第46話 今日の違和感

 しぶしぶ剣を構えたミオンを見て、ステラは軽く眉を上げた。


 すっと伸びた背筋。無駄のない足と目の運び。徹底的に整った構えは実戦よりも武道向きだが、剣術をたしなんでいることには違いない。困惑と怯えの色は奥へと沈み、少女は透徹とうてつしたまなざしをステラに向けてくる。


「それでは、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


 律儀に言葉を返しながら、ステラは頬が緩むのを抑えきれなかった。


 これは、楽しいかもしれない。そう、武人の直感が呟いた。


 沈黙。その後、同時に足を踏み出して――動いた。


 先に飛び出してきたのはミオンだ。ステラはあえて大きく踏み込まず、彼女の一撃を弾く。ブライスより重く、レクシオよりは軽い。少女の剣戟はそういう印象だったが、非常に鋭い一撃でもあった。ステラは肝を冷やしつつ横に跳び、相手めがけて駆け出した。力を込めて剣を叩きこむ。ミオンはすばやく剣を横に構えた。刃と刃がぶつかり合い、鉄板に砂利をばらまいたような音がする。短いつばぜり合いののち、互いが互いを弾き、また二人の距離が開いた。


 ミオンが踏み込み、風を裂くような突きを繰り出す。ステラは剣先から目をそらさなかったが、頭の中で鳴り響く警鐘を確かに聞いた。体をひねって刃をかわし、あえて前へ体を運ぶ。そのとき生まれた隙を、ミオンは正確に突いてきた。動きは小さく、けれど力のある剣戟が上から打ち込まれる。それを受け止めると同時、ステラは柄を手の中で回転させた。自分の剣を跳ね上げて、ミオンの剣をからめとる。


 耳障りな金属音と少女の悲鳴が重なった。剣が飛ぶ。その瞬間にステラは踏み込み、己の剣を白い頸に突きつけた。二人のまわりが静まり返る。それから少し遅れて、けたたましい音が響いた。床に叩きつけられた練習用の剣が、ステラの視界の端で鈍く黙りこんでいる。


「……参りました」


 ささやきはかすかに震え、ステラの耳朶じだをくすぐった。彼女は短く息を吐き、静かに剣を引いてから、相手に向かって礼をする。ミオンは洗練された礼を返した後、肩を大きく上下させた。


「さすが、お強いですね」


 少女の笑顔は力なく、けれどやわらかく輝いて映る。まっすぐな称賛にステラは肩をすくめた。なんと返したものかと悩んだが、ありがとう、とだけ言っておいた。


「あの、剣を拾ってきていいですか」

「もちろん。派手にやっちゃってごめんね」

「い、いえ……」


 ミオンは困ったように笑うと、小走りで剣を拾って戻ってくる。


 二人はそれから、一緒に剣を元あった場所に戻すと、そのそばに座った。歓声や悔しがる声、剣のぶつかり合う音が、まだあちこちで響いている。二人は最初より緊張のほぐれた顔を見合わせて、なんとなく笑いあった。


 試合の後に意見交換をするのが実技授業の流れだ。だが、難しいことを考えずとも、ステラの方の言葉はすんなりと出てきた。


「剣の扱いに慣れてるんだね。びっくりしちゃった」


 おかげで、最後の最後に少しだけ本気を出してしまった――とまでは言わないでおく。ミオンは照れ臭そうにほほ笑んで、両手を胸の前でにぎった。


「小さい頃から、護身のために剣を習っていたんです。活かす機会はほとんどなかったんですが……」

「護身かあ。それで『武術科』に?」

「あ、はい。もう少し実戦向きの技術と知識を身につけたいと思って……」


 ミオンは、ためらいがちにうなずいた。彼女の声が少し硬くなったことにステラは気づいていたが、詮索するつもりはない。代わりに、顎をつまんで考えこんだ。


「確かに、実戦よりは演武や儀式の型に近かったわね」

「わ、わかりますか? やっぱり」

「でも、基礎はそんなに変わらないからね。それがしっかり身についてるんだったら、実戦向きの技術もすぐものにできると思うよ」


 うなだれるミオンに向かって、ステラは励ますように声をかけた。


 実戦では、技術よりもむしろ精神力の方がものをいう。相手を殺す気で剣をにぎれるかどうか。戦場に立つ覚悟ができているかどうか――ステラ自身、ここ数か月でそのことを思い知らされてばかりいる。ただ、この繊細な女の子に重苦しい話をするのも気が引けて、ステラはその話題を口にしなかった。


「あたしの方はどうだった? ミオンさん」


 授業の主旨を思い出し、ステラが己の顔を指さすと、問われた少女は瞬きして固まった。乾いた沈黙が二人の間に広がる。その後、ミオンは白皙を真っ赤に染めてうつむいた。


「えっと……すごかったです、色々と」

「ええ……? それじゃあ意見交換にならないような……」

「す、すみません。でも、なんというか、圧倒的すぎて意見することも思いつかないような感じで……」

「そ、そっかあ」


 そう言いつつも、ミオンは言葉を探してくれているようだ。両目を閉じ、うなりながら頭を抱えている。転入生の表情を見て、ステラはいささか気の毒になった。先生たちはこういう事態を予測していなかったのだろうか、と考えかけ――予測できなかったのだろうと思い直した。


 結局意見交換らしい話し合いにはならなかった。授業の最後、先生に意見交換の内容をまとめた紙を提出しなくてはならないのだが、それには怒られない程度のことを――多少誇張はしたが、嘘はついていない――書くことにする。ひたすら恐縮して頭を下げたミオンに対し、ステラは明るくほほ笑んで「大丈夫。時々あることだから」と慰めた。


