第141話 片割れを呼ぶ

 何も見えていなかった。


 少しの間、半分になった剣を見つめていたが、ステラの目はその光景を認識していなかった。


 彼女の世界に色かたちが戻ったのは、ずん、という音を聞いたときだ。


 腹の底に響く重低音。不本意ながら聞き慣れてしまった『冥府と沈黙の神』の足音――それを捉えた瞬間、ステラはとっさに転がる。一瞬後、彼女が元いた場所に巨大な足が落ちてきた。床に手をついて跳ね起きたステラは無意識のうちに息をのむ。


 再び手もとを見る。衝撃に代わって、焦燥が胸を焼いた。


「最悪……」


 よりにもよって今、武器を失うとは。歯噛みしたステラはけれど、すぐに身をひるがえした。迫ってくる拳を二度ほど避け、神殿の端で立ち止まる。靴が石の床を激しくこすって、ざらついた音を立てた。彼女のすぐ背後から、透明な刃が飛ぶ。魔導術で形作られた氷の礫はヌンの巨体に次々ぶつかり、パラパラと鳴る。ヌンは、小首をかしげながらそれを払いのけていた。


「ステラ、怪我はないかい?」


 ジャックがやや切羽詰まった声で問うてくる。ステラは振り返って苦笑した。


「大丈夫」

「剣は――」

「あ、うん。この通り」


 ステラは、刃半分と柄だけが残った剣を掲げる。ジャックは口を半開きにして固まった。


 オスカーが戻ってきたのはその頃だ。ヌンから目を離さぬまま飛びのいてきた彼は、巨大な黒衣に動きがないと見て取ると、ステラの方を振り返る。


「最悪だな」


 剣に目を留めると、持ち主とまったく同じ感想をこぼした。


「どうするんだ」

「どうしよっか」

「おい」


 ステラが口角を上げて返すと、オスカーはじろりとねめつけてくる。


 彼女はかぶりを振って、前を向きなおした。


 折れた剣を無理やり鞘に収める。瞑目し、体の末端に意識を集中させる。


「まあ、折れちゃったものは仕方がないし――」


 血とともに、魔力が巡る。その音を聞き、その熱を感じ。


 二十の指先に力が集まったことを確かめて、目を開いた。


「なんとかするしかないでしょ」


 ステラが呟くと同時、ヌンが身じろぎする。彼がこちらに腕を伸ばしたのを見て、彼女はすぐさま駆け出した。オスカーもそれに追随する。


 大ぶりの攻撃を避けて、ヌンの懐に飛び込む。そしてステラは黒衣に掌底を叩きこんだ。銀色の火花が激しく散って耳障りな音を立てる。それはヌンに確かな痛手を与えたようだが、ステラの手のひらにも嫌な熱が走った。


 ステラは反射的に飛びのく。入れ替わるようにオスカーが飛び出し、同じ場所に蹴りを入れた。大きな体が左右に揺れる。


 相手をうかがいながら後退したステラは、手を広げて「うへえ」と情けない声をこぼした。右の手のひらが真っ赤になっている。火傷ではないようだが、じんじんと嫌な痛みが残っていた。


「剣通さないだけでこれとか……今度から武器無しの制御練習もしなきゃなあ」


 ステラはうっそりとひとりごつ。


 のんきに呟いていられたのは、そこまでだった。


「前方注意!」


 ごう、と風がうなるとともに、オスカーの鋭い声が飛ぶ。言葉に引っ張られるようにして顔を上げる。ヌンの手が、再び眼前に迫っていた。


 ステラは両手に魔力を集中させ、とっさにそれを突き出した。思い切りのいい――悪く言えば、雑な一撃を真正面から受け止める。


 神の力がぶつかり合う。その狭間で力が弾け、空気が乾いた音を立てた。


 ステラは歯を食いしばり、ゆっくりと腰を落とす。両足で地面を踏みしめる。ヌンの手を押し返しながら、声を絞り出した。


「オスカー! ジャック!」


 声に呼応するように、背後で光が瞬いた。ぶわりと砂煙が巻き起こり、ヌンの頭部にまとわりつく。その直後、オスカーが巨人の膝上めがけて回し蹴りを叩き込んだ。その振動を合図に、ステラも両腕に力を込める。


