第四章 『金の選定』

第111話 一条の光

 シュトラーゼ聖堂前広場では、依然終わりの見えない戦闘が続いている。


 突然湧いて出た黒い獣は、倒せない。剣も、弓も、拳も、銃器も――魔導術すら効かないのだ。人間たちにはお手上げと言っていい。


 それでも、広場に残った軍人たちは戦い続けた。せめて、この恐ろしい者どもを広場から出さぬように、と。警備責任者であり総司令官であるラキアスの言葉を守り、彼らは二人以上の集団を作って、力の限り獣たちに応戦していた。


 広場のただ中、若い兵士が獣の一頭を斬ろうとした。耳をかすった斬撃に驚いたのか、獣は不快な叫び声を上げて飛び退る。やはり、傷一つついていない。自分の剣が何の戦果もたらさなかったことを知った兵士は舌打ちしたが、すぐに体を反転させる。横合いから襲いかかってきた、黒い鳥のようなものを盾で突き飛ばした。


 鼓膜を突き刺すような高音がこだましたが、それはすぐ戦いの音にかき消される。大きく息を吐いた兵士は、雑に束ねた金の髪が乱れることを意に介さず、次の獣へ向かっていく。


 この兵士のまわりでも、同じような戦いが繰り広げられていた。終わりの見えないどつき合い、そんな印象だ。時折、弓や銃器での援護もあるようだが、やはり黒い群れは揺らがない。


「くそっ、いつ終わるんだよ、これ……!」


 ぼやいた兵士は、しかし視線を巡らせて息をのむ。乱戦の中、別の若い兵士が、四方から獣に襲いかかられていた。知らない顔だが、関係ない。盾を前に出して突進した兵士は、彼の背後に迫っていた獣たちに剣を振りかざした。


 犬のようなものと、蛇のようなものが、迷惑そうに後退する。その声と、兵士の足音に気づいたのだろうか。別の兵士――黒髪を耳が見えるほど短くしている、二十代中頃の青年――が振り向いた。


「す、すまない、助かった」

「礼は後でいい」


 短く返した兵士は、彼の斜め後ろに立つ。


 そこで、黒髪の兵士が一人であることに気づき、眉を寄せた。他の者たちとはぐれてしまったのだろうか。それとも――

 兵士は、かぶりを振って嫌な想像を追い払う。その代わりとばかりに、悪戯っぽい笑みを作って、後ろに語りかけた。


「……そうだな、懐に余裕があるなら、酒の一杯でもおごってもらおうか」

「それはもちろん。お互い生き残れたら、だけど」

「違いない」


 悪童のような笑みを交わした兵士二人は、獣たちの気配を察して、そちらに意識を戻す。そして、彼らは図らずも、同時に顔を引きつらせた。


 こちらへ向かってくる獣の群れの中に、いっとう大きな個体がいる。熊のようなものが一頭と、うしのようなものが一頭。その大きさと放たれる圧にひるんで、金髪の兵士は手足を震わせた。


