第39話 裏切りの神々 2

「ステラ、よせ!」


 よく知った声が制止する。こんなに焦った声は久しく聞いていなかった。ステラは心の端でそんなことを思いながらも、彼の言葉は聞き入れない。


 大地を蹴る。前へ跳ぶ。ステラの剣が相手へ肉薄した一瞬後、金属音がこだました。


 なにもなかったはずの空間に、見たことのない剣があった。男の骨ばった手が、知らぬ剣の柄を握っている。


「これは、なかなか」


 男が、笑った。


「次代の『翼』は小娘かと、侮っていた己を恥じねばならぬな。なるほど、おまえはイルフォードの血を継いでいたか」


 その姿がぶれる。行く先を見据えてステラは身をひねったが、そのときには相手の刃が彼女を捉えていた。横合いから突き出された剣を、ぎりぎり屈んで避ける。ひやりとした痛みが頬をかすった。


 その後、四合ほど剣戟を交わした。打ち交わせたことが奇跡だった。それほどに、ラメドの剣は速くて重い。何なのだろう、この男は。


「一時期、傭兵というのをやっていたことがあってな。剣の技はそのとき磨いたものだ。イルフォードの名と実力も同じ頃に知った。アルヴィスといったか、あの男は強かったな」


 何代も前の、先祖の名だ。なぜ面識があるように語るのだろう。沸き上がった疑問を確かめる余裕はない。なんとかラメドの剣を打ち返し、大きく跳んで距離を取ったステラはそのとき、肩で息をしていた。


 突然、右上に影が差す。見上げると、漆黒の巨人が拳を振り下ろしていた。


――しまった。


 避けるには間に合わない。とっさに剣を横に構えた。目を閉じなかっただけ立派だろう。重い一撃に備えて踏ん張る。しかし、予想していた衝撃も痛みも来なかった。


 鞭のようにしなった銀糸があたりの木より太い腕を叩く。大男の動きが鈍ったところへ、オスカーが半身をぶつけた。ヌンはこゆるぎもしない。けれども、オスカーがすばやく後退すると、周囲の木々をなぎ倒しながら自分も後ろへ下がっていった。


「ど阿呆か! 一人で突っ走りやがって、下手したら死んでたぞ!」


 呆然としていたステラへ、鋭い叱声が飛ぶ。鋼線を手元に戻したレクシオが、思いっきり彼女をにらみつけていた。緑の目の奥には、純粋な怒気が燃えている。ここ数年見なかった表情だ。ステラは小さく震え、それからうなだれた。


「ご、ごめん……」


 剣を収める。レクシオはヌンに視線を投げ、動きがないことを確かめると、少女の腕を引いた。いつもよりほんの少し力が強かった。


 学生たちと謎の男たちは、再び張り詰めた静寂の中で向き合うこととなった。全身が見えないヌンは元より、ラメドもほとんど表情を変えていない。彼は冷たい瞳を持ちながらも、楽しそうに口の端を持ち上げる。この奇妙な男を、少年少女は警戒心と少なからぬ恐怖をこめて見つめた。


「ヌンさん、といいましたか。そちらの方が魂の感情を強めたとおっしゃいましたね。……死霊魔導士ネクロマンサーなのですか?」


 優しげな顔立ちの少年が、血の気の引いた唇を震わせる。


 佇むラメドは一度大男を振り返って、カーターを見据えた。


「君の言いたいことはわかるが、残念ながら違う」


 否定の言葉を発してから、彼は芝居がかったしぐさで左手を挙げた。


「気をつけたまえよ、神官の少年。私の仲間はたいてい、人間のわざと我々の力を一緒にされるのを嫌う。ヌンもそうなのだ」

「まるで自分たちが人間じゃないかのような言い方ですね」

「人間でないのだよ。わからぬか? ラフィア神に仕える身でありながら」


 ラメドは冷笑した。その響きは、やり取りをしていたカーターだけでなく、まわりにいる学生たちをも戦慄させる。


 彼らの反応をよそに、男は淡々と言葉を紡いだ。


「そうだな。『銀の翼』に挨拶のひとつもせねばならんと思っていたところだ。ついでに教えておこう。我々は人間が『神』と名付けた存在だ。今はセルフィラ神族しんぞくと名乗っている」


 感情のこもらない声でもたらされた事実は、薄氷のような沈黙に亀裂を走らせる。驚愕と動揺の波が、ステラたちの間を駆け巡った。


――神と呼ばれる存在が、本来どのような姿をしているのかはわからない。だが、この世界に現れるときは、ヒトに近い姿をとる。


 それは帝都教会の神父が教えてくれたことだ。その実例を前にして、けれどステラは思っていたほど感動しなかった。神と名乗る者は確かに存在しているが、現実味がまるでない。心なしか、頭の中に靄がかかってしまったかのようだった。


