた。
ネジュミの注意を俺に引き付けるためだ。
「グアァァ……!」
俺に気づいたネジュミが大きな口を開けて突進してこようとした。
その瞬間、セッカがネジュミの首に鎖を巻きつけ、思い切り引っ張る。反動で、ネジュミの身体が激しく大木に打ち付けられた。
ダッシュしようとしたところに首を絞められて苦しかったのか、ネジュミが一瞬グワッと口を開けた。
そのタイミングに合わせて、金属の矢を射る。
矢は口の中に確実に入り込み、ネジュミに突き刺さった。
多分、樹まで貫通したのだろう。頭が大木の方にグッと打ち付けられたように見えた。
しかし、ネジュミはバグッと口を閉じて矢を噛み砕いてしまった。
喉の奥に先が刺さったままだとは思うが、かなり暴れている。
ダメージは与えたが、これでは止まらないようだ。
俺はもう一本構えると、今度は額を打ち抜いた。
叫び声を上げてかなり苦しんでいるようには見えるが、まだまだ元気だ。両腕を振り回し、地団駄を踏んでいる。
「ごめん、いったん離す!」
力の限界が来たのか、セッカの叫び声が聞こえた。
鎖が緩むと、反動でネジュミはどさりと地面に倒れた。
しかし、よろよろと起きあがると、こっちへ……。
『――水那!』
いつの間にそこにいたのか、ネジュミの前に水那が立ちはだかった。
『ばっ……!』
「【――
今まで聞いたことのない、大きな、凛とした声だった。
その声にかなりのフェルティガが込められていることは、俺にもわかった。
ネジュミはビクッと体を震わせ、小さく低く呻くと……俯せに倒れた。
――水那の
その瞬間――ネジュミを取り巻いていた闇が、一斉に水那に向かったのが分かった。
ネジュミが戦意を失ったことで、とり憑く場所を失ったのかもしれない。
『水那!』
俺は水那に駆け寄った。
水那はすでに気を失っていて、地面に倒れている。
「セッカ! 脳天だ! トドメ!」
俺は怒鳴りながら倒れている水那を抱き寄せた。途端に、水那の中に入ろうとしていた闇が弾かれる。
間に合ったか? 身体の中に入り込んでないよな?
「グギャアァァァー!」
そのとき、物凄い悲鳴が聞こえてきた。
見ると、セッカがナイフでネジュミの脳天を突き刺している。
「ソータ! 多分、ここで急所合ってる! ここだけ柔らかい!」
セッカが嬉しそうに叫んだ。
ネジュミはしばらくもがいていたが……やがてガクリと力尽きた。
「……死んだか?」
「多分……」
俺は水那を抱えたまま、倒れたネジュミに近寄った。
念のため、脳天に刺さったナイフを足でぐっと押し込む。
ネジュミはぴくりとも反応しなかった。
「……大丈夫そうだな」
「ミズナは?」
「大丈夫。気を失っているだけだ」
セッカはホッとしたように息をついたが、すぐにハッとして顔を上げた。
「じゃあとにかく、早く森を抜けよう。こいつが死んだことで、他の獣が寄ってくるかもしれないからさ」
「わかった」
俺とセッカは散らばっていた荷物を集めると、駆け足で森を走り抜けた。
とにかく真っ直ぐ最短距離で走り抜けたのもあって、どうにか昼の間に森を抜けることに成功した。
しかし……森に入る前の空と比べると、だいぶん濁っている。
「闇が……漂ってるな……」
「そうなんだ。あたしには見えないからなぁ……」
セッカが溜息をつきながら頭をポリポリ掻く。
「もう少し森から離れた方がいいか?」
「うーん……」
セッカは辺りをキョロキョロ見回した。
「そうだね。この山のもう少し上まで進もうか。さすがに獣は登って来ないから」
「わかった」
森を抜けると、少し岩がゴロゴロした場所になり……小高い山が立ちはだかっていた。
この山の一番上に、祠があるらしい。
山には岩肌に沿って細い道がつけられている。
俺とセッカは足元に注意しながら、山を登り始めた。