「おいおい、勘弁してくれ」


 あんなものに突っ込まれたらひとたまりもない。武器が効かないのだから、なおさらだ。

 どうか通り過ぎてくれ――という兵士たちの願いをあざ笑うかのように、熊が彼らの方を見る。獲物を見つけたあやしき熊は、仲間を伴って向かってきた。


 喉を引きつらせ、それでも彼らが盾を構えたとき。細い風切り音がした、気がした。


「はい、ほい、はい…………ど――ん!」


 それは、気のせいなどではなかった。


 風を切り裂く細い音の後、白い光が獣たちの頭上に走り、それに合わせてこの場にそぐわぬ陽気な声が響く。声の主は最後に、熊の頭上に現れると、その頭に剣を突き入れた。


 熊が地鳴りのような悲鳴を上げる。ひるむ兵士たちと熊をよそに、その人物は着地した。重力などないかのような身軽さだ。


 獣の咆哮をやり過ごした金髪の兵士は、盾のむこうから状況を確かめる。

 赤毛の子が立っていた。一瞬、少年かと思ったが、よくよく見ると少女だった。くせのある赤毛を風雪にあそばせた少女は、獣どもに剣を突きつける。


「ふっふっふ……ブライス・コナー、避難誘導を終えて華麗に参上、だぜ!」


 明るい声で名乗った少女、ブライスは、獣たちに挑発的な笑みを向けた。


「君は」


 兵士二人の声が揃う。それを聞きつけたブライスは、これまた軽快に振り返った。


「おっ、と。軍人の皆さん、お疲れ様です! 場を持たせてくださって、ありがとうございます!」


 少女は見本のような敬礼をする。金髪の兵士は、驚きに目を見開いた。先ほどの身のこなしといい、剣さばきといい、士官学校か何かの生徒だろうか。一瞬よぎった彼の疑問に、少女はあっさり答えをくれる。


「改めまして、クレメンツ帝国学院高等部一年、武術科は剣術専攻所属のブライス・コナーと申します! 一般の参加者さんの避難が終わりましたので、加勢させていただきます!」


 言い終わるなり、ブライスは地面を文字通り蹴る。多量の雪を迫る獣たちにぶつけ、ついでにその目もとへ二発ほど突きをお見舞いした。獣たちは、またひるんで、後退する。


「私の同級生たちが、他にも何人か戻ってくると思うんで! もうちょい頑張りましょう!」


 ブライスが、兵士たちに幼子のような笑みを見せた。その、次の瞬間。金髪の兵士が見上げた先で、青白い火柱が上がった。



     ※



 広場の中心部にブライスたちが戻ってきた頃。端の方でも、これまた苛烈な戦闘が繰り広げられていた。


 ラキアスが間断なく獣たちに剣戟を叩きこむ。その横から、レクシオが鋼線や魔導術で援護していた。今も、素早い鹿のようなものの足をしなやかにした鋼線で絡めとる。そこへすかさず、横薙ぎの一撃が叩き込まれた。鹿は、とてもそうとは思えないような濁った悲鳴を上げて、逃げていく。そうかと思えば、群れのただ中で再び反転したようだった。


 積雪が飛沫しぶきとなって乱れ飛ぶほど、激しい戦闘。そのかたわらで、ミオンが短い構成式をいくつも連ね、それを上空へ飛ばした。構成式は拳大の氷の礫に変わり、迫っていた怪鳥の群れを打ち落とす。いくらかはその攻撃を避けてこちらへ向かってきたが、彼らが人間たちに襲いかかるより早く、赤い球がその体を包んだ。半透明の球の内側で、形容しがたい爆発が幾度か起きる。


 ミオンのかたわらで、神官服をまとった少年が、その光景をにらんでいた。球が消え、墜落しかけた鳥が低空で体勢を立て直す。それを見て少年は、弱々しいうめき声を漏らした。


「これも効かないか……大司教様クラスの神聖魔導術じゃないとダメかな……」

「で、でも! とっても助かりましたよ、カーターさん!」


 ミオンが少年を振り返り、早口で言う。カーター・ソフィーリヤは「ありがとうございます」と弱々しい笑みを返した。


 少年少女のかたわらで、叫びの四重奏が響く。びっくりして振り向いた彼らの視線の先で、ラキアス・イルフォードが剣をだらりと下げていた。彼は、まるで湯上りのように一息ついている。


「本当に終わりが見えないな、これは」

「ここ数分で二十頭近く切り捨てた人の言葉じゃないですね」


 獣たちに目を向けたまま、レクシオが応じる。ぼやきながらも涼しげな表情をしているラキアスとは対照的に、少し息が上がっていた。レクシオも学生の中では実力者で、経験豊富な方だが、現役の大人についていくのはさすがに厳しい。しかも、隣にいる大人は『北極星の騎士』を継ぐかもしれない人なのだ。色々と差がありすぎる。


