第19話 決戦のゆくえ

 レクシオとジャックが子どもじみた作戦会議をしていた頃、ナタリーとトニーは何かを準備するアインの方へと走っていた。火球の襲来によって二人が来たことに気づいたアインは、不機嫌そうに手を止めて、体ごと振り返る。


「もう。おねえちゃんたち、邪魔しないでよ」


 アインは唇を尖らす。不満に眉をいからせて腕を乱暴に振るしぐさは、子どもそのものだ。しかし、まとう空気は子どもにしては鋭く、また凶悪だった。ナタリーはアインをにらみつけ、トニーは大げさに肩をすくめる。


「悪いけど、とことん邪魔させてもらうよ」

「俺たちも死にたくないからねえ」


 二人の言動が気に障ったのか、アインはぎゅっと目を細めた。彼女が地団駄を踏むと、そのまわりで火花が爆ぜる。


「ラフィアの犬のくせに、なまいき! ぐちゃぐちゃになっちゃえ!」


 彼女が叫ぶと、それまで不規則に散っていた火花が集まって、大きく燃える炎になった。不自然に赤い炎は、少女と少年の方へ舌を伸ばす。二人は左右に跳んで炎をかわした。獲物を捕らえそこなった炎は、生き物のようにくねり、左右に分裂する。


 ナタリーは魔導術で水を生み、炎の方へ投げつける。青と赤の境から湯気が激しく噴き上げた。その勢いは彼女自身が想定していたよりも弱かったが、炎の蛇を阻むのには役立った。


 彼女の向かいでは、トニーが小さな水の球を五つ生み出して、同じように炎に投げつけていた。自然のものではない炎は、それであっさりと鎮まる。二人は遠くから視線を交わし、互いに安堵の息をこぼした。


 ――水、炎、風など、自然現象と密接に関わる魔導術は、魔導士の魔力で自然界の魔力に干渉して引き起こすものだ。少なくとも、現在の理論ではそう言われている。


 秋の帝都は冬よりも空気が乾いているため、空気中から抽出できる水分が少ない。それはつまり、自然界の水の魔力が弱い、とも言い換えられる。なので、水場でもない限り水の術はそのままでは威力が小さくなってしまう。どんなときでも一定の威力を保つには、構成式に工夫をほどこす必要があった。


 構成式の工夫はトニーの得意分野だ。逆にナタリーは、それがどうにも苦手である。だから、無理に複雑な術を使おうとは思わない。今はなおさら、命が懸かっているのだから。


 アインが憤然として朱色の髪を振り、雷光を四方に放つ。ナタリーは足もとの土くれを適当につかんで、あいた方の手で風を起こす魔導術を広げた。式が波紋のように広がる。それに合わせて、土くれを投げた。普通であれば百イルム(約一メートル)飛ぶかどうかもわからない土と石は、風を受けて弾丸のように飛ぶ。雷光と接触すると、破裂音を立てて粉々に砕け散る。それが連鎖して、視界を薄く煙らせた。


「何するのよお、もう」


 雷を消したアインが、顔を覆いながら騒ぎ立てた。ナタリーも目をかばいつつ、対面の少年に合図を送る。帽子を目深にかぶった彼は、けれどそれが見えたらしい。にやりと笑ってうなずくと、魔導術を展開しはじめた。魔力の動きが、青白い光の帯という形で少女の目に映る。ふわふわと浮くだけだった帯は、構成式が組まれはじめると、一気にトニーの手もとへ集まっていった。