しばらく登ると、ボコッと横穴が開いた場所に出た。
セッカと相談して、とりあえずその場所で休むことにした。
俺は水那を抱きかかえたまま座り込むと、大きく息をつきながら壁に寄り掛かった。
水那の顔が俺の胸のあたりに来るように抱え込む。
もしさっきので闇を吸い込んでいたら……俺の中の勾玉が吸収してくれないだろうかと思いながら。
水那はまだ気を失ったままだ。
恐らく……明日まで目を覚まさないだろう。
「……さっきのが、ミズナのフェルティガ?」
水那を寝かせる寝床の準備をしながら、セッカが聞く。
「そうだな。言葉の通じない獣にまで効くとは思わなかったが」
「どういうものなの?」
「俺も2回……いや、3回しか見てないからな」
小五の時の水那の父親。俺。さっきのネジュミ。
「あくまで想像だが……目を合わせて、相手の名を呼び、命令する。
「ふうん……」
「相手の意識も奪う強い命令だと、かなり消耗するらしい。だから気絶しているんだろう。しかも今回は、人ですらなかったからな。かなり強力に仕掛けたのかもしれない」
「だからソータは、ちゃんとは使えないって言ってたんだ。本人も加減が分からないってこと?」
「……多分な」
今日、何度目かの深い溜息をつく。
「……ったく、ピンチの度に無理して使って気絶してたら、体がいくつあっても足りないってんだよ」
「……」
セッカがクスッと笑う。
それこを含み笑いというやつで、どうも引っ掛かる。
「……何だ」
「心配してるんだね」
「違う。俺は怒ってるんだ。こいつが無茶するから」
「だって、ずっと抱きしめてるし」
「違うっての。これは……さっき、闇を吸い込んだ可能性があるから、俺の力で闇を吸収できないか試してるんだよ」
「ふうん……」
セッカが意味あり気に俺と水那を見比べる。
「……ま、いいけどさ。準備できたよ」
「おう」
俺はセッカが用意してくれた場所に水那を寝かせた。細く茶色い髪がさらりと流れる。
額に手を当ててみたが、熱はなさそうだ。呼吸も苦しそうではない。
多分、疲れから休んでるだけ、だろう。
水那の髪が、俺の指の間を擦りぬけていった。
「……ったく。起きたら、大、大、大説教だ」
俺がフンと鼻息を荒くして言うと、セッカは
「他にあるでしょ……」
とボソッと呟いた。
俺もセッカも相当疲れていたので、その日はそのまま横穴で夜を過ごした。
獣が這い上がってくる心配はないので、特に番はせずにしっかり寝た。
俺が目を覚ますと、ちょうど藍色の夜から白い昼に変わるところだった。
隣を見ると、水那とセッカはまだ寝ていた。
そっと寝袋から出て立ち上がる。
結構長い時間眠れたので、体の疲れはかなりとれていた。
欠伸をしながら辺りを見回す。
「……ん?」
隅の方で、何かが光った気がする。昨日は全然、気付かなかった。
近寄って見てみると、直径五ミリぐらいの透明な珠だった。
拾い上げてみたが、こうしてよく見てみると、特に光ってはいない。
ふと気配を感じたので振り向くと、他に2粒ほど転がっていた。
「……何だ?」
「ん……何……?」
セッカが起きたようだ。
「あ、もう昼だ……。ソータ、おはよう」
「おはよ、セッカ」
「……何してんの?」
目を擦りながら大欠伸をしている。
「んー……。セッカ、これ、何かわかるか?」
俺はセッカの傍に行くと、拾った透明の珠3粒を見せた。
「……知らない。でも、奇麗だね」
「旅の記録にも書いてないか?」
「んー……一通り目を通したけど、なかったはず。全く記憶にない」
頭をポリポリ掻く。
でも……何だかとても気になる。
ちゃんと取っておいた方がいい気がして、俺はセッカに小さい袋を一つもらい、その中に入れておいた。
『……ん……』
水那は寝返りを打つと、パチリと目を開けた。
『……あ!』
ガバッと起き上がる。