「――らぁっ!!」


 力と声を同時に押し出し、ヌンの手を払う、あるいは放り投げるように腕を動かす。突き飛ばされた黒い巨人の姿がぶれた。


 ステラはその姿を見て、深々と息を吐く。――そのとき、耳元で風が鳴った。


「ステラ、まだだ!」


 地下神殿の端から悲鳴が上がる。


 ステラは風のの方を振り返った。視界いっぱいの拳を見る。


 これは、だめだ。そんな一言が頭の中で弾けた刹那――世界が、黄金色に覆われた。



     ※



 無数の球体が迫る。その数と軌道を目で追って、レクシオは剣を振った。球体の半分を叩き落とした直後、左手で構成式を編み上げる。正面で小さな爆発が二、三度起き、残りの球体をすべて吹き飛ばした。


 爆発の名残である黒煙が、つかの間あたりに立ち込める。その中にアーサーが躊躇なく踏み込んだ。勢いよく前へ飛び出した彼は、ダレットめがけて剣を突き出す。甲高い音がこだまして、剣と剣が交わった。


 何度かの打ち合いののち、アーサーの剣がダレットの急所を捉える。けれど彼女は、その一撃を大きくのけぞってかわした。かと思えばすぐに元の体勢へと戻り、皇子めがけてお返しの斬撃を放つ。アーサーは得物の先でそれを払いのけると、大きく後ろへ退いた。


 ダレットはすぐさま指を鳴らす。すると、またいくつもの球体が現れた。さらに彼女が手を振ると、黒く長い物が指先から立ち昇る。それは煙のようにも影のようにも見えた。大きくうねりながら地面に降りると、一転、まっすぐ伸びて人間たちの方に向かう。


 レクシオは身構えた。しかし、俊敏に動く黒はレクシオとアーサーの間をすり抜ける。黒が狙ったのは、二人の後ろに控えている少女だ。


 ミオンは、迫る物に気づくとすぐさま構成式を広げる。凄まじい勢いで編みあがったそれは、輝きほどけて空気に溶けた。すぐ後、あられに似た白い粒が地下神殿の一角に降り注ぐ。冷たい一撃をまともに浴びた黒蛇は、しゅうしゅうと湯気のようなものを噴き上げながら消えた。


 レクシオとアーサーは、知らず安堵して肩の力を抜く。しかし、感情に浸っている暇はなかった。襲い来る半透明の球体を見据え、それを片っ端から割り落とす。


「まったく、きりがない!」


 攻防のさなか、アーサーが独語した。レクシオも、しかめっ面でうなずく。


 例えば、相手が人間の戦士や魔導士だったなら、体力切れや魔力切れを待てばいい。ここにいる三人はいずれも、そういった持久戦に耐えられるだけの力を持っている。


 だが、ダレットはそもそも人間ではない。力が切れるということは、ないと思った方がいいだろう。むしろ、長引く戦いの中で消耗するのは、レクシオたちの方だ。


「何か突破口があれば……つっても、そんなもんがわかれば苦労しないか」


 最後の一個となった球体を割りながら、ぼやく。その顔には、汗とともに疲労の色がにじみ出ていた。


 消耗しているのは体力や魔力だけではない。球体を割るたびに、彼の記憶から生まれたものが心に干渉してくるのだ。防護しているとはいえ、長く続けば精神がすり減るのは必至だった。


 球体の破片が飛び散る先で、ダレットは悠然とほほ笑んでいる。次の手を打ってこない彼女をにらみながら、アーサーが目を細めた。


「突破口、かどうかはわからぬが……」


 聞こえるか聞こえないか、という声量でささやいた彼は、レクシオを振り返る。


「レクシオどの。なるべくダレットとの距離を詰めるように立ち回っていただいてもよいだろうか? むろん、無理のない程度で構わない」

「へ?」

「確かめたいことがある」


 ぱちくりとまばたきしたレクシオだったが、続く皇子の言葉を聞いて表情を引き締めた。――今までこの戦いに関わりのなかった人だからこそ、見えるものもあるかもしれない。


「わかりました。やってみます」

「感謝する」


 短く言葉を交わす。そして二人は、呼吸を合わせて駆け出した。


 今度はレクシオが率先して前に出る。放たれた黒い影を少しの足運びで避けた彼は、大きく踏み込んだ。横薙ぎに剣を振る。ダレットは、わずかに目を細めてそれをかわした。左手を軽く振ってから、すぐ得物に添える。眼前に球体が現れたことに反射の光で気づいたレクシオは、すぐさまそれを切り払った。澄んだ音が耳元で響く。


