第49話 噂と歴史
ミオンの処分を巡っては、シャルロッテがかなり反発したらしい。しかし、ミオンが魔導術の暴走を引き起こして無関係の生徒にまで被害を与えたのは事実だ。なんのお咎めもなし、というわけにはいかない。
シャルロッテは「ならば自分にも同様の処分を」とまで主張したそうだが、結局、彼女にはなんの処分も下らずに終わった。
そのような話をステラに教えてくれたのは、ブライスである。話を聞いたとき、ステラは思わず教室内にシャルロッテの姿を探した。すぐに見つかったが、声をかけるのはためらわれたし、後ろ姿だったので表情はうかがえなかった。
「今回の騒動のことを客観的に見れば、寮内での謹慎処分はむしろ軽く済んだ方だ。しかも数日だろう。本来なら停学処分になってもおかしくなかった」
そう淡々と語ったのは、オスカーだ。自らも停学処分になったことがあるという彼の言葉は、妙に重く響いた。
講義を終えた帰りがけにステラたちの教室に顔を出した彼は、ブライスの首根っこをつかみながらステラたちのもとへやってきた。彼が自分から顔を出しにくるのは、これが初めてのことである。他の生徒が、怯えと好奇心が半分ずつこもったような視線を注いでくる。ミオンのことが気になって来たのだろうが、ステラたちはおかげで注目の的となってしまった。
「ハイドランジアの言葉もだろうが、入ってきたばかりというゼーレの状況も、一応は考慮されたんだろうな」
「転入生ちゃんはいい子だもんね。あの暴走だって、自分でどうこうできるものじゃないでしょ」
「これはシンシアとカーターの受け売りだが――」
ブライスが、ちょろちょろと部長のまわりを走り回る。それをむんずと捕まえたオスカーは、しかつめらしく口を開いた。
「魔力や術のことを『自分でどうこうできなければならない』のが魔導士というものなんだとさ。仮にゼーレが魔導士というほどでなくとも、強大な魔力を持つ以上は制御できなければおかしいってことだろう」
部長の淡々とした物言いに、ブライスが頬を膨らませる。その横でステラは考え込んだ。何気なく視線を横に滑らせると、レクシオも苦虫を嚙み潰したような顔で黙りこんでいる。おそらく、考えることは同じだろう。
ミオンは、力の制御自体はできていたと思う。むしろ巧妙さに驚いたくらいだった。だから今回の暴発は、ただ単に制御できなかっただけ、という一言では片づけられない。何か――彼女の精神を強烈にかき乱す要素がなにか、どこかにあったのだ。
それはもしかしたら、ミオンがこの学院に来た理由と関わっているかもしれない。これらは推測だ。超能力者ではないので赤の他人の事情など読み取りようもないし、そうするだけの情報もない。ただ、気持ちの悪い違和感があるのが、どうにも気に入らなかった。
「……そういえば、昨日の騒動に絡んで、すでに妙な噂が流れ始めているんだが」
二人の胸中を察したわけではなかろうが、オスカーが微妙に話題をずらしてくる。その声にステラたちが顔を上げると、彼は騒がしい教室に視線を投げかけた。
「ゼーレが実はデルタ一族なのではないか、という噂だ」
彼の一言に、レクシオが目をみはり、ステラとブライスは首をかしげた。
同じ日の昼食時に、ステラとレクシオは同じ噂を聞くこととなる。騒動のことを聞き知っていた『調査団』の団員が、その噂を話題に上げたのだ。
「現場に駆けつけた『魔導科』の先生が事情を聞いて腰を抜かしてた、ってところから、あっという間に憶測が広がったみたいだな」
「あと、居合わせた武術科生の中にも構成式を見た人がいたらしいね。魔導士でも見ないような種類の構成式だったって聞いた」
今日の昼食――野菜と腸詰のクリーム煮込み――に匙を突っ込みながら、団員の二人が顔を寄せた。トニーもナタリーも、噂話をするにしては淡々としている。そして、それは団長たるジャックも同じだった。
「デルタ一族、か。一時期興味があって調べたけれど、あまりいい資料や情報に出会えなかったね。そもそも、今どのくらい生き残っているかもわからないし」
優雅な所作でパンを一口食べた彼は、わずかにその眼を曇らせる。
「彼らは今や迫害対象だからね。生きていくのも大変だろうし――そうでないか、と噂されただけでも、暮らしにくくなるには違いない」
「確か……魔導術にかなり詳しい人たちなのよね? 術や構成式の開発もたくさんしたっていう……」
