第59話 想いの波及

「おう、少年。今日もおでかけかい?」


 横合いから声をかけられ、ジャックとトニーはほとんど同時に振り向いた。警備員の男性が、帽子を少し持ち上げて、手を振ってきている。人のよさそうな笑顔が、光と陰で区切られていた。彼に向って、ジャックが礼儀正しく頭を下げる。


「はい。おでかけと言っても、学院のすぐ外側までですが」

学院祭フェスティバル関係か」

「そうですね。まあ、打ち合わせのようなものです」

「なるほど、大変だな。だが、学祭なんてのは一生に二度あるかどうかってことだからな」


 警備員は、明るく笑った。白い手袋が腰の短剣をなぞる。


「頑張って! めいっぱい楽しめよ!」

「ありがとうございます!」


 元気な声がけに、ジャック・レフェーブルも心底明るい声を返した。陽気で優しい警備員に手を振って、二人の少年は学院の門を越える。小走りしながら、トニーが帽子の下で笑みをひらめかせた。


「嘘ついちゃったなあ」

「嘘ではないよ。『学院祭フェスティバル準備の合間を縫った別の活動』だということを言わなかっただけさ」


 友人の悪戯っぽいささやきに、ジャックはあっけらかんと言葉を返す。

 二人が目指しているのは、学院にほど近い小さな喫茶店であった。



     ※



 ステラはテーブルに頬杖をついて、移ろいゆく帝都の街並みをながめていた。同じ制服を着た少女たちが、笑い声を弾けさせながら歩いていく。屋根のない馬車がからからと音を立て、彼女たちを追い抜いていった。いつも通りの温かい営みのはずだが、それが少し色あせて見えるのは、ステラ自身の感傷のせいだろうか。


 ふっと、真ん前に影が差す。ステラが顔を上げると、眼前にはナタリーが立っていた。彼女はステラに向かって片目をつぶり、ひらりと手を振ってくる。


「よっ、ステラ。今日もお疲れ様」

「ナタリーも……お疲れ様」


 一瞬の忘我から立ち直ったステラが返すと、ナタリーは隣の椅子を引いて座る。


「展示会、上手くいきそう?」

「まあ、なんとかね。途中、一部の男子と女子が揉めてどうなるかと思ったけど」


 気の強い少女は、大仰に両手を挙げてため息をつく。ステラは乾いた笑声でそれに応じた。どの学科も起きる問題は同じらしい。それをどうにかこうにか乗り越えるところも。


「まあ、それはそれとして。もうすぐほかのみんなも来るでしょ」


 体をステラの方に向けた友人が、そう言った瞬間。喫茶店の中から外の客席へと続く扉が開き、数人の学生が顔を出した。


「やっほー! ……あ、まだ二人だけ?」

「お待たせしました」


 オスカー、シンシア、ブライス。その三人にわずかに遅れて、ミオンとカーター。なじみ深い面々を迎えて、二人は顔をほころばせる。


「みんな、お疲れ様。団長たちが一番最後かな」

「ジャックたちは『魔導科』の学院祭フェスティバル準備に手こずっているらしい」


 ステラの対面の席を選んだオスカーが、短く答える。彼はちらりと通りの方を見つつ「また何か揉めたらしいな」と付け足した。それを聞いたナタリーが目もとを歪め、口を一の字に開いた。


「またあ? しまった、私ももう少し残っておけばよかった。あいつらもそろそろ、ジャック抜きで動けるようになってほしいんだけどな」

「……なるほど、『魔導科』の現状がなんとなく見える」


 またしてもオスカーが呟く。その言葉に、この場の魔導科生が微妙な表情で視線を交わした。ステラはそんなやり取りをながめて、ひっそりとほほ笑む。――オスカーの声が、温かいものを含んでいるように感じたのは、気のせいだろうか。


 全員の着席を待って、とりあえず飲み物を注文することにする。全員分の注文が済んだ頃に、最後の二人も姿を現した。片や陽気に、片や少し皮肉っぽく。いつも通りに登場した彼らは、あいていた席に腰かける。――そうして、ステラたちの団長が口火を切った。


「それじゃあ、昨日までの報告をしようか。誰から行く?」


 昨日までの報告――もちろん、「作戦」のことだ。団長の一言で、ブライスが元気よく手を挙げた。


「はいはい! 私たち、テイラー先生を味方につけることに成功しました!」


 嬉しそうに、けれど声を少し落として行われた報告。それを聞いた一同の上に、安堵と喜びのざわめきが広がった。シンシアは少しすまして、ミオンはほっとしたように、ほほ笑んでいる。


 ジャックとオスカーが得意げに目を見合った後、学院内で暗躍していた少女を見やる。


「それはすごい! テイラー先生は何か仰っていたかい」

「できる範囲で協力してくれるって。あと、署名活動とか呼びかけのしかたとか、いろいろ提案してくれた。もう一個、びっくりしたことがあったんだけど、これは秘密ね」


 楽しげにまくし立てていたブライスが急に勢いを落としたので、帽子を膝に抱えたトニーが「なんじゃそりゃ」と呆れた目を向ける。そんな猫目の少年に、赤毛の少女は思わせぶりな表情で指を振った。