 そのことを認知しているのか、いないのか。ラキアスは軽く肩をすくめると、再び剣を持ち上げた。


「まあ、一種の我慢比べなんだろうな。とことん付き合ってやるとしよう。まだいけるかい、学生諸君?」

「ま、あなたが一緒なら、なんとか」

「だ、大丈夫です!」

「ぼくもまだ動けます」


 青年の問いにそれぞれの答えを返した学生たちは、陣形を整え、武器を構える。


 獣たちは懲りずに飛びかかってくる。その瞬間、ミオンの剣のまわりにかすかな魔力がまとわりついた。彼女はそれを一閃させる。巨体を持つ牛のような獣が大きくのけぞり、周囲の獣も少しひるんだようだった。


 彼女の攻撃に続くようにして、ラキアスの剣と、レクシオの鋼線がうなる。数頭の獣が派手に弾き飛ばされた。その隙間を縫って別の獣たちが飛び出してきたが、彼らは人間を食らう前に弾き飛ばされる。カーターが、一同のまわりに薄い防壁を展開したのだった。


 獣たちは、うなり、あるいはキィキィと鳴いて距離を取る。人間と黒い包囲網の間に、いささか大きな空白が生まれた。人間たちは構えを解かず、次の衝突の時を探る。


 そんなときだった。突如、天地が大きく震えたのは。


 レクシオたちは、さすがに顔をこわばらせてあたりを見回す。獣たちは襲ってこなかった。彼らも何かを警戒するようにうなっているのだ。


「じ、地震ですか……?」

「いや。それにしては揺れ方が不自然だ」


 おろおろと周囲を見回すカーターに、ラキアスが鋭く答える。直後、また地面が揺れた。ドンッ、と一度、突き上げるように。そして、続きの揺れは来ない。よろめいた人間たちがさすがに眉を曇らせたとき――空を仰いだミオンが、別の変化を見つけた。


「み、皆さん! あれ!」


 少女の悲鳴と白い指を追った三人が、目をみはる。


 聖堂の裏から、太い光の柱が立ち昇っていた。光の金色は、白い空の中でひどく浮き立って見える。


 聖堂前広場がざわめく。光に気づいた人々が、口々に何か叫んでいるようだった。そんな中、学生たちだけが口をつぐんで光をにらむ。

 ややして、カーターが唇を震わせた。


「あ、あれは……」


 レクシオとミオンは、思わず彼をまじまじと見る。神学専攻の少年は、両目を潤ませ、全身を抱いていた。


「金の、選――」


 感嘆の言葉が終わる前に、光の柱が甲高い音を立てる。それは奇妙にねじれて、聖堂前広場のある一点をめがけて降ってきた。


 いくつもの悲鳴が聞こえる。獣の咆哮が連鎖する。そんな中、レクシオたちは視界が金色に染まっていくのを感じていた。――いや、そういうふうに感じたのは、もしかしたら一人だけだったのかもしれない。


 少年は、緑の双眸を見開く。

 視界は光に塗りつぶされ、聴覚は無音に閉ざされる。

 その中で、誰かの泣きそうな声が自分の名を呼んだ気がした。



     ※



 気づけば、レクシオは知らない場所に放り出されていた。

 いや、を『場所』と呼んでいいのかどうか、わからない。


 一面が金色の光に覆われた空間。

 天も地も、壁もない。


 そこをレクシオは、ただ漂っていた。どうしていいかわからない。戸惑っている彼の前を、無数の映像が通り過ぎていく。ひととおり困惑した彼は、とりあえずその映像を食い入るように見た。