ステラは二本指で目の上を押さえた。昔、歴史の授業で流し聞きした程度なので、その言葉に関して覚えていることはあまりない。彼女がなけなしの知識をしぼり出していると、団長は明るく笑ってうなずく。
「そう。――デルタというのは、帝国の偉い人がつけた呼び名なんだけどね。本人たちは、彼らの言語で『魔導を知る者』という意味の名前を自称しているんだそうだ。だから最近は、魔導の一族とも呼ばれているよ」
――一族と称しているが、そう呼べるほどの共通点がある人の集団かどうかは、はっきりとわかっていないらしい。せいぜい、ほとんどの者が黒髪だということが乏しい文献から判明している程度だ。彼らの共通点は、魔導術に関わる部分にある。ほとんどの者が強大な魔力を持ち、それを操ることに長け、またいち早く魔導術の仕組みを解明すべく動いていた。
彼らが今でいう帝国に入ってきた、あるいは組み込まれた時期も、いくつかの説はあるが断言できない。ただ、何百年も昔から、彼らは魔導研究に従事し、その成果は帝国の発展に力を貸したとされている。皇室からの信頼も
「実は今の王朝の初期までは、帝国と魔導の一族の関係はとてもよかったんだ。彼らを嫌う者が皇帝になったことで、状況が大きく変わったらしい」
当時の皇帝は『デルタ』が魔導技術でルーウェン周辺の人々から頼りにされているのを見て、そのうち自分の座が脅かされるのではないか、と
その皇帝の在位期間は短い。魔導の一族にとっての圧政も長くは続かぬものと思われた。だが、代替わりするごとに彼らへの弾圧は激しくなっていった。
ジャックがそこまで話したところで、茶をすすったトニーが猫目を細める。
「でも、その間デルタ一族の人たちが反乱を起こしたとか、偉い人に訴えたとかいう話は聞かないんだよなあ」
「もみ消されている話もあるんだろうけど、実際彼らはあまり声を上げなかったんだろうね。自分たちが力の強い魔導士だから恐れられるのもしかたがない、と思っていたのかもしれない――あの事件までは」
「子どもの虐殺事件だっけ」
少年の声が、食堂の一角に重々しく響く。誰もがひと時黙り込んだ。
トニーが言ったのは、今から約五十年ほど前に起きた事件のこと。ルーウェンの監視任務についていた軍人が酒に酔っていたとか気が立っていたとかで、街の人に横暴な態度をとっていた。そこへ割り込んできた子どもたちに逆上し、彼らを殺してしまった。
この事件を機に帝国とルーウェンの対立が決定的となり、魔導の一族の方も軍人や皇室に対して厳しい態度をとるようになった。公然と政府を批判する人が出てきたり、彼らによる傷害事件や殺人未遂事件が多発したりしたらしい。それを危険視した皇帝が、十数年前にルーウェンを『解体』してしまう。結果、魔導の一族の人々は散り散りになってしまった、というわけだった。
気分のよくない話が一段落したところで、ナタリーが頬杖をつく。お行儀が悪い、と今さらたしなめる人はいなかった。
「その『解体』ってのも、私、よくわかんないんだよね。まだ三歳とか四歳とかだったから覚えてないっていうのもあるんだろうけど……親もあんまりわからないっていうし」
「報道があまりされなかったみたいだ。昔の新聞を調べたことがあるけれど、ルーウェン解体に関する記事がほとんどなかった」
そんなステラを横目で追いかけていたレクシオが、ため息をつく。いつもの芝居がかったそれとは違う、くすんで重い吐息だった。
「仮にミオンが魔導の一族だとしたら、本人にとってはえらいことだろうな」
彼の言葉に、『魔導科』の三人がうなずく。ナタリーが目を細めた。
「だとしたら、なおさらその子が学院に入ってきた理由が気になるね。帝都なんて、敵の本拠地みたいなものだろうに」
呟きに答えられる者はいない。ステラもまた例外ではなく、無言で眉をひそめるしかなかった。
食堂を見渡す。長机の隙間を生徒たちが盛んに行き交い、食器の音と話し声が混じりあう。けれど、その中におさげ髪の少女の姿はない。
彼女はいったいどんな気持ちで学院にやってきたのだろう。そして今、どんな想いを抱えているのだろう。考えてもしかたのないことだ。けれど、意識から打ち消すことはできない。
部屋に温かな食事の匂いが満ちている。今はそれすらも、ひどくむなしく感じられた。
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