第30話 紙一重の心

 寄り道から戻った二人を出迎えたのは、生温かい視線だった。予想していた反応だったので、ステラとレクシオは適当に笑ってごまかす。


「なんでその子が一緒にいるの?」


 しばしの沈黙の後、ナタリーがブライスに胡乱げな視線を注ぐ。ブライスは、重苦しい空気をものともせず、元気よく挙手した。


「迷子になってたんで、連れてきてもらった!」

「迷子?」


 ブライスの言葉を、三人ともがひっくり返った声で反芻する。あのジャックですら、二の句が継げないでいた。


「二人があっちで見つけてきたのは、彼女だったの?」


 木々の先を指さしたトニーに、ステラとレクシオは首を振ってみせる。そして、行った先で起きたことを説明した。カラスのことと、ブライスが仲間とはぐれたことを知った三人は、名状しがたい表情で黙り込んだ。


「カラスの情報は有益だけれど……ブライスくんのことは、ちょっと想定外だったな」


 無言の時間を破ったジャックが、苦り切った様子で言う。けれど、顔にかかった髪を払った彼は、いつもの陽気な顔をのぞかせた。


「まあ、さしあたりやることができたわけだ。これはこれで、ひとつの進展だろう。まずは、ブライスくんをオスカーたちのところへ送るとしようか」

「わあ! 団長さん、ありがとう!」


 ブライスは、ジャックへ向かって無邪気に両腕を上げてみせた。その姿を見た『調査団』の団員たちは、それぞれに呆れ顔を見合わせる。


 とはいえ、彼らも団長の定めた方針に逆らうつもりはなかった。そうするだけの理由もない。休憩を切り上げ、意外な客人を連れて、再び森を歩き出した。



 最初は微妙な反応でもって迎えられたブライスだったが、馴染むのは早かった。人の間をちょこまかと走り回りながら明るい言葉を振りまく少女は、『調査団』の面々と相性がよかったらしい。『研究部』の三人を探しながら、互いの話に花を咲かせることとなった。


「そういえば、ステラって今のところ何志望なの?」


 赤毛の少女が飛び出してきたのを見て、ステラは内心でため息をついた。先ほどまではほかの団員に興味を向けていたのだが、落ち着きのない好奇心はステラのもとへ戻ってきたらしい。


「何志望って……進路?」

「うんうん」

「宮廷騎士団」


 ステラが端的に答えると、ブライスは大げさに飛びのいた。「うわあ、すごい!」と叫んで、その場で細かく飛び跳ねる。


「めっちゃいいとこじゃん! 試験、ちょー難しいって聞くよ!」

「ああ、うん、そうね」


 ステラは頬をひくつかせた。痛いところを突かれたが、それを察知されるとまた面倒なことになりそうだ。


 ブライスの襟首をひっつかんだステラは、そのまま彼女に正面を向かせる。いささか雑な扱いだが、赤毛の少女は気にしなかったようだ。そのまま軽やかに歩き出す。


「なんでまた宮廷騎士団? あ、もしかしてお父さんの影響?」

「んー。まあ、それもちょっとはある」


 問いかける声は無邪気だったが、「お父さん」という言葉だけは少し低く聞こえた。ブライス・コナーでもそういうことは気にするらしい。失礼なことを考えながら、ステラは曖昧に笑った。


 宮廷騎士団とは、皇室の人々を守るために結成された組織だ。騎士団などという古めかしい名前だが、現在もきちんと武装して活動している。ステラの父親は、そこの所属だった。ステラが生まれる前まで帝都で皇族の警護にあたっていたという。


「でも、一番大きい理由は、実家の人たちを見返したかったからかな。絶対に学院を卒業して、すごいところに入ってやるぞ、っていう気持ち」


 そこでステラは、ブライスにも家出のことを少しだけ話した。


 家の名誉にもかかわるので、この話を他人にしたことはほとんどない。だが、このになら話してもいいような気がした。


 両目をいっぱいに見開いて聴いていたブライスは、事情を把握すると首をかしげた。


「お兄さんのことが嫌いなの?」

「そもそも、連絡をあまりとってない。だから、好きとか嫌いとかはないなあ。……でも、もともとは仲良かったのよ。兄上はときどきすごく厳しかったけど、それ以外のときはとても優しかった」


