第三章 白雪の約束

第81話 凍てつく心

 吹き抜けた風に弄ばれて、雪の粒が四方八方に舞う。それは白い帯に変じて、共同墓地を薄く覆った。


 体を奥から凍らせるような冷気が、墓地に佇む人々を包みこんだ。それでも彼らは動かない。冬の静寂しじまより冷たい沈黙の中で、ただお互いの姿を目に焼き付けていた。


 ステラは何も言えず、幼馴染の横顔を見つめている。そのまなざしはどこか冷たく、正にせよ負にせよ、心の動きはうかがえない。少し前、確かに表れていた驚愕と動揺は、剥がれ落ちてしまったようだ。


 そろり、と視線を前に戻す。どういうわけか両親の墓前にいるヴィント・エルデは、先ほどから表情ひとつ変えていない。彼もまた、しばらく無言だった。だが、ふいに顔をわずかに動かして、ステラの方を見た。雪に阻まれて細かい動きなどほとんどわからない。なのにステラには「見られた」ことがわかった。


「……そちらの娘は、ディオルグとリーシェルの子か」


 低い声が沈黙を破る。同時に、ステラは心臓が跳ねる音を聞いた気がした。知らない人が、知らない声が、両親の名を紡いだ。彼女のうちに、感じたことのないような熱が駆け巡る。


 けれども、それを飲み下して、ステラは礼を取った。


「……その通りです。私はステラ・イルフォード。クレメンツ帝国学院高等部武術科所属、そして――イルフォード家の後継者候補です。あなたは、ヴィント・エルデですね?」


 わざと敬称をつけず、名を問う。それはステラなりの、ひどく子供っぽい反抗だった。


 ヴィント本人は、少女の反抗を歯牙にもかけず、淡白に応じる。


「そうだ。俺のことはレクシオから聞いたな」

「ええ、まあ」

「二人揃ってここにいるとは、なんとも奇妙な話だ。俺とおまえの父との間にあったことは、何も知らないのか」

「不本意ながら、昨日知りましたよ。兄が怒り心頭でした」

「知った上で行動を共にしているのか? 二人とも、親に似て物好きだな」


 淡々と続いていた言葉の応酬が、そこで途切れる。ステラは、顔を引きつらせて盛大にため息をついた。レクシオがぽかんとしたことにも気づかないまま、頭を抱える。


「……両親の件がなくとも、あなたには言いたいことが山ほどあるんだけど。今は置いておくわ」


 いら立ちを隠すこともせず、ステラはヴィントをにらみつけた。彼はフードの下で目を丸くしている。無表情に思われた男の相貌を動かすことに成功したわけだが、ステラ自身はちっとも嬉しくなかった。


 そんな些事よりもずっと重要な課題が、二人の間には横たわっている。

 ステラは、冷徹を装って、それを口に出した。


「あなたに確認したいことと、訊きたいことがある。――あなたが私たちの両親を手にかけたというのは、事実?」


 誰かが息をのむ音がした。それでも、ステラは頑として視線を逸らさなかった。


 ステラが持っている情報は、ラキアスから聞いたものだ。まだ、この親子から事実確認をしたわけではない。レクシオの方は記憶が曖昧だろうし、精神的外傷トラウマを掘り返すことをしたくなかった。ならば、ヴィント本人に聞くしかない。

 だからステラは、今問うた。ここで彼と遭遇したのは予想外だったが、幸運でもある。


「事実だ」


 ヴィントは表情を消して、肯定した。あっさりと。


「あの二人は、俺が殺した。確かに」

「どうして?」


 重ねて問いをぶつけると、彼は沈黙する。予想していたことだ。ステラはだから、淡々と言葉を継ぎ足した。


「あなたは、父上に保護されていたと聞いているわ。それでどうして、お二人を殺すことになったの?」

「たいそうな理由はない」

「レクシオの話を聞く限りだと、あなたが理由もない殺しをするようには思えないのだけれど」


 ステラは刺々しく切り返す。強気を装っているのもあるが、彼と会話していると勝手に口調がきつくなるのだ。一語交わすたびに、胸の内で正体のわからない靄がゆらゆらと蠢く。