「これは女の秘密なんだよ。言うとしても、まずは幼馴染くんに一番に伝えなきゃね」


 ね? と目を向けられたミオンがうなずく。ためらいがちではあったが、その表情は決して暗くなった。――きっと、とても大切なことなのだ。そう思い至ったステラは、なおもあきれ顔をしているトニーの肩を無言で叩いた。


 先生を一人味方につけたものの、生徒や他の教師の反応は芳しくなかったらしい。そういうシンシアの報告を聞いてから、ステラたちも自分たちのまわりで起きたことを話した。ジャックたちの話も、聞いた。


 三組の状況を整理し終えたところで、オスカーが顔をしかめる。運ばれてきたばかりの珈琲コーヒーを、彼は静かにすすった。


「その、トニーたちに接触してきた男というのは、信じて大丈夫なのか?」

「俺も最初は怪しいと思ったけどね……悪い人には見えなかった。ただまあ、やけに細かいところまで訊かれたのにはびびったけどね」

「怪しいじゃねえか」


 牛乳をたっぷり注いだ珈琲をすすっているトニーに、オスカーはぴしゃりと言葉を叩きこむ。容赦のないツッコミを浴びた少年は、黙って肩をすぼめた。そこでやっと、ステラも口を開く。


「大丈夫。言動や振る舞いから察するに、あの人は憲兵隊特別調査室の人よ」


 彼女の言葉を聞いた残る面々が、ぴたりと動きを止めた。りんごのジュースをちびちびと飲んでいるブライスが、赤毛を揺らす。


「とくべつちょーさしつ? 何それ」

「憲兵隊というのは元々、軍部内の不正や犯罪、軍律違反を取り締まる部隊だ。その中でも特別調査室は、そういった事案の調査に特化した機関だな」


 少女の疑問に答えたのは、彼女たちの部長だった。彼は、ステラを横目で見つつ、淡々と続ける。


「こいつがちょっと変わっててな。特別調査室は、身内ともいえる憲兵隊の不正を調べて取り締まることがある」

「……じゃあ!」


 希望に満ちた声を最初に上げたのは、誰だったろうか。明るい空気が広がりはじめたものの、オスカーとステラはほとんど同時に首を振っていた。


「けど、あの人が特別調査室の中でどの程度の権限を持っているかはわからない。期待しすぎない方がいいかもね」

「それに、憲兵隊の内部調査に踏み切るには、相当大きな証拠と口実と、令状が必要なはずだ。そうすぐ動けるものでもない」


 希望が静かに落胆へと変わっていく。その空気をごまかすように、「それよりも」と無愛想な少年が強引な話題転換をした。


「俺たちにとって重要なのは、こちらの話だ――なあ、ジャック」

「もちろん、わかっているとも」


 脅すような呼びかけに、ジャックはいつもの明るさで応じる。その上で、ステラに目を向けた。その意味を悟ったステラは、テーブルの上で手を組んで息をのむ。


 軍本部の前に、ギーメルと彼の仲間がいた。しかも、その仲間――ダレットとやらが、憲兵隊がレクシオを拘束するように仕向けたという。その話を知った瞬間、ステラは震えた。彼らと、己への怒りで。


「こーんなところにまで絡んでくるとはな。神とやらはひまなのかねえ?」


 やれやれ、とばかりに呟くトニーの声が、耳に痛い。ステラはうつむいた。


「あたしが『翼』じゃなかったら……こんなことにはならなかったのに……」

「それは違うよ」


 ジャックの一声が凛として響く。明るいが、反論を許さぬような強さもあった。


「彼らは、レクシオくんのお父上と知り合いであるかのような口ぶりだった。そうだとすれば、遅かれ早かれ目をつけられていたと思う。必ずしもステラだけの責任ではないよ」


 ステラは小さくうなずいた。完全に腑に落ちたわけではないけれど、薄暗い心の靄は、ほんの少し晴れた気がする。ステラが己の心と戦っている間に、ジャックは話題を『ミステール研究部』の前まで持ってきた。


「その『翼』や神様のこと、知らない人たちにも話すことにするよ。『研究部』のみんなにはもちろん、ミオンくんにも」

「わたしも? えっと、でも、聞いていいんでしょうか……」

「正式入団のときに話す予定だったけれどね。レクシオくんの件に神様が関わっているとしたら、早めに知っておいてもらった方がいいと思ったんだ」


 団長が『調査団』四人に目配せする。彼らはうなずきあうと、順番に、教会で起きたことを話した。


 五人は最初、食い入るように聞いていた。その表情がじわじわと驚愕に彩られ、彼らは顔を見合わせはじめる。いいようのない空気の中で、ただ一人カーター・ソフィーリヤだけが冷静だった。『銀の選定』の話が終わったとき、彼は静かに唇を開いたのである。