 術がもう間もなく完成する。そう思っていたところに、突風が吹いた。


 ナタリーはとっさに伏せて体をかばった。めちゃくちゃに暴れる髪の毛が顔じゅうに当たって痛い。


 これも、あの少女が引き起こしたものなのだろうか。


 目を腕で覆いつつ、あたりの様子をうかがおうと試みる。しかし、何を確かめることもできなかった。肝心の目が開けられないのだ。


 風の音にまぎれて、何やら悲鳴が聞こえた気がする。トニーは無事だろうか。様子を見にいきたかったが、自分が吹き飛ばされないようにするので精一杯だった。


 風はほどなくして収まった。視界はすっかり晴れている。月光がまぶしい。ナタリーは薄目を開けて視線を巡らせ、トニーが倒れてうめいているのを見つけた。


 アインもそれに気づいたらしい。体を彼の方に向けて、歩き出す。


 その後ろで、ナタリーはとっさに地面を蹴った。


 魔導術の展開は間に合わない。ならば、魔導術には頼らない。


「やらせるか!」


 える。そして前へ飛び出した。体の半分を思いっきりアインの背中にぶつける。ナタリーより小柄な少女は、短い悲鳴を上げて転んだ。


 ナタリーの方は彼女を一瞥もせず、トニーの方へ駆け寄った。


「トニー、生きてる?」

「生きてるよ……。喜ばしいことに」


 ちょうど、トニーが上体を起こしたところだった。背中をさすっている彼の前に、ナタリーはかがみこむ。


「大丈夫? どこか痛む?」

「ちょっと背中を打っただけさ。平気、平気」


 トニーは、猫目を細めて頭をかく。その声はいつもよりも弱々しかった。ナタリーが思わず顔をしかめると、彼はおどけて言葉を継いだ。


「ステラに比べりゃ軽傷だよ、こんなの。――あれ、帽子どこいったかな」


 折れた肋骨が完治しないうちに戦場いくさばに出てきた友人のことを想う。


 あの子とあんたを比べてもね、とトニーに対して言いたくなったが、ナタリーはそれを口に出さなかった。代わりに、立ち上がって手を差し伸べる。トニーは「ありがとさん」と笑って、その手を取った。


 彼の帽子は、遥か後方の木の根元に転がっている。ナタリーは目視でそれを見つけていたが、拾いにいくことはできなかった。後ろから、獣のうなり声のような音と、怨嗟の声が聞こえてきたので。


「あーあ」


 呟いて笑ったトニーの顔は、思いっきり引きつっていた。振り返ったナタリーも、眉と口をひん曲げる。


 アインが起き上がっていた。目もとこそほほ笑んでいたが、そんな彼女を取り巻く空気は異様に熱されていて、不自然なほど大きな音を立てて流れている。


 魔力でない、正体の知れない力は、人間たちにわずかながら畏れを抱かせた。


「どうするよ、これ」


 トニーに問われたナタリーは、しかつめらしく考え込む。そして、うなずきひとつ。


「…………逃げようか」

「はは、賛成」


 大真面目な顔をして言い切った少女に対し、少年は清々しいほどの笑顔を向ける。彼の猫目が、遠くに立ち昇る光に気がついたのは、そのときだった。


「なんだありゃ」


 彼の声で、ナタリーも光に気づく。ちかちかと、繰り返し瞬く黄色い光。それが野外活動や軍隊で使われる信号の動きだと気づくのに、時間はいらなかった。少しの間光をにらみつけて、ナタリーはにやりと笑う。


「よし、トニー、逃げよう。団長たちからもお許しが出たわ」

「お許し?」

「『撤退』って。あの光はそう言ってる」


 ほう、と少年はうなずいた。


 二人はつかの間、無言で視線を交わしあう。そして、一斉に駆け出した。


 アインがすぐさま追ってくる。足音で、それはわかった。だから二人も、足を速める。途中で木のそばの帽子を拾い上げたナタリーは、それをトニーの頭に投げた。いて、と声を上げた彼はしかし、白い歯をこぼす。


「ありがとさん! さて、神父様も逃げましょ!」


 木のそば、草むらの方に、トニーが声を投げかける。すると、身をひそめていたエドワーズが慎重に顔を出した。ちょうどその前を駆け抜けたトニーが、エドワーズの腕を引っ張る。