 ヴィントは少し、視線を動かした。彼に一瞥されたレクシオが、少し困ったふうに肩をすくめる。ステラから見れば、その動作はちょっとわざとらしかった。


 息子の態度に何を思ったのか。ヴィントは少年から視線を逸らすと、軽くため息をつく。


「……知ってどうする? 裏事情を知ったところで、おまえたちにできることはあるまい」


 何かをあきらめた――放り投げたような物言いを聞き、ステラは眉根を寄せる。


 上手く言葉にできない感情が、腹の中でどろりと動く。先刻からわだかまっていたそれは、一気に濃さを増し、少女の理性の糸を焼いた。


「それは、あなたが決めることじゃない」


 一歩前へ、進み出る。親子が目をみはったことに気づかぬまま、ステラは男を鋭くにらんだ。


「最もらしい言葉でごまかして、逃げ続けるつもり? ああなるほど、今までもあなたはそうやってきたのね」

「おい、ステラ」

「あなたがそんなだから、事態がややこしくなってるんじゃない。レクはずっと素性を隠して悩み続けていた。兄上は怒りを溜め込んで、彼に刃を向けたのよ」


 幼馴染の制止を振り切って、ステラは言葉を相手に投げつける。怒りやいら立ちをぶつけたところで、何も進展はしない。わかっていても、言ってやらねば気が済まなかった。


「ヴィント・エルデ。あなたがイルフォード家の敵でないというのなら、今もレクの父親であるというのなら……それを証明してみなさい!」


 鋭い音が墓地の静寂を切り裂く。その音を、空気の振動を、ステラは他人事のように感じていた。


 氷雪のような視線が返る。緑の瞳は凪いでいて、心に蓋をしているかのようだ。それでも、ステラを映したその目は、一瞬揺らいだ。


 再び、ため息が落ちる。それは、明らかにヴィントのものだった。


「確かに。おまえは、彼らの娘だな」


 ステラはきょとんと目を瞬いたのち、思わず顔をしかめた。それはどういう意味だ、と彼女が問う前に、ヴィントは再び口を開く。


「いいだろう。俺の主観でよければ、話してやる」


 ともすれば聞き逃しそうな低い声でささやいた男は、にわかに体を翻した。少年少女の前を横切ったヴィントは、呆然としている二人を振り返る。


「ついてこい」


 それだけ言って、彼はまた歩き出す。


 ステラとレクシオは戸惑って顔を見合わせたが、男の影がぐんぐんと遠ざかっていくことに気づくと、慌てて後を追った。



 ヴィントに案内されたのは、共同墓地からほど近く、路地に入った先の喫茶店だった。小ぢんまりした外観とは裏腹に店内は広く、客もそれなりに入っている。


 点々と灯された明かりの下を男は淡々と進み、最奥の席を確保した。領主殺しの指名手配犯がこんなところにいるのが知れれば大騒ぎになるのでは――とステラは冷や冷やしていたが、彼女の疑問に対する男の答えは、そっけない。


「問題ない。ここならな」

「ここなら? どういうこと?」


 ステラのささやきに、ヴィントは答えない。代わりに、手振りで座るよううながしてきた。顔をしかめたステラの肩をレクシオが叩いた。彼は微苦笑して、小さくかぶりを振る。その態度を見てステラもあきらめ、素直に椅子をひいた。ここで揉めていては、永遠に話が進まない。


 ヴィントが相変わらずの低い声で店員を呼ぶ。緊張している少年少女の様子など見えていないかのようだ。いちいちいらだっていてもしょうがない。せっかくなので、ステラは温かい紅茶を頼んだ。


 店員が雑踏の中へ消えた後、ヴィントが静かに口火を切る。


「ステラ、といったか。おまえは俺たちのことをどこまで把握している?」


 ステラは目をみはる。突然水を向けられて頭が真っ白になったが、なんとかミオンとレクシオの話を思い出した。


「ええと。あなたたちがルーウェンに住んでいたこと、『解体』から逃れたこと。のちにシュトラーゼを訪れて、うちに保護された後……その、事件があったこと。そのくらいかしら」


 渇いた口を何とか動かして、言葉を紡ぐ。その直後、ふと思い立って幼馴染を振り返った。


「そういえば、レクが一人で帝都に入ったのって、いつのこと?」

「ああ。シュトラーゼを離れて……半年後くらい? いや、もうちょっと早かったか?」


 レクシオが首をひねる。自信なさげな彼の言葉を補うように、ヴィントが呟いた。


「そうだな。俺とおまえが別れたのは、事件のおよそ四か月後だ。その場所から帝都までは、子どもの足で二十日といったところだろう」


 なるほど、とステラたちはうなずきあう。そんな二人に、ヴィントは無色の視線を向けた。


「では、ステラ・イルフォード。『ルーウェン解体』でどのようなことが行われたかは、知っているか」


 その口ぶりは、さながら教師のようだ。ステラは居住まいを正し、息を詰める。


 ――『解体』の内容は想像できる。魔導の一族と呼ばれる人々が語る口ぶりと、その態度を重ね合わせれば、見えてくるものがあった。だが、それはあくまで想像だ。事実として、知識として知っていることは、ごくわずかだった。


「具体的に何が行われたかは、全く知らない。『解体』のこと自体、最近知ったくらいだし。ただ……予想はついてる」


 だから、ステラは正直にそう答えた。

 ヴィントの反応は相変わらず淡白だった。「そうか」とだけ言って、店内を一瞥する。それからまた、すぐに少年少女へ視線を戻した。


「では、そこから順に話していくべきだろうな」


 緑の瞳が、うかがうようにレクシオを見たのは、幻覚だろうか。

 少なくとも、ステラがそれに気づいた次の瞬間には、彼はステラを見ていた。


「今では『ルーウェン解体』ともっともらしい名で呼ばれているが、その実態は破壊と虐殺だった」


 ステラは思わず息をのむ。


 語り出しは、文章のごとく淡々としていた。ヴィントは、そこで一度言葉を切る。少しして店員が飲み物を運んできてくれた。


 全員の前にカップが置かれ、店員が立ち去っていった後、ヴィントは再び話し始めた。


「俺の友人や親族のほとんどが『解体』の最中に死んだ。軍人に殺され、あるいは町の崩壊に巻き込まれて。そして、俺の妻――レクシオの母親も、その日、殺された」

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