 少女のまるい頭が、ますます傾く。そういえば、ブライスに兄弟はいるのだろうか。そんなことを思ったステラだったが、口には出さなかった。


「仲がいいから、競争がつらかった?」

「競争が、というよりは……まわりの目と、兄上の優しさがつらかった。兄上は、剣の腕も父上に負けてなかったし、あの当時すでに街の人から慕われてたし、とにかくあたしにないものをたくさん持ってたの。それを見るのが、そんな兄上に優しくされるのが、正直苦しかった」


 ステラと兄は、年の離れた兄妹だ。ステラが五歳のとき、兄はすでに十三歳。あの時点で実力と人望だけを比較するのは、あまり正確とはいえないだろう。だが、当時、人々は兄妹を対等な跡継ぎ候補として扱った。本人たちも、そう意識してしまっていた。事態がこじれたのは、そのせいでもあるのかもしれない。


 ブライスは歩きながら何やら考え込んでいた。なんだろう、とステラが首をかしげている横で、ややして口を開く。


「部長もそうなのかなあ」


 その言葉には、ステラだけでなくその場の全員が気を取られた。人数分の視線が赤毛の少女に集中する。彼女は臆することなく、無邪気な榛色ヘーゼルの瞳をジャックに向けていた。


「部長? オスカー?」

「うん。部長も団長さんに、似たような気持ちを持ってるのかなあって、ステラの話を聞いて思った」


 みんなが少し黙りこむ。足音と草をかき分ける音だけが耳を覆った。


 気まずい雰囲気を揺らすように、ブライスはぽつぽつと話を続ける。言葉を選んでいるというよりは、自分の中で考えをまとめながら話しているようだった。


「ほら、団長さんって成績よくて、明るくてノリがいいじゃん。まあ、私も今日知り合ったばっかりだけど。部長にはそういうところがまぶしく見えて、きつかったのかも」

「ジャックとオスカーの話、知ってんのか?」


 ステラの話題のときは黙っていたトニーが、帽子をかぶりながら問う。ブライスは、あっさりうなずいて「『研究部』に入ってすぐのときに聞いた」と答える。舞うように歩く少女は、先ほどまでより少し落ち着いた語調で言葉を紡いだ。


「ふんわりと、だけどね。部長本人はそのときからあんなだったからさ。淡々と事実を話してる感じだったけど……こう、いらついてるような雰囲気は伝わってきたんだよ。他人に対して変われって言ったってしょうがないし、部長が思い込んでる部分も多いだろうにね」


 ステラはまじまじと赤毛の少女の横顔を見つめてしまった。最初抱いた印象とは明らかに違うものを、丸っこい顔から感じ取る。


 どことなく気まずそうに帽子を押さえていた少年が、ふとまばたきした。彼は帽子のつばを少し持ち上げると、ブライスの方に顔を向ける。


「なあ、それ、オスカーに言った?」

「言ったよ。話聞いたときに」

「言ったのかよ! すごいな、あんた」


 確かめるような問いにあっさりと答えたブライスは、きょとんと首をかしげている。なかなかに大胆な少女に対し、『調査団』の全員が感動とも呆れともいえない視線を注いだ。


 反応に困って口をひん曲げていたステラの横で、レクシオが軽く笑う。


「なるほどねえ。こりゃ大物だわ」


 ステラは、あえて何も言わず足を動かした。


 それきり、なんとなくジャックとオスカーの話題は打ち切られた。相変わらずブライスは五人の間を行き来しているが、『ミステール研究部』の人たちは見つからない。


 ステラがふと足を止めたのは、話が終わってからもうすぐ十分が経とうかという頃だった。


 軽く目を細めて振り向く。後ろから小さな笑い声が聞こえた気がしたのだ。だが、視線の先には誰もいない。眉間にしわを寄せてにらんでも、何も出てこなかった。


「ねえ。今、誰か笑った?」


 仲間たちの方に視線を戻して、問うてみる。誰もが怪訝そうに首を振った。ナタリーなどは「びゃっ」と叫んで肩を抱いている。


「いよいよ幽霊さんのお出ましかなあ」

「そういう感じはしないけどね……。多分気のせいだと思う」


 なぜか楽しそうなブライスは、ステラがこの件への興味を失うと、不服そうに唇を尖らせた。そんな彼女に、またトニーが声をかける。


「それより、本当にこっちでいいのかよ。誰とも出会わないぞ」

「うーん。たぶん?」

「多分かい」


 少年の鋭い切り返しに、ブライスは嫌そうに顔をしかめた。両手を後頭部のあたりで組んで歩く。視線は上空をさまよったり木々の前を滑ってみたりと落ち着きがない。


「いやだなあ、帽子くん。はっきりわかってたら、迷子になってないって」


 少女は胸を張っていた。まったく誇れることではないが、一理ある。かぶりを振るトニーに対して、残る面子がなだめるように苦笑した。


「私たちが行った方向には慰霊碑があったんだ。そこを重点的に調べてたんだけど、何も出てこなかった。で、ほかの場所に移動しようってことになって、歩いている途中ではぐれたのー」

「なんでその状況ではぐれんの……? なんか気になるものでもあった?」


 先ほどの驚きから立ち直ったらしいナタリーが、小柄な少女に目を向ける。彼女は軽く頭を傾けて「さあ? もしかしたらそうかも」と応じて、その努力を粉砕した。


「どうしようか。呼んだら出てきてくれないかな」

「しっかりしようぜ団長。おまえが正気失ったらまずいって――」


 真剣に考えこむジャックの肩をトニーが叩く。しかし、その声がふいに途切れた。彼が口を閉ざしたのを見て、ステラとブライスが身構える。レクシオも立ち止まり、ナタリーの手首をそっとつかんだ。


 静寂が訪れる。


 かさり、と落ち葉が音を立てる。低く響く風の音が、やけに大きく聞こえた。


 ステラたちがそれを聞いたのは、風がやんだ直後のことだ。


 くすくす、くすくす。


 高く、幼げな笑い声。それは小さくなったり大きくなったりを繰り返して、不明瞭に空気を伝ってやってくる。


 声が大きくなるたび、ステラは肌が粟立つのを感じた。ほとんど反射で、剣に手をかける。先ほど聞いたのはこの声だ。気のせいなどではなかった。


「な、なに、なにこれ」


 ナタリーの声が引きつっている。見れば彼女は気の毒なほど青ざめていたが、それでも腰を落として身構えているあたりはさすがだった。


 笑い声は、今度は鳴りやまない。それどころか少しずつ大きくなって、少年少女を囲むように響きはじめる。いよいよ全員が事のおかしさに気づいたとき――次の異変が起きた。


 ステラのすぐ近くで草が鳴る。最初、視線だけで様子をうかがった彼女は、幼馴染の少年がうずくまっているのを見つけると、体ごと振り返った。


「レク?」


 呼びかけても、返ってくるのはうめき声だけだ。暗雲が彼女の内側にたれこめて、急速に膨れ上がる。思わずあたりを見回して、事態の深刻さを悟った。


 様子がおかしいのは、彼だけではなかった。というより、平気な顔をして立っているのはステラとブライスだけだ。ほかの四人は、頭や胸を押さえてつらそうにしている。


「え、なになに。どうしちゃったの?」

「な、なんか、急に気持ち悪……うええ、なんだこれ……」


 目と腕を回しているブライスの横で、蒼白い顔をしたトニーが体を折った。その言葉を聞いて、武術科生二人は顔を見合わせる。


「私ら、なんともないよね」

「ちょっと変な感じはするけど、動けないほどじゃない」


 笑い声の響く森を見渡すブライスを横目に、ステラは武器に手を添える。そしてなんとか状況をのみこもうと、鈍い頭を働かせた。


 様子がおかしくなっている人たちは、レクシオ以外は魔導科生で、魔導士だ。そしてレクシオも、公にしていないだけで魔導術を使えるだけの力は持っている。


 笑い声が、魔力に何か悪戯をしているということなのだろうか。


「だとしたら、なんであたしはなんともないのか」


 ステラは、顔をしかめて声をこぼした。後から授かったものとはいえ、ステラも強い魔力を持っている一人だ。魔力と体の異常に関係があるのなら、ステラがぴんぴんしているのはおかしい。


 結論が出ない間にも、子どものような笑い声はどんどん大きくなっている。体調不良でなくとも、不快に思うほどだ。


 さて、この状況をどう打開するか。ステラが赤毛の少女と視線を交わしあったときに、草木のむこうから新たな気配が現れた。榛色ヘーゼルの瞳がちかりと光る。


「ブライス。何やってんだ、こんなところで」


 道の先から現れたのは、二人の少年と一人の少女。『調査団』とブライスが探していた人々だった。


 果たしてこの遭遇は、自分たちにとって幸運か不運か。ステラは、重くため息をついた。

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