8.デーフィの祠(3)

 水那の涙が効いたのか、ダンさんは渋々セッカの同行を認めた。

 次の日になって、俺達はとりあえず西の祠に向かうための準備をした。

 再びこちらに戻ってくるため、大きい荷物は置いていくことにした。


「ソータ。こんな矢があるんだけど……」


 セッカが矢筒を抱えて現れた。

 中を見ると、長めの矢が5本ほど入っていた。

 そのうちの1本を取り出してみると、ヤハトラでもらった狩猟用の矢よりも少し重い。

 先端の材質は特殊な固い金属のようだ。ギラリと光っている。


「多分、皮の厚い獣を仕留めるためか石を割るのに使ってたんだと思うんだけどさ。今はあたしの周りで弓を使う人間はいないから……何かに使えそう?」

「そうだな。攻撃力は高そうだし。もらっていいか?」

「うん! あ、それと……」


 セッカが水那の方に向き直った。


「あたしの服で、ちょっと小さくなって着なくなったのがあるんだけどさ。ミズナにどうかと思って」


 そう言いながら何やら取り出す。

 見ると、ノースリーブと異常に丈の短い半ズボンだった。


「この季節は暑いからさ。短い方がいいと思うんだよね」

「却下」


 水那が答える前に俺が断った。


「ソータに聞いてないんだけど」

「ミズナに聞くまでもない。そんな露出が高い服は却下」


 そんな服で目の前をウロチョロされたら、俺の理性が持たん。


 俺がキッパリ言うと、セッカは困ったもんだ、とでもいうようにしかめっ面をした。


「ソータって、あたしの父さんみたいなこと言うね……。ま、あたしは服装にまでとやかく言われる必要はないと思って全然聞かないんだけどさ。何? 恋人じゃないって言ってたけど、ソータってミズナの保護者なの?」

「そんなようなもんだ」

『……同い年なのに……』


 珍しく、水那が不満げに呟いた。

 驚いて振り返ると、水那がムッとした様子で俺をちらりと横目で見ている。

 えっ? 俺、そんなに怒らせるようなこと言ったか?


「まぁ、とりあえずあたしが持っておくよ。ミズナ、着たくなったら言ってね。……あ、言えないか。服を着たいってニホンゴで何て言うの?」

『服を着たい』


 水那がすんなり答える。セッカは

「わかった、『フクキタ』! それが合図ね」

と言って笑うと、服を自分の荷物にしまった。


 セッカの強引さはどうかと思ったけど、これぐらいグイグイ来てくれた方が水那もごちゃごちゃ考えずに素直に対応できていいのかもしれない。

 だけどその服を水那に着せることは許さないけどな、絶対に!