そして俺とセッカの顔を見比べると
『おはよう……ごめんなさい……』
と小さい声で呟いた。
「おはよう、とごめんなさい、だ」
俺はセッカに伝えると
「さてと……まず、説教だな」
と腕組みをした。
『いいか、水那……』
「違うでしょ!」
セッカがぐいっと俺の襟首を掴む。
「ぐえっ……何す……」
「ソータは黙ってて!」
セッカが俺をぎろりと睨む。その迫力に、俺は思わずのけぞってしまった。
そんな俺をセッカは「フン!」と鼻であしらうと、ガラリと表情を変え、水那の方に振り返った。
「……あのね、ミズナ。ミズナのおかげでネジュミの弱点がわかって、デーフィにとってはすごく助かったよ。ありがとう」
セッカがニコッと笑って水那の頭をぐりぐりした。
水那はびっくりしたようにセッカの顔を見ている。
「でもね。ミズナは獣の恐ろしさを分かってない。あの行動は、かなり無謀だったと思う。ミズナは自分の力が効くって、確信があったの?」
「……」
水那はプルプルと首を横に振った。
「一瞬の判断ミスが命に関わることもあるんだ。これから一緒に旅をしていくんだから、勝手な行動をしたら駄目だよ。自分にできることから、一つ一つやって行こうよ」
セッカが言葉を選びながら一生懸命喋っている。
昨日から、どう話そうか考えていたんだろうか。
「例えばさ。あたしはジャスラの民だ。体力もあるし素早いから、二人の案内をしている。山や森、国についての知識はあたしが一番だ。でもさ、闇に関してはあたしはチンプンカンプンだ。それについては、ソータが一番だよね。闇から守ってくれる」
「……」
水那はコクリと頷いた。
「ミズナはさ、あの力を使うために旅に来てるんじゃないよね? 闇を浄化できるようになるために、だよね?」
水那は少し考え込んでいる。
自分の力をどうにか役立てたい、という気持ちもあるのかもしれない。
「力はさ。使えたら便利かもしれないけど、倒れちゃったり反動も大きいよね? 倒れたら、旅に支障が出るよね? 倒れないように、少しずつ練習すればいいんじゃないかな?」
「……」
今度は水那はコクリと頷いた。
「だから、闇を浄化できるようにすること。倒れないようにフェルティガの練習をすること。この二つを目標にしようよ」
「……」
黙り込む水那に、セッカはやれやれといった風に肩をすくめた。
俺の方をちらりと見る。
「それにミズナが倒れるとソータがうるさくって……」
「こら、俺の名前を出すな」
「説教するとかさ……。父親かっつーの」
「保護者みたいなもんだと言ってるだろうが」
『……ふふっ』
見ると、水那が少し微笑んでいた。
嘘だろ。初めて見た。……ちゃんと、笑ってる。
『みず……』
「ミズナ! 笑えるじゃん!」
セッカは嬉しそうに叫ぶと、水那に抱きついた。
『……ありがとう、セッカ』
「『あん、りがと』だよね、わかるわかる! あたしの名前を呼んだのも、初めてだよね」
日本語、間違ってるけどな。
でも……水那が笑った。
俺に、じゃなかったけど……。名前も呼んで……。
――まさかセッカに先を越されるとは……。
「と、いうことで、じゃ、ソータどうぞ」
……今さら俺に振るなよ。
水那を見ると、もう笑顔は消えていた。じっと俺を見上げて、次の言葉を待っている。
「……ま、いいや。とにかく……もう倒れるな」
俺はそれだけ言うと、そっぽを向いてさっさと寝床の後片付けを始めた。
だって……どう考えたって、俺が言えることなんて、もうないじゃないか。
「……素直じゃないな……」
セッカがボソッと呟いたが、俺は聞こえない振りをした。
水那は自分の胸をそっと押さえると、小さい声で『……気をつける』とだけ呟いた。
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