「申し訳ありません。お役に立てなくて」

「何を仰る。神父様は神父様で、おつとめを果たしたでしょう」

「そうそう。それに私たちは、エドワーズ神父の護衛ってことでここに来たんですから」


 甲高い女の子の声を背に受けながら、三人は走った。また後ろで強い光が生まれている気がするが、考えすぎだと思いたい。


 撤退の合図を出してきたということは、ステラたちも逃げているはずだ。そして、それを追う大鎌の青年もいるはずである。上手く敵の目をすり抜けて、味方に合流できればいいが――


「え――」


 考えていたナタリーは、けれど足を止めた。立ち止まらざるを得なかった。


 寒気がする。鼓動が急に速くなる。全身から血の気が引く音を聞いた気がした。


「何、これ」


 振り返る。唇が、手が、足が、震えていることに気づいた。


「魔力、か? いや、うそだろ。でかすぎでしょ」


 ひっくり返ったトニーの声を聞く。彼も立ち止まっていた。エドワーズの手は離さないまま、青ざめた顔を夜空に向けている。


 あの少女が追いついてくるかもしれない。そんな考えがナタリーの頭をかすめたが、理性的な思考は恐怖にのみこまれてしまう。


 結果として、それは杞憂だった。アインも足を止めて、空をにらみつけていたからだ。


「これ……」


 少女の表情が、みるみる険しくなる。



 ――満月の夜に展開された、小さな戦場。そのすべてが、停止した。すべてが止まった空白の時間は、二分近くに及んだという。これは、その場にいた人間の中で唯一冷静だった人物が、後になって述懐したことだ。


 約二分の沈黙を打ち破ったのは、人ではなく、鳥だった。


 ガァ、と激しいカラスの声がする。満月の空を横切って、黒い影が大きな羽を広げた。そのカラスは普通より大きく、鮮やかな金色こんじきの両目を持っていた。


 カラスの正体を学生たちは知らなかった。気づいたのは、敵側の二人だけである。


退け。アイン、ギーメル』


 上空から声がする。少年少女と神父は、ぎょっと目をみはった。年を重ねた男の声は、彼らの聞き間違いでなければ、そのカラスを通して聞こえているようだった。


「ラメド」

『選定は為された。おまえたちが地上に残る意味は、もうない』


 アインが、声の主の名を呼んだ。その声を伝えるカラスは、彼女に視線を向けると、そのかたわらに降り立つ。アインはそれをじっと見つめていた。


 一方、声に対して反論したのがギーメルである。彼は、歯をむき出しにして怒鳴った。


「意味がないわけないだろ。ここで『翼』を潰せば、少なくとも将来の災いは取り除ける。『選定』が行われたからと言って、負けたわけじゃ――」

『選定だけではない。わかっているだろう? ヴィントが来たのだよ』


 ギーメルとアインは、離れた場所にいながらも同時に息をのんだ。


 一方、声を聞いたステラも目をみはる。思わずそこらじゅうを見回したが、幼馴染に似ているはずの人影は、どこにも見当たらなかった。


 声は、続く。


『ここで“翼”だけでなくあの男まで敵に回すのは、得策とは言えない。少なくとも、三人だけでは厳しい戦いとなる。だから、退け。少年たちもこれ以上の戦いを望まぬがゆえに、おまえたちに背を向けたはずだ』


 誰もが黙りこむ。その中で、ギーメルだけが歯ぎしりをして、空とカラスを順繰りににらみつけた。それで声が返ってこないとわかると、大きく息を吐きだす。そして、少女の方に叫んだ。


「おい、アイン。撤退するぞ」


 その声が終わると同時に、羽音が響く。カラスが飛び立ったのだ。そのカラスを目で追ったアインは、わざとらしく頬をふくらませた。


「わかってるよ。言っとくけど、あんたの指図じゃなくてラメドの指示を聞いたんだからね」

「そういうことにしといてやるよ」


 険悪なやり取りをした二人は――次の瞬間、姿を消した。まさしく、忽然と。


 あとには何も残らない。青年と少女の姿も、あの巨大な魔力でさえも。戦いの傷跡が刻まれた大地を、冷たい夜風がなでていく。


 ステラたちも、ナタリーたちも、敵が一瞬にして消えてしまった戦場を呆然と見つめていた。

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