 その靄を打ち払ったのは、またしてもカーターである。


「セルフィラは裏切り者の邪神です。彼女に神族は存在しない。神族というのは、あくまでラフィア神を中心とした集団の名前のはずです」


 常にどこか頼りなかった少年の言動は、ここへきて急に鋭さを増していた。自分の専門分野と信仰に関わる話だからだろうか。それ以上に烈しい感情が絡んでいるようにも、ステラには思えた。


 むろん、神と名乗る男はこちらの都合など知らない。彼は少年を見据えてひとつ、うなずいた。


「そうだ。我々は元来、ラフィア神族と呼ばれていた。だが、ラフィア様を裏切った。偉大なる姉妹神が袂を分かったとき、妹のセルフィラ様を支持した神の一部なのだ」


 ラフィアとセルフィラの争いと決別――それは、『翼』とやらが生まれるきっかけとなった出来事だ。


 学生たちの反応は、これを知る者と知らぬ者ではっきりと分かれた。片や緊張感を強めて男たちをにらみつけ、片や戸惑いに顔を見合わせる。


 そんな彼らに対し、ラメドは手を胸に添えて頭を下げた。形ばかりきれいな礼である。


「さて。こちらの素性も明かせたことだ、今日はお暇させていただくとしよう。私も君たちも目的は達したのだ。今、これ以上争っても益はない」


 九人の間に緊張が走った。オスカーが剣呑に目を細め、一歩を踏み出す。それに気づいたステラは、慌てて腕を伸ばした。


「待って。追っちゃだめ」

「何?」


 オスカーがさらに目をすがめる。ステラは強く首を振る。視線だけで人を殺せそうな少年ににらまれてなお、ステラは頑として動かなかった。


 二人のやり取りを見て、ラメドは薄くほほ笑んだようだった。オスカーとステラがにらみ合っている間にも、彼は学生たちに背を向けて、軽く手を振る。その動作が終わると同時に、男たちの姿は消えた。音も風も痕跡もないのは、ギーメルたちが消えたときとまったく同じだった。


 森に残されたのは、ぶきみな空白と学生たちだけ。彼らは、誰もいなくなった場所を見つめ、しばし呆然としていた。


「どういうことだと思う、ナタリー?」

「私に訊かれてもなあ」

「あいつら、本当に神様だと思うか」


 トニーの問いで、我に返ったのだろうか。ナタリーが難しい顔で拳をにぎった。


「少なくとも、普通の人間ではないでしょうよ。でも、考えたくない。お祈りが嫌になっちゃうじゃん」

「お祈りしてる人たちは、ラフィアとそのまわりに祈ってるからいいんじゃねえの?『裏切り者』は対象に含まれてないだろ」


 苦々しく吐き捨てたナタリーに、レクシオがのんびりとした声をかける。彼に注目したのは、声をかけられた本人だけではなかった。


 ステラは、絡み合った思考を消そうとするように頭を振って、幼馴染を見つめる。


「さっきの話、信じてるの」

「少なくとも、真実と仮定すればこれまでに起きたことの説明がつく。違うか?」


 人数分の視線を受けてなお、少年は平然としていた。他の八人はぐうの音も出ない。居心地悪く、視線を交わすしかなかった。


 しばしの沈黙の後、ジャックが深く息を吸って、空をあおぐ。


「……幽霊の気配も、本当に消えたみたいだ。『黒幕』もいなくなってしまったし、調査はこれで終了かな」

「なーんか半端な感じになっちゃったねえ」


 ブライスが拗ねたように飛び跳ねる。先ほどまでは棒立ちだったが、動き回る心の余裕が出てきたらしい。彼女が動いたのをきっかけに、場の空気もやわらいだ。


 シンシアが息を吐く。同時に、こわばっていた肩の力がふっと抜けた。


「これからどうすればよいのでしょうか」

「とりあえず、学院に戻るしかないでしょ。幽霊がいなくなったんだから」


 ナタリーがため息まじりに言葉を投げ返す。折り合いの悪い相手から返事をもらった少女は、りゅうをきつくつり上げた。


「そうではありませんわ。学院に戻った後のことです。『勝負』も結局うやむやになってしまいましたし……」

「そうだね。色々考えないといけないことがある」


 ジャックが光の粒のような笑声を立て、踵を返す。彼は彼らしい笑顔で、学友たちを振り返った。


「だから、まずはこの森を出よう。思ったよりも時間がかかってしまったからね。急がないと寮の門限に間に合わなくなってしまう」


 ステラたちは団長の言葉に力強くうなずいて、その後ろに続く。『研究部』もオスカーの号令を受けて歩き出した。


 幽霊森、と呼ばれた森を去る。ステラは傷をのぞかせつつ、木々を仰ぎ見た。もう、誰の気配もない。じきに鳥獣も戻ってくるだろう。


 全て終わった。その感慨を噛みしめて、少女は顔を下ろし、足を踏み出した。


 帰路、草と土を踏む音が規則的に響く。その中でステラは、団長のささやきを聞いた。


「オスカー。戻ったら、二人だけで話がしたいんだけど、いいかな」


 呼びかけられた少年は、少し黙った後「わかった」と小さく答えた。

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