『武術科』の実技授業は何かと騒ぎが起きやすい。だが、今日の授業はおおむね平和に終わりそうである。



「へえ~。転入生といきなりチャンバラしたんだ」

「ナタリー、言い方……」


 ステラは、楽しそうに目を輝かせる親友をたしなめる。だが彼女はさして気にしたふうでもなく、白身魚の揚げ物に意気揚々と食らいついた。そのやり取りを聞いていた三人の少年は生温かい笑顔を二人に向けている。


 転入生がやってきた日のお昼時。『クレメンツ怪奇現象調査団』の五人は共に昼食を摂っていた。この時期は忙しくてなかなか同好会グループ活動の時間が取れない。ゆえに、学科の違う五人が集まれるのは昼食のときだけなのである。食堂の隅を陣取って語らいながら時を過ごすのが、最近の習慣になっていた。


 生徒たちのざわめきと食器のぶつかり合う音が、絶え間なく響く。転入生に関する話題は、彼ら以外の誰にも聞かれず、雑踏にのみこまれてしまいそうだった。


「謎多き転入生の女の子かあ。なんか楽しいよね、そういうの」


 薄味の卵スープをすすった猫目の少年トニーが、匙をくるりと回しながら笑う。ミオン本人が聞いたらひどく困惑しそうな言葉だ。五人のうち、彼女を直接知っている二人は、顔を見合わせて苦笑した。


「話した感じでは優しそうないい子だったよ。ちょっと戦闘職になるには繊細すぎる気もするけど」


 ステラが実技で感じた印象を食卓に落とすと、五人は興味深そうにそれを聞いた。


 もともと物事を深く考えて追及するのが好きな彼らだ。基本的にその対象は怪奇現象と神話だが、人の噂に目をつけることもある。


「でも、どうしてこの学院に転入してきたんだろうね。……厳密には、前の学校を退学して、ここに入学し直したということになるけれど」


 ジャック・レフェーブルが切れ長の目を軽く細めた。『クレメンツ怪奇現象調査団』の団長を務める少年は、その美貌に似合わぬ魚の揚げ物を上品に食している。彼の言葉に、ほかの団員たちは考え込むような表情になった。――むろん、ステラもだ。


 ジャックが疑問の後に付け足した言葉。それが、「転入生」が少ない理由の最たるものだ。ミオンはわずかながら自分の経歴に傷をつけ、手間と労力をかけてまでクレメンツ帝国学院にやってきた、ということになる。


「そこまでしてうちに入りたかったか……そうしなきゃいけない理由があったか、だな。まあ、このあたりは本人に訊かなきゃわからないけど」


 スープを平らげたトニー少年が、口の端をぬぐって呟く。彼の猫目はやけに鈍く光っていた。かたいパンを無理やりちぎりながら、ステラはふと、昔ジャックに聞いた話を思い出す。


 トニーはもともと、路上生活をしていたのだそうだ。魔導士の適性があると発覚したのち、色々あって学院に入ることになったという。「色々」の部分はトニー自身があまり話したがらない。自分が特殊な経緯を辿っているから、ミオンという謎めいた存在に思うところがあるのだろうか。考えてはみたものの、今そのあたりを深く追及するつもりは、ステラにはなかった。無言でパンを皿に滑らせ、薄く残ったスープをぬぐう。


 ステラが学友の過去に思いをはせている内に、話題の矛先が彼女の方へ向いた。


「ステラが感じた不思議な気っていうのも気になるよね。魔力なのかな」

「多分そうだと思う。感じるようになったの自体『銀の選定』の後からだから、あまり自信ないけど」


 ナタリーの問いにどもりながら答える。それからステラは、湿ったパンをもそもそと食べて気まずさをごまかした。魔力を拾うようになったのは自分が『銀の翼』と呼ばれるようになってからだ。だから、魔力と単なる気配の違いがわからずに戸惑うことがままある。おさげの少女から感じるものがどちらなのかも、ステラ自身の中ではまだ判然としていなかった。


 困惑に表情を曇らせる彼女を見て、ジャックが思案顔になる。


「ううん。魔導士が直接会えば、なにかわかるかもしれないね」

「あっ、それいいね。難しいこと抜きに、一回会って話してみたいし」


 真剣な呟きを打ち消すように、ナタリーが手を挙げる。空気を読んでいないというよりは、空気をあえてほぐそうとしているような雰囲気が感じられて、それが団員たちのほのかな笑みを誘った。


 昼食の皿を空にしたステラは、いつもの癖で自分の隣に視線を滑らす。同じく空の皿をじっと見つめている幼馴染がそこにいた。珍しく会話に参加してこない彼の方へ、ステラは顔を突き出した。


「レク。どうしたの?」

「……ん?」


 やや間をおいてから、レクシオがステラの方を見た。目をいっぱいに見開いているところからして、本当にぼうっとしていたらしい。ステラは眉をひそめた。


「レクがぼけっとしてるなんて珍しい。何か悩み事でもある?」

「ああ、いや、本当にぼーっとしてただけ。今日、ちょっと寝不足だもんで」

「ええ?」


 本当にどうしたというのだろう。ステラはレクシオのことをまじまじと見つめてしまった。彼の口から、寝不足などという言葉が出るとは。転入生がやってきた以上の珍事だ。


 今朝会ったときは、いつも通りのレクシオだった。だが、それ以降は極端に口数が少なかった気もする。今も、団員との会話にまったく入ってきていなかった。


「別に大したことじゃないんで大丈夫よ」


 本人はそう言い、笑って手を振った。


 確かに考えすぎかもしれない。今日、たまたま体調が悪かっただけかもしれない。それでもステラは、強い胸のざわめきを感じていた。


 そしてその違和感は、数日――ある事件が起きるそのときまで、拭い去ることができなかった。

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