 知らない場所、知らない人、知らない声。

 なのに、それらを妙に懐かしく感じる。


 男と女。

 男と男。

 女と女。


 時代も、年齢も、おそらく国籍も違う彼らの言葉が、妙に近しく思える。

 レクシオは気づいた。彼らは、同じようなことを言っているのだ。


『あなたの友として、剣として、盾として』


 違う音で。


『ここに在り続けることを誓う』


 違う言語で。


『私も誓おう』


 ただ二つの、言葉を――


『あなたの戦友として、伴侶として、王として――あなたと共に歩むことを』


 その記録の数々は、頭の中に直接流れ込んでいる。そのことにレクシオが気づいたのは、いつだっただろうか。


 気づいて、自覚した瞬間、情報の奔流が彼を襲う。激しい頭痛を感じて、思わず体を丸める。


 いくつもの声が。いくつもの事実が。小さな器に蓄積していって。

 それがあふれそうになったとき、少年は全てを知った。


「ああ、なんだ」


 笑声がこぼれる。


「そういうことだったのか」


 涙が頬をつたう。


 その意味を、レクシオはすぐに知った。心の声を聞いたのだ。

 けれど――これを口に出したら彼女は怒るだろうか、と考えると、心に反してほろ苦い微笑が生まれる。


 蓄積した情報は、あふれる前に吸い込まれた。そしてそれは、金色こんじきの流れに変わる。


 世界はやがて、まばゆい光に覆いつくされた。



     ※



 ヒトの嫌悪感を掻き起こすような雄叫び。

 それを聞いて、レクシオは我に返った。


 風が身を切るほどに冷たい。雪は勢いを増し、視界を白く染め上げている。そして、そんな中でも妖魔じみた獣たちの黒はよく見えた。

 彼らは、ひどく興奮しているようだ。先ほどから、絶え間なく吠える声が聞こえる。


「一体……何が起きているんだ?」


 うめくような声がする。それがラキアスのものであると、レクシオは数秒遅れて認識した。少年は数度まばたきをして、隣に立つ青年を見上げた。彼は、露骨に顔をしかめて、獣たちをにらんでいる。


 ようやく、地に足がついた感覚になる。しかし、少年に一息つく暇は与えられなかった。


 すぐそばで悲鳴が響く。レクシオとラキアスは、同時に振り返った。

 背中合わせで立つミオンとカーターに、獣の大群が襲いかかっている。彼らはすぐさま剣と術で応じたが、剣は弾かれ、術は獣にぶつかる前に霧散した。二人が青ざめ、凍りつく。


「まずい――」

「ミオン! カーター!」


 レクシオとラキアスは、同時に体の向きを変えた。レクシオが先んじて駆け出す。彼は何かを考えるより前に、鋼線を構え、魔力を通していた。強く雪を蹴ると同時に、それを全身で振る。


「いけない、レクシオくん!」

 ラキアスの警告はしかし、雷撃のような音にかき消された。


 まばゆい金色の光が宙を奔る。それは何よりも鋭利な刃となって、獣の大群を一文字いちもんじに切り裂いた。


 彼らは今度、叫ばない。切り裂かれたところから、黒い何かが噴きあがる。

 誰もが唖然として見守る中――獣たちは、消えた。

 後には薄墨のようなものだけが漂い、それすらも風雪にさらわれる。


「え……」


 言葉にならない声を漏らしたのは、誰だったろうか。

 呆けたようなその音は、不自然な静寂の中に波紋を生む。


 物音ひとつ立てることさえはばかられる空気。その中で、一人の少年だけがどうじずに動く。彼は、二人の学友をかばうように立って、再び武器を構えた。


「レクシオ、さん」


 少女の声が、彼を呼ぶ。レクシオは振り返った。驚愕を相貌に貼り付けている少年少女と目が合う。カーターが、震える指で、彼の体を示した。


「あ、あの……それ……その、光……」

「――ああ」


 要領を得ないカーターの言葉に、レクシオはいつものような相槌を打つ。それから、困ったようにほほ笑んだ。


「どうも、そういうことらしい」


 薄い金色の光が、彼の全身を覆っている。

 それは、『銀の選定』直後のステラと全く同じ状態だった。

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