 そんなこんなで、俺達三人は準備を整えると西に向かって出発した。

 セッカの家の牧場を過ぎると、他の人間がやっているらしい牧場があちらこちらに点在している。


「この辺はかなり人が住んでいるから大丈夫だけどね。やっぱり、川を越えて山に入ったら注意してね」

「何に注意すればいいんだ?」

「獣だね。今は夏だから、結構活発に活動してる。ネジュミとか……」


 名前だけ聞いていると俺達の世界の小さい鼠を思い出すんだが……さっきの牧場の家畜といい、きっと全然違うんだろうな。


 ずっと草原や開けた牧場が続く。働いている人がチラホラ見える。

 セッカは時折、その人たちに手を振ったり、大声で話しかけたりしながら歩いていた。

 平坦な道なので前ほど大変ではないが、やはり日光が強いのでバテてくる。

 もともと喋らない水那は勿論のこと俺も、殆ど口を開かないまま黙々と歩いていた。

 そんな中でも、セッカは生活のことや友人のことなど、いろいろなことを喋りながらどんどん歩いていく。


「あたしはさ。もうすぐ22歳になるんだけどさ。父さんが早く旦那さんを見つけて落ち着いてくれってうるさいんだよね。あ、ソータ達の前でも言ってたっけ」

「……ああ」


 しんどいのでかろうじて相槌を打つ。

 喋ってくれた方が何だか気が紛れるので、ちゃんと聞いてるぞ、という意思表示はしておきたい。


「相手がソータなら、全然構わないんだけどさー」

「んが!」


 驚きすぎて変な声が出てしまった。

 喉が渇いて息も切れていたので、まともに言葉が出ない。

 俺は水筒から水を一口飲むと

「急にびっくりするようなことを言うな」

とだけ返事した。


「えー、だってさー、カッコいいし、狩猟の腕も凄いじゃん。頼りになりそうだしさー。あ、でも、もうちょっと背が高いとよかったんだけど」


 悪かったな。

 背か……168しかないからな……。それに、狩猟じゃなくて弓道なんだが……。

 ……って、そうじゃなくてだな。


「褒めてくれるのは嬉しいが、お断りだ」

「そんなはっきり言う?」

「濁らせても仕方がない」

「まあ、そうだね」


 セッカは大声で笑った。


「まぁ、それは無理なのはわかってんの。世界が違うから、絶対に駄目なんだ」

「……ん?」


 意外にあっさりしている。

 俺が不思議に思ってセッカを見ると、セッカは


「デーフィはヤハトラの巫女に従ってるの。ミュービュリと関わるのは禁忌だって、巫女に言われてるからさ」


と言って、少し残念そうに肩をすくめた。


 そういえば、ネイアは「ジャスラではミュービュリの血を引く人間はおらん」って言ってたな。

 穴からやってきたら、すぐ送り返すって。

 でも、過去に9人のヒコヤの生まれ変わりが現れて、こうして旅をして、その中でいろいろな人と出会ったはずだよな。

 彼らも俺と同じミュービュリの人間だったはずだけど……。そんな中で、恋人関係になったりはしないのか?