 その間に、アーサーがダレットのもとへ飛び込んでくる。ダレットは今度、躊躇なく剣を構えて応戦した。アーサーの攻撃が抑え込まれる。だが、彼は逆にダレットの剣をすくい上げるようにして押さえ、その隙間に刃を滑らせた。


 だが、刃が到達する前にダレットの姿が消える。剣だけが残され、宙を舞った。アーサーが瞠目する。一瞬後、ダレットは少し離れた場所に再び現れた。


「やれやれ、何でもありか?」


 アーサーは、切っ先を相手に向けたまま、わずかずつ足をずらす。そうしてレクシオの隣までやってきた。


「……やはり、レクシオどのを避けているな」

「そういうことですか」


 皇子のささやきに、レクシオも神妙に応じる。アーサーが何を見ていたのか、彼もすでに気づいていた。


 ダレットは、レクシオと直接交戦するのを避けている。先ほどもレクシオに向けては球体を差し向けたのに対し、アーサーとは剣を交えていた。


「でも、セルフィラ神族が『翼』を警戒するのは当然――」


 首をかしげたレクシオはしかし、呟いている途中で黙り込む。そして、自らの言葉を打ち消した。


「――いや、逆だ」


 アーサーがそこを気にしている理由、もっと言えば「ある違和感」に気づいたのだ。


 今までのセルフィラ神族は、『翼』をまっさきに狙ってきた。警戒しているからこそ、早々に始末せねばならないと考え、殺しにかかってきた。


 なのに、今のダレットはレクシオを避けている。『翼』が二人揃ったからか。それとも、ステラが仲間の一人を消し去ったからだろうか。


 確かな答えはわからない。だが、そこに付け入る隙があるかもしれない。


「……いっちょ、やってみますか」


 レクシオは、唇を舌で軽く湿らせて、口の端を持ち上げる。そんな彼を一瞥したアーサーも、ちらとほほ笑んで臨戦態勢をとった。


 少年も手先に意識を集中させる。剣の刃に魔力を集めようとして――ふと、視界に違和感を覚えて目を上げた。そして、絶句する。


 剣が、魔力を通していないにも関わらず、黄金色に輝いていた。しかも刃だけではない。剣全体が光に包まれている。


「なっ……んだ、こりゃあ?」


 素っ頓狂な声が上がる。それが自分のものだと、レクシオはやや遅れて気がついた。


 アーサーも口をあけっぱなしにして剣を見つめていた。が、彼はすぐに表情を引き締めて背筋を伸ばす。レクシオもそのときになって、肌が粟立つのを感じた。


 ダレットが迫ってくる。今までの躊躇をかなぐり捨てるかのように、レクシオをにらみつけてきていた。黒い影を身にまとわせ、腕を振りかざす。


 レクシオが動く前に、アーサーが踏み込んだ。彼とダレットの間に割って入る。黒いものがまとわりついた腕を剣が弾いた。しかし、ダレットは少しも動じず追撃を加える。立て続けに衝撃が加わったことで、アーサーがじりじりと押されはじめた。


 その間にも、剣の輝きはどんどん強くなっていく。そして、とうとう物の輪郭が見えなくなった頃――光が勢いよく上に伸び、天井を突き破った。


 地下神殿を金色こんじきの光が薄く覆う。光の幕は、天井から足もとへと静かに降りてきた。


 ややして、天井の中心に新たな光がぽつりと灯る。光を見上げたレクシオは、その中に物体があることに気づいて唖然とした。


「は……? なんで、あれがここに……」


 光に包まれているのは、剣だ。学院祭フェスティバルのときにステラがもらい受け、レクシオに預けてきた剣。彼が今回、寮に置いてきたはずの片割れだった。

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