第32話 三人一組の調査隊

 森が再び静まり返る。


 ステラはそっと目を開けた。光の影響がまだ残っていて、視界がちらちらする。それでも、薄闇を見ているうちに少しずつ落ち着いてきた。


 笑い声は聞こえない。嫌な感じもだいぶ薄らいだ。まだ大元は残っている感じがあるが、とりあえずの脅威は去ったのだろう。


 ステラは大きく息を吐いて振り返る。背後に薄く広がっていたカーターの魔力が消えた。銀の半球もなくなっている。結界があった場所では、仲間たちがやや呆然としてステラを見ていた。ステラ自身もどう反応してよいかわからず、もたつきながら剣を収めるくらいしかできない。


 彼女を見ていた八人の中で、唯一冷静な少年がまっさきに踏み出してきた。彼は、ステラの前で立ち止まると、にっと笑って肩を叩いてくる。かなり力のこもった一撃は、ぱしん、と音を立てた。


「やるじゃねえか。ちょーっと見直しちゃいましたよ」

「えーと、どうも」


 レクシオ・エルデの一言に、ステラは繕った笑顔を返す。その後に、少し声をひそめて尋ねた。


「どんな感じだった?」

「剣先から銀の光がぱーっと出てきて、それがそこらじゅうに広がった感じ? しばらくなんも見えないくらい光ってた」

「う、うわあ」


 魔力を持っているという実感がわかないステラは、それきり絶句してしまった。一方で、ほかの少年少女たちは驚きから覚めたらしい。ばらばらと、ステラの方へ集まってきた。すごい、すごいとブライスがはしゃいでじゃれついてくるが、ステラ自身にその対応をする余裕はない。『研究部』の魔導士たちは何やら深刻そうに考え込んでいる。


 そして、ジャックたちはどこか嬉しそうに目を細めていた。そんな彼らをオスカーがじろりとねめつける。


「今のはなんだ。おまえたち、何か知っているんだろう」

「……まあ、知ってはいるけどね」


 トニーの答えは曖昧だった。オスカーがもの言いたげに顔をしかめる。彼が口を開く前に、ジャックが言葉の続きを引き取った。


「色々事情があって、うかつには話せないことなんだ。今は見逃してくれないかな?」


 声色こそ陽気でやわらかかったが、その奥には有無を言わさぬ圧力が潜んでいる。オスカーは元親友の言葉に顔をしかめた。たっぷり沈黙した後に「しかたねえな」と吐き捨てて、顔を背ける。


「まずは、これからどうするかだな。どうも勝負どころではなさそうだ。さっきの現象が幽霊たちのしわざなら、最悪命にかかわる」


 オスカーの言葉に、残る八人は重々しくうなずいた。言い出しっぺのブライスは、「もうこのまま永久休戦でもいいかもねえ」などとぼやいて、伸びをしている。彼女が勝負を提案したのは、そもそも妥協点を見つけるためだったのだろうから、そう思ってもしかたがない。正直、ステラも同じ気持ちだった。


 その思いも込めてジャックを顧みる。陽気な美貌の少年は、しかつめらしく顎に手を添えていた。


「永久かどうかはあとで考えるとしても、一時休戦すべきなのは確かだね。一刻も早くこの現象の原因を突き止めて、森を出ないと」

「今すぐに森を出るのでは、いけませんの?」


 不安げなシンシアに対し、ジャックはかぶりを振ってみせる。


「さっき、言葉が聞こえただろう。彼らはステラに対して『捕まえてやる』と言っていた。逃げるそぶりを見せれば、何か仕掛けてくる可能性がある。そちらの方が今は危険だと思うよ」


 名前を出されたステラは、思わずジャックたちの方から目を逸らす。胸がちくりと痛んだ。おそらく、彼らがああ言ったのはステラが『銀の翼』だからだ。自分がこの場にいなければ――考えてもしかたのないことだが、どうしても脳裏にちらついてしまう。


 彼女の思い至ったことには誰も触れず、話は進んでいく。ただ一人、レクシオはもの言いたげに一瞥してきたが、すぐにいつもの表情で視線を外した。


「一刻も早く森を出る、っていうんなら、何組かに分かれて情報を集めるのがいいんじゃない? このだだっ広い森で固まって動いてたって効率が悪いからさ」

「不本意ながらエンシアさんと同じ意見ですわ。わたくしたちの人数を考えると、三人一組がよいのではないでしょうか」


 赤黒い空気を漂わせながらも意見を一致させた少女たちに、ジャックが深くうなずく。その横で、トニーが二人を見つめて悪戯っぽく笑った。


「いいと思うけど、問題はどういう組に分けるかだな。のん気に話し合いなんかしても、絶対まとまらないだろ」


 二人の少女と、二人の同好会(グループ)責任者を見据えた言葉であることは明らかだった。ナタリーとシンシアが顔を見合わせ、むっつりと押し黙る。


「そういうときは――」


 気まずい空気を、無邪気な声が躊躇なくぶった切った。


 赤毛の少女が軽やかにしゃがむ。


かじゃんけんって、相場が決まってるでしょ」


 彼女は、足もとの小枝を拾い上げて、にっかりと笑った。



 公正なくじ引きによって、三人一組の調査隊の組み分けは決定された。それぞれの組に分かれた学生たちが、森の中へ散っていく。おそらく、今この森にいる唯一の人間だ。


 ステラは剣の感触を確かめつつ、同行者となった二人を振り返る。幼馴染と赤毛の少女は、それぞれの表情で彼女を見返した。


「なんか、偏った組み合わせになっちゃったわね」

「『武術科』が全員ここに固まっちまったもんな」


 剣の柄頭を叩いて苦笑したステラに対して、レクシオも肩をすくめる。『武術科』であることをのぞいて考えれば、この組はもっとも戦力的に整っているのだが――ブライスの手前、そのことは口に出さずにおく。