 俺は――今、水那が傍にいる。もとの世界にいたときは基本的に来る者拒まずだったけど、水那を守らないといけない以上、そういう訳にはいかない。

 ……というより、到底そんな気にはなれない、と言った方がいいのか。本当は。


 そんなことを考えながら水筒の水を一口飲む。セッカの山の湧き水は不思議なことに全くぬるくならず、心地よい冷たさが喉に染み渡った。


「でもさ、問題視されてるのは、ジャスラにミュービュリの血が混じることなんだよね」

「ん?」


 終わったと思っていたが、セッカの話はまだ続いていた。


「だから、子供さえ作らなければ大丈夫なんだ」

「ぶはっ!」


 口に含んでいた水を思わず吐き出す。


「あーあーあー、勿体ない……」


 セッカは呑気にそう言うと、俺の手から水筒を取り上げて蓋を閉めた。


「おかしなことを言うな!」

「えー、だってさ……」

「だってじゃない!」

「……ソータってひょっとして、今まで一度も恋人がいないとか……」

「失礼なことを言うな」

「えー……」

「自慢じゃないが、それなりに場数は踏んでる」

「ソレ言うときは自慢でしょ。……まぁ、そうだと思って、話を持ちかけてるんだけど」

「持ちかけるな!」


 これ以上セッカの話を聞いていると、とんでもない風に話が転がりかねない。

 俺は少しペースを落として、後ろを歩いている水那の方に近寄った。


『大丈夫か?』

『……うん』


 水那は頷いたが、少し足を引き摺っている。


『足、怪我したか?』

『……』


 水那はそれには答えず、黙って首を横に振った。

 ……ということは、足に異常があるってことだよな。

 水那って、声に出さないウソをつくからな。


「セッカ。今、どの辺りまで来てる?」

「えー?」


 セッカが辺りをキョロキョロ見回した。


「そうだねぇ……今日の目標の半分は、越えてるかな。予想より早かった」

「じゃあ、ちょっと休憩入れてもいいか?」

「うん。お腹すいてきたしね」


 そう言うと、セッカは道から少し逸れた大木を指差した。


「休むんなら、あの木陰がいいんじゃないかな」

「おう」


 木陰に行くと、俺たち三人は腰を下ろした。

 セッカは荷物から草に包まれたものを取り出した。一つずつ俺達に渡す。

 開けてみると、肉のスライスの間に山菜やペースト状の芋的なものが挟まっている。


「これ、チャイのエバ焼。チャイの肉は非常食にすることが多いんだけどさ。普通に食べても結構美味いんだ」

「一昨日のやつか?」

「そうだよ」


 一口食ってみる。臭みはまったくなくて、噛めば噛むほど味が染みる感じだ。弾力もすごい。正直……かなり美味い。


「これ、美味いな!」

「でしょ?」


 セッカが満足そうに笑った。


「長い旅だと非常食ばかりになっちゃうからさ。最初に食べてみて欲しかったんだ。それに、そのチャイを仕留めたのはソータだからさ」

「そうか、ありがとう。滅多に食べられないんなら、よく味わっておくよ」

「ミズナはどう?」


 セッカが聞くと、水那が何回もコクコク頷いた。

 多分、かなり満足してるんだと思う。

 だけど水那は笑わないから、セッカは不安になったらしい。

 俺の方をチラリと見た。


「ミズナは、殆ど笑わないんだ。気にしないでくれ。俺も見たことはないからさ」

「そうなの?」


 水那の笑顔……それを見るのも、今回の旅の目標だな。


「だから、これだけ頷くってことは美味いってことだな。……ミズナ、ちゃんと美味いって言ってやれ」


 水那は少し申し訳なさそうな顔をすると

『……美味しい』

と言って頷いた。


『お、いしい』


 セッカは繰り返すと何やら小さな手帳みたいなものを取り出してメモをし始めた。


「……何だ?」

「とりあえず単語を覚えれば会話できるから……でも忘れそうだから、書いておく。だからソータ、ミズナが言ったニホンゴはすぐにあたしに教えてね」

「わかった」

「そうだ、さっきの『フクキタ』も……」

「それはメモらなくていい」

「何でよー」


 俺とセッカがそんなやりとりをしている横で、水那の表情が和らいでいた。

 セッカの一生懸命な様子に、嬉しかったに違いない。

 ちゃんと表現した方がいいぞ。……そう思って目配せすると、水那は「あ」というような顔をしたあと素直にコクンと頷いた。


『……ありがとう』

「ありがとう、ってさ」

『あん、りがと』

「ちょっと違うな」

「あれ? もう一回!」


 ……そうして、しばらく日本語教室をしながら休憩した後、セッカが「ちょっと待ってて!」と言って近くの家に走って行った。

 セッカの後ろ姿を見送ると、俺は水那の方に向き直った。


『そうだ、水那。足を見せてみろ』

『……!』


 水那はちょっとビクッとして後ずさる。俺はすかさず水那の右足を掴んだ。


『こっちだったよな』

『やっ……』


 靴を脱がせる。踵が少し擦り剥けて、血が出ていた。今は大したことはないが、このまま放っておいたら確実に悪化するな。


『消毒薬とかガーゼとか包帯とかそういったものって、ジャスラにあるのかな』

『……ごめん、なさい』

『何で謝るんだよ』

『迷惑、かけて……』

『履きなれない靴を履いて靴擦れって、普通だろ。いちいち謝るな』


 俺がそう言うと、水那は俺の肩をぐっと掴んだ。思ったより強い力だったので、ぎょっとする。

 振り返ると、水那の顔が俺のすぐ目の前にあった。


「【――】」

「!」


 その瞬間、俺の意思とは無関係に身体が硬直した。

 パッと水那の足から手を離し、そのまま2、3秒の間、動けなくなる。

 その間に水那は俺から距離を取り、再び靴を履こうとしていた。


「……何してんの?」


 セッカの声に、ハッと我に返る。

 今の……何だった? 何が起こった?


「あっ、ミズナ! 靴を履いちゃ駄目だよ! 手当てするから!」


 そう言うとセッカは素早く水那の右足を捉え、踵を見た。


「……気づいてたのか?」

「休憩する直前ね。何か足を庇ってたから。それで……塗り薬はあるけど、布はすっかり忘れてたからさ。あの家から借りてきた」


 水那は、セッカにはあまり抵抗しなかった。

 セッカは手早く薬を塗ると、小さい布を何枚か傷に充て、長い布で踵をぐるぐる巻きにした。


「これでよし、と。擦れるとひどくなるから、保護しないとね」

『……ありがとう』

「ははっ、今のは分かった。覚えたよ」


 セッカが少し嬉しそうに笑った。


 ――それよりも。

 さっきの水那の言葉……パラリュス語だったよな。ひょっとして、あれが……水那のフェルティガ、強制執行カンイグジェってやつか?


『……水那』


 水那がビクッとしたように俺を見上げた。


『さっきの……』

『……!』


 水那は激しく首を横に振った。

 今は聞くな、ということだろうか。


『……わかった。後でな』


 俺は溜息をつくと、荷物を背負った。


「セッカ、そろそろ行くか?」

「うん!」


 セッカは布や薬を片づけると、すっくと立ち上がった。

 俺達三人は木陰から出て元の道に戻ると、照りつける光の下、再び西に向かって歩き始めた。

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