「ラフィア神には妹がおりました。その名はセルフィラといいました。ラフィア神と並ぶ力と、神々を束ねるだけの強き心を持っていたといいます」


 歌うような彼の声に、全員の視線が引き寄せられる。カーターは恥ずかしそうに顔をそらした。


「昔、聴かせてもらったお話の冒頭です。神父様や聖堂の人以外に話しちゃだめだよ、って言われていましたけど、その理由までは知りませんでした。ましてや、本当にあることだなんて」


 複雑な思いを内包した瞳が、ステラの顔を映し出す。どう反応してよいかわからず、ステラは無言で肩をすくめた。


 二人の間に漂った、薄雲のような雰囲気をぶち壊すように、ブライスが顔を突き出す。


「そのお話の中に、裏切った神様って出てくるの?」

「セルフィラに一部の神族が従って、彼女と共に姿を消した……とはいわれていますけど、具体的な名前や特徴、経緯は出てこなかったです。そのあたりは現役の教会関係者の方が詳しいと思います」


 秋口の時点で神話を知った四人が、真剣にうなずいた。ステラが教会に行ったとき、エドワーズ神父は調べてみると言ってくれた。この件と学院祭フェスティバルが一段落したら、一度進捗を尋ねにいった方がいいかもしれない。


「セルフィラ神族を名乗る彼らが、人間のやることに干渉しているとすると……厄介どころの騒ぎじゃないですね」

「その通りだ。だけど、焦りすぎるのもよくない」


 ふだんから深刻そうな少年が、さらに深刻そうな表情でうめいた。ジャックがそれにうなずいて、けれど彼は笑顔を崩さない。


「これから僕たちができる、やるべきことは二つだ」

「学院の中にできる限り味方を作ることと――」

「神様たちに注意しておくこと、だね」


 カップで口もとを隠したまま落とされたオスカーの言葉を、ジャックはすばやく拾い上げた。二人の長の言葉に、少年少女は力強くうなずいた。



 話し合いを終え、九人の学生たちは学院の方向へ急いだ。通学組の人たちはここで別れてもよいのだが、とりあえず寮生たちを見送ることにしたのだった。通学生たちの流れに逆らって学び舎の方へ進み、帽子で顔が隠れた警備員の前を通り過ぎたとき。


「あっ、こんなところにいたのね」


 前方から声がかかった。ジャックたちが、首をかしげながら立ち止まる。一方で、ミオンとブライスが声を揃えて叫んだ。


「あ、ロッテ!」

「ロッテさん!」


 シャルロッテ・ハイドランジアは、夕日より暗い色の髪を揺らして、恥ずかしそうにほほ笑む。彼女はステラにお辞儀し、魔導科生たちに簡単に名乗ると、とん、と一歩を踏み出した。彼女はステラの目の前に、色白の顔を突き出す。


「テイラー先生から聞いたわ。学院祭フェスティバル準備の陰で、なんだか面白いことをしている人たちがいるって」

「あー……はは……」


 ませた女の子のような口調で言われても、ステラとしてはどう返したらいいのかわからない。ステラが頬をひきつらせて固まっている間に、シャルロッテは顔を遠ざけた。背筋を伸ばし、「休め」の姿勢をとると、青く輝く瞳をジャックに向ける。


「あなたたちの活動に、協力させていただきたいのだけれど、よろしいかしら」


 九人の間に驚きから来る沈黙が走った。ブライスが、ひっくり返った声を上げる。


「ええー? 突然、どうしたの?」

「私の中では突然でもないわ。レクシオさんは私にとっても恩人だし、まだちゃんと挨拶もできていないしね。……それに、テイラー先生に話を聞いたのだけれど……私も、どうにかしたい、って思ったから」


 常にぜんとしている印象の少女が、わずかに顔を曇らせる。その表情は医務室の近くで出会ったときと似ていた。あのときと違うのは、そこにほんのひとしずく、燃えるような決意の色が混ざっていることだろう。


 その様子を見ていたジャックが、相好を崩してうなずいた。両目が遊び盛りの男児のように強くきらめいたようである。


「そういうことなら、大歓迎だ。まだ生徒の中で協力してくれる人を見つけられていなかったからね。ハイドランジアさんがついてくれるのは心強い。よろしくお願いするよ!」

「――ありがとう。こちらこそ、よろしく」


 シャルロッテも、再び双眸に強い光を湛えた。ジャックに釣られたかのように口の端を持ち上げて、彼と固く握手を交わす。ステラも、そのかたわらで胸をなでおろしていた。


 じわり、じわりと抵抗の輪が広がっていた。その変化は、九人全員が感じていたことであろう。しかし、まさかこの二日後に事態が大きく動くとは、誰も思っていなかったはずだ。しかも、きっかけとなった事件は、ステラたちのあずかり知らぬところで起きていた。

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