 ちなみに、残る二組はジャック、オスカー、トニーとナタリー、シンシア、カーターという結果である。ステラとしては、カーターが心配でならなかった。眉を下げている彼女の足もとを、ブライスがくるくると走り回っている。


「まあ、幽霊対策的にはちょうどいい感じになってるからいいじゃん。ぱーっと調べてぱーっと情報持って帰ろうよ」


 軽く聞こえるその言葉は、けれど無意識の緊張をほぐすものだった。ステラとレクシオはうなずきあって、赤毛の少女とともに歩き出す。


 まだ昼間のはずだが、森はやけに薄暗かった。生い茂る樹木のせいかとも思うが、それとも違うようにステラには思える。枝葉の先にのぞく空は、まぶしいほどに青いのだ。まるで、森のまわりにだけ網がかけられたようである。


 三人は、気配を探りながら進んだ。時折道から外れてみたりもしたが、幽霊や『彼ら』の痕跡はなかなか見つからなかった。


 気を張るにも限界というものがある。鈍い疲労がかすかな頭痛となって表れはじめた頃、ステラはふと道幅が広くなったことに気がついた。


 さらに、隣でブライスが目を輝かせて走り出す。彼女は二百イルム(約二メートル)ほど進んだところで、残る二人に向かって手を振った。


「ここ、広いよー!」

「何かある?」

「木ばっかり」


 ブライスの答えにやや落胆しながらも、ステラは彼女の方へと歩いた。レクシオも後ろからのんびりついてくる。しかし、二人はその空間に出た瞬間、表情を硬くした。


 同行者の言う通り、やや開けた空間には草木しかない。けれど、今まで歩いてきた場所よりも明らかに空気が鋭かった。そこかしこから剣を向けられているようで、ステラの手は無意識のうちに腰へと伸びる。


「なんだろうな、ここ」


 レクシオが、背後から顔を出す。彼も、珍しく頬をこわばらせていた。しばらくきょろきょろしていた彼は、途中で何かに気づいたらしい。目を細め、少し先の木のもとへと駆けだした。


「レク?」

「ステラ、見てみろ。ただの木じゃないぞ」

「え?」


 レクシオの隣まできてしゃがみこんだステラは、彼の言っている意味を理解した。木の幹に何か刻まれているようなのだ。相当古く、また深く彫られている。いびつな傷をなぞったステラは、眉を寄せた。


 今の帝国でも使われている文字だ。しかし、すんなりとは読めない。


「多分、昔の文法だろうな。今じゃ使わない言葉が混じってる」


 木を凝視しているレクシオが、感心したように呟いた。それを聞いてステラは、これが『何』なのかわかった気がした。


 ちょうどそのとき、木々の先の方から明るい少女の声が二人を呼ぶ。


「ねえ! ステラ、幼馴染くんも! 来てよ、おもしろいものがあるよ」


 二人は顔を見合わせて立ち上がる。草木をかき分け、声のした方へ行くと、ブライスが腰に手を当てて待っていた。彼女は二人の姿を見つけると、自分の背後を手で示す。それを見て、ステラとレクシオは同時に息をのんだ。


 ブライスの背後には、大きな丸い石が三つほど埋まっていた。そして、やはり表面に文字のようなものが彫られている。石の表面には少しだが苔が生えていた。


「なんだろう、これ」

「私にもわかんない。とにかく、見てみてよ。私にはなんて書いてあるかわかんなかったけど、二人ならわかるかもしれないからさ」


 首をひねるステラに、ブライスは無邪気に輝く瞳を向ける。その目で見られると、なぜか期待に応えないといけないような気になってしまうから不思議だ。ステラは苦笑して、レクシオとともに石をのぞきこんだ。


 石は人の手で整えられたかのように丸く、滑らかだ。その表面に彫られているのは短い文章のようで、先ほど木の幹にあったものとよく似ている。


「うーん。読めるけど理解できない、って感じ」


 ステラは酸っぱいものを食べたような気分で首をひねった。もともと、難解な文章に苦手意識どころか敵対心があるのだ。文字を追えば追うほど、胸のあたりと頭の中がぞわぞわした。


 隣で別の文章をにらんでいたレクシオが、うーん、と空を仰いだ後、二人の少女を振り返る。


「ざっくり言うと『敵を許さない』みたいなことが書いてあるな。そっちも中身は似たようなもんだろ」

「あっさり読み解くあんたはなんなの。……それはともかく、文章的には戦時中の人が書いたものっぽいね」

「そうなんじゃないか? ここは元・戦場なんだし」


 レクシオの言葉に、ステラは無言でうなずく。かつてここで戦った帝国兵、もしくはティルトラスの兵士が彫ったものかもしれない。


 内容を知ったブライスが、二人の後ろで軽やかに一回転し、木々を見渡している。


「昔の戦場かあ。幽霊さんと関係があるのかなあ」

「かもしれない、けど……これだけじゃなんとも……」


 赤毛の少女を振り返ったステラは、顎に指をひっかけて考え込む。


 先ほど聞こえた笑い声は、数が多く、また子どもと若い男の声ばかりだった。そのことからも戦死者である可能性は高いと考えられるが、確実な証拠がない以上は想像の域を出ない。


 ステラは、石の表面を撫でながら嘆息する。


「せめて年か名前があればよかったんだけど」

「じゃあ、裏を取ってみるか」


 幼馴染が、からりと笑う。ステラはまばたきしながら隣に目をやる。子どもっぽくほほ笑む少年の両目が、いつもと違う光り方をしていることに気づいて、息をのんだ。

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