第14話 銀の月の夜

 足もとすらもおぼつかない闇の中。教会の窓から漏れる明かりは、人々を導く灯台であるかのように際立って見える。事実、長蛇の列をなした人々は、しずしずと明かりに向かって歩いていた。


 列の後尾に滑り込んだステラ・イルフォードは、深く息を吸う。一見平然としているが、内心その密度と熱気に気おされていた。


 満月集会に参加する信徒は、老人から初等部生くらいの子どもまでいるようだ。むろん、多少の偏りはある。一番多いのがステラたちの親世代くらいの人々で、逆に少ないのが同年代の若者だった。とはいえ、若者がまったくいないわけではない。ステラたち『調査団』の五人は、そこに潜り込んだ格好だった。


 夜でもまだまだ明かりの灯り続ける、帝都。しかし、顔を上げれば、満月がはっきりと見える。ステラは息をのんだ。横から同年代の子に声をかけられた気がするが、聞こえなかったふりをした。


 人々に合流した学院前から教会までは、決して遠くない。ただ、その歩みの遅さゆえか緊張ゆえか、時間の流れは遅く感じた。ようやく、夜の中でも教会の輪郭が見える距離になったとき、ステラは深く吐息をこぼした。


 教会の前で、ほかの四人と合流する。いつもよりも格段に、会話は少ない。それぞれが肩を叩いて労いあうと、彼らは人でごった返す教会の入口につま先を向けた。


「では、行こうか」


 団長の一声に応えて、ステラは足を踏み出した。その際、何気なく横を見る。幼馴染の、いつもより険しい横顔が目に入った。


 ――満月集会で具体的に何が行われるのか、ナタリーに話を聞くまで、ステラはまったく知らなかった。正直なところ興味もない。神話には多少関心がある。礼拝を見学するのも嫌いではない。ただし、自分が当事者になるとなれば話は別なのだった。


 人々が粛然としている中、女神像の前に二人の司祭が現れる。一人はエドワーズで、もう一人は知らない老齢の男性だった。まずは、エドワーズが短く話をしてから、全員が神々への祈りを捧げる。このあたりはステラが先日見た礼拝と変わりない。祈りが済むと、今度は老齢の司祭が前に立ち、何やら語りはじめた。説教のたぐいだということはすぐにわかる。その二文字が頭に浮かぶや、少女は拒否反応で顔をしかめた。


 彼の「お話」は、思った以上に終わりが見えない。話が長いのは、学長だけではないらしかった。


 長いお説教に少女が飽きてきた頃、老司祭の隣に控えていたエドワーズ神父が、静かに姿を消した。同時、ひそめられた声がステラの耳をくすぐる。


「ステラ」


 目だけでそちらを見る。トニーが指で入口の方を差していた。ステラは近くの人に手ぶりで詫びを入れると、少し身を低くした。そのまま、するりと人混みを抜け出す。


 近くにいたトニー、レクシオとともに外へ出る。教会のそばではすでに、三人が待っていた。ジャック、ナタリー、そしてエドワーズだ。ステラは、安心したようにほほ笑んでいる神父に一礼した。


「こんばんは、エドワーズ神父」

「ステラさん、こんばんは。みなさんも」


 エドワーズはいつも通りのもの柔らかな態度だ。しかし、直後に目もとを引き締める。


「来ていただいてありがとうございます。準備は大丈夫ですか」


 ジャックが全員を見渡した。ナタリーとトニーは腕を軽く叩き、ステラとレクシオは己の武器を示す。それを見て、ジャックもにっと笑った。


「――問題ありません。いつでも戦えますよ」

「わかりました。では、『選定』の場所へ向かいましょうか。ついてきてください」


 穏やかな顔のままで衣をひるがえした神父は、より濃い闇の中へと歩き出す。五人の学生は、黙したままその後ろについていった。


 エドワーズ神父は歩き続け、帝都の城壁の外へ出る。兵士だろうか、見張りの男性は、声をかけてすらこなかった。彼が外へ行くことを知っていたのだろうか。


 高く軋む金属の音を背後に聞いて、ステラは息をのむ。


 まわりが、ふんわりと光に包まれる。さえざえとした銀色の月光が、木々や草や、後ろへ流れる都市の影を照らし出していた。今日の夜は明るいのだ。城壁の外側へ出て初めて、人々はそのことに気がついた。


 リィリィと、虫の声。靴が土を踏む。足首をくすぐる草が、乾いた音を立てて揺れる。人間という存在は、もう自分たちだけなのではないか。そう錯覚する時間。夢とうつつの境を行き来するような感覚に、ステラは恐怖と安堵を同時に抱いた。


 曖昧な感覚を現実へと引き戻したのは、音でもにおいでも風景でもなく、剣先のごとき気配だった。剣がステラの意識をかすめたのは、ほんの一瞬。しかし、彼女にとってはその一瞬で十分だった。


 剣を抜いて、薙ぐ。金属音が耳もとを通り抜けてゆく。


 振り返った。風がざわめき、闇の中で長衣が舞う。


「やあ、こんなところにまで来たのかい。ガキども」


 その影に、その声に、覚えがあった。剣を構えたステラは、黒のいっそう濃いところをにらみつける。布の下からのぞいた三白眼が、無邪気に、不気味に笑った。子どものように高い声が、愉悦に揺れる。その声に答えることなