第24話 喧嘩のお相手

 クレメンツ帝国学院・高等部。その中で、ステラが所属しているのは『武術科』だ。名の通り、武術に関する知識と力をつけるための学科である。もともとは、歩兵・騎兵を育成するための機関が学院に吸収されたものらしい。その名残でもあるのだろうか、学部・学年が上がると、生徒の進路に合わせて兵学や戦史、戦闘職において必要になる野外活動の知識なども講義に取り入れられるようになる。


 どのみち、魔導学とは縁遠い学科だ。むろん、まったく学ばないというわけではないが、その内容は基礎の域を出ず、魔導術の実技などない。少し前までは、ステラもそれで問題なかった。


 しかし、状況が一変したのだ。秋口の事件をきっかけに魔力をステラは、魔導術の知識を身につける必要に迫られた。だから休日を利用して魔導学の基礎を勉強していたわけである。


 その翌日、昼食後の休憩時間。ステラは次の講義が行われる部屋に向かうため、長い廊下を歩いていた。一見きびきびとした歩調で足を進めながらもため息をこぼす少女を、通りがかった他の生徒が訝しげに振り返る。


 自分がいかに魔導術に関して無知なのか――ステラはわかりきっていた。だからこそ落ち込んだし、前途を思ってため息もつく。果たして何から手をつけるべきか。いつも魔導科生の友人三人が捕まるわけでもない。『専門外』のレクシオの手を煩わせるわけにもいかない。自分ひとりでできることから、少しずつやっていくことも必要だった。


 ふと足を止めて、両手を広げる。そこに光はない。銀色の――女神の魔力の気配は、取り逃がしてしまいそうなほどに薄かった。


「あたしにできること……魔力制御の訓練、くらいだよなあ」


 また、ため息をつく。ほかの魔導士なら幼児の頃に終えているようなことしかできないのが、情けなかった。


 ステラとほかの魔導士ではそもそも始まりからして違う。比べること自体がおかしい。それはわかっているのだが、わかっていてもやってしまうのが人情というものだ。


「とりあえず、孤児院の庭でも借りるか……ミントおばさんにお願いして、チビたちは遠ざけてもらって」


 ぶつぶつと呟きながら、ステラは歩き出す。だが、すぐにその足を止めた。通り過ぎかけた扉の前にそろりと戻る。中庭へと続くその扉は、ステラの体半分ほど開いていた。その隙間から、かすかに声が聞こえてくる。二人の女子生徒のものだ。片方は知らない声だが、もう片方はよく知っていた――昨日も聞いたばかりである。


「何してるのかな。だいぶ険悪っぽいけど」


 眉をひそめたステラは、そっと扉を押し開いた。中庭に滑り出て、後ろ手で扉を閉める。


 この中庭は、真上から見るとやや細長い長方形の空間になっている。四隅に小さな花壇があって、まわりに青々とした芝がある。平らにならされた地面は、歩くとざりざりという土の音がした。


 少女たちの声がするのは、ステラから見て右上の花壇の方向だ。なんとなく、気配を殺して近づいてみる。二つの人影が見えたところで近場の木陰に身を隠して、様子をうかがうことにした。


 二人のうち一人は、やはりナタリーだった。一人は、見覚えのない女子生徒。ステラに覚えがないのだから、武術科生ではなさそうだ――何より、それなりの魔力を感じる。


 やわらかく波打つ茶色い長髪、その下の双眸は緑色だ。ステラの幼馴染のそれよりかなり濃くて青みが強い。顔立ちは整っているが、吊り上がり気味の目じりと不服そうな表情のせいで、きつい印象を抱かせる。


 知らない子だが、どこかで見た顔のような気もした。二人は何やら言い争っているが、その後ろでステラはのんきに首をかしげる。だが、すぐに見物しているわけにいかないような空気になってきた。どういう口論をしているのか、ステラのところからでは聞き取れない。二人の表情と声の調子からして、茶髪の少女がナタリーを挑発しにかかっているようだ。


 やれやれ、とかぶりを振って、ステラは木陰から上半身を乗り出した。


「ナタリー」


 放った声は、思いのほか鋭く、よく響いた。二人の肩が震えて、言い合う声もぴたりとやむ。振り返ったナタリーが、ぎょっと目を見開いた。


「ステラ?」

「何してるの、こんなところで」

「彼女が言いがかりつけてきたのよ」


 ナタリーは、細めた目を少女に向けた。少女は、形のよい眉を吊り上げる。


「言いがかり? ……というか、その子はどちら様?」


 ステラが目をしばたたかせていると、少女はみずから踏み出して、礼をした。貴族特有の、優雅な礼だった。


「初めまして。わたくし、シンシア・ネリウスと申します。高等部一年『魔導科』に所属しています。以後、お見知りおきを」

「……これは、ご丁寧に」


 ネリウス――貴族の家名だ。確か男爵家だったか。どうりで、どこかで見たような顔だと思ったのだった。


 少しばかり眉を寄せた。そんなステラの内心を見透かしたように、シンシアはほほ笑む。


「そちらのご挨拶は、今は不要ですわ、ステラ・イルフォードさん。お噂はたびたび耳にしております」

「……どんな噂かは存じ上げませんが、光栄なことです」


 どうせ、あることないことささやかれているのだろう。昔からそうだから、今さら動揺もしなかった。形式を終えたところで、ステラは友人を振り返る。思いっきり顔をしかめている友人に、いつもの調子で声をかけた。


「それで、ネリウスさんと何があったの」


 ナタリーとシンシアは、時折喧嘩しつつもいきさつを教えてくれた。それを要約すると、以下のような話だ。


 先日、『クレメンツ怪奇現象調査団』が調べにいった教会裏の人魂の話が、事の発端である。実はシンシアが所属している同好会グループも、その人魂に関する調査を進めていたらしい。だが、ステラたちが神父襲撃事件に巻き込まれたことで、現地調査ができなくなってしまった。結果として、『調査団』が先に人魂の正体――魔力の残滓――を突き止めて報告書を出してしまったので、シンシアの属する同好会グループの活動自体が中途半端に打ち切られたのだそうだ。


 それについて、シンシアは『調査団』団員であるナタリーに突っかかったらしい。


「えーと、つまり……あたしたちがその事件に巻き込まれたから自分たちの活動が妨害された、という主張なわけね。ネリウスさんは」

「妨害とまでは申しませんが、おおむねその通りですわ」


 言っているようなものだ。内心でステラは毒づいたが、相手が表面上大人しくしているので、あまり強く言うことはしなかった。代わりに、眉間に寄ったしわを軽くほぐして息を吐く。


「そちらの活動に影響を及ぼしたのは申し訳ないと思う。けど、調査のために先に動いたのはあたしたちの方よ。加えて、教会で事件に巻き込まれたことに関しては、努力や気遣いじゃどうしようもない。それに対して後から苦情を言われても、正直、あたしやナタリーにできることは何もないわ。もし正式に抗議したいのなら、団長――ジャック・レフェーブルと直接話をして」


 シンシアは黙ったままだ。一見、穏やかな表情に見えるが、緑色の瞳には確かに炎が揺らめいている。それに気づいているのか否か、ナタリーが声を尖らせた。


「そういう話は私もしたよ。けど、この人、聞く耳を持たなくて」

「それはナタリーの方にも問題があるでしょ」


 ステラはすぐさま振り返り、友人の黒い頭を小突いた。力はまったく入れていない。ナタリーは、不満げに唇を尖らせた。


「ええー?」

「えーじゃない。こういうとき、感情的になって噛みついても問題をこじれさせるだけよ。あたしが言うんだから説得力あるでしょ」


 ステラも、『調査団』に入るまでは、しばしばほかの生徒と衝突していた。そういうこともちらつかせると、ナタリーは不服そうにしながらも「すみません」とささやいた。シンシアに目を合わせてはいなかったが、今は仕方のないことだろう。


 まだ完全に納得がいっていない様子の彼女が、ステラを見上げた。


「というか、今回はいやに冷静じゃないの、ステラ」

「あたしたちがここで騒いだってどうしようもないからね」


 同好会グループ同士でのもめごとや対立については、基本的に同好会グループの責任者同士で解決する。それでうまくいかないようなら、関係する同好会の全員による話し合いを行う。それは生徒たちの間での約束であるし、学院の同好会活動に関する規定にも記されていることだった。


 どのみち、三人だけでもめていてもしかたがないことなのだ。それならそれで、早くこの場を収めてしまいたい。それがステラの本音だった。


 いま一人の少女を振り返る。シンシアは、ステラと目が合うと頭を下げた。その動作は感嘆するほどなめらかで、上品だ。


「イルフォードさんのおっしゃる通りですわ。お騒がせして申し訳ありませんでした。主張を変えるつもりはありませんが、今日のところは引き下がらせていただきます」


 物分かりのよさげな言葉に反して、声色は冷たい。ステラは、シンシアから目を離さなかった。花びらのような唇が、静かに動く。


「後継者候補のつとめを放棄したにもかかわらず、家名の威を借りて学院にいらっしゃったような方にも、多少の良識は備わっているようですね」


 それは、そよ風にもかき消されそうなほどのささやきだった。しかし、すぐそばにいた二人の少女には確かに聞こえた。ナタリーが口を開きかける。ステラはそれを手で制した。


 ざわざわと騒いだ木が、少女たちの上にまだら模様の影を落とす。笑いあう生徒の声が、どこか遠い世界の音のように響いた。


 初対面の少女が放った毒を、ステラはかわさなかった。さりとて受け止めもしなかった。どちらも意味のないことだと知っているからである。こういうときは、角を立てずに相手と距離を取るのが一番よい。


 ステラは、そのための言葉を舌に乗せた。しかし、それは形になる前に消えた。この場の誰でもない者の気配を察知したからだ。


「シンシア」


 その人物は、シンシアのすぐ後ろに立ち、声をかけた。高いところから降った声に驚き、シンシアが振り返る。彼女の端正な相貌が、初めて驚きに彩られた。


「オスカー」

「何をやってんだ、こんなところで」


 ステラとナタリーも、えっ、と声を上げる。それに気づいた闖入者ちんにゅうしゃが、二人を見て首をかしげた。


 オスカーと呼ばれた男子生徒は、大柄だった。身長が高いだけでなく、かなり鍛えられている。制服の上からでも、体術に特化した体つきなのがよくわかった。興味を引かれてつい観察しそうになったステラだが、彼の目を見て警戒を強める。


 少年らしからぬ、暗く濁った目。陰気というだけでは済まない何かが、彼の中を揺蕩っているようだった。


「……これは、何事だ」

同好会グループ活動に関することで、少し話をしていたんです」


 ステラは慎重に答えた。オスカーは、彼女をじっと見つめていたが、ややして視線を逸らす。かと思えば「なんだ、あの件か」と肩をすくめた。


「なんだ、って」


 まなじりを吊り上げるシンシアの肩に、オスカーは手を置いた。少女の体が華奢なぶん、余計に手が大きく見える。


「教会裏の人魂の話だろう。あれは、すでにどちらの同好会グループも報告書を提出している。よって議論をする必要はない」


 淡々と、しかし強い口調で言い切った少年は、ステラたちに背を向ける。それから、友であろう少女の白い手を軽くにぎった。


「うちの者が、迷惑をかけた」


 オスカーはそれだけ言い残して去っていく。大きな影は陽炎のように揺らめいて、秋の空気の中へ消えていった。ステラとナタリーは呆然として見送っていたが、遠くから響いた生徒たちの足音で我に返る。少しの間、互いの顔を見合わせてから、ナタリーが伸びをした。


「あっちの同好会グループのリーダーかな。案外、話のわかる奴じゃん」

「どう、なんだろう」


 ステラは曖昧に返して首をひねる。話がわかるというより、単に興味がないというような雰囲気を感じた。あの口調と態度と、目つきのせいもあるだろうが。


 彼女たちだけになった中庭を見つめる。先ほどまでのことをひとつずつ思い出して、ステラは目を見開いた。


「っていうか、今、オスカーって言ってたよね」


 ナタリーが、ステラの方に視線を向ける。


「言ってたね」

「見た感じ『武術科』っぽかったし、昨日ジャックが言ってた人かな」

「そうかも」


 ステラとナタリーは、再び顔を見合わせて、少し黙った。ぴょうぴょうと風が吹く。遊ばれた髪を整えながら、ステラはため息をついた。


「一応、放課後にこの話をした方がよさそうね」


 ナタリーが無言でうなずく。彼女は乱れた短髪を手で押さえつけていた。



     ※



「もう俺たちの報告書も受理されたんだ。同好会グループの存続に影響があるわけでもなし、余計なことはしなくていい」


 生徒たちの間をすり抜けながら、オスカーはシンシアに冷めた視線を投げかける。少女はそれを真正面から受け止めて、退かなかった。


「しかし、オスカーは納得していなかったでしょう」


 窓から差し込むの光を受けて、一瞬、緑の瞳が虹色に輝いた。オスカーはそれを興味深げに見つめたが、日が陰ると目を逸らす。


「別に、あの件に不満があったわけじゃない。ジャックが絡んでいることが、気に食わなかっただけだ」


 低く太い声を落として、オスカーは歩みを進める。シンシアも、今度こそ黙ったまま彼の後を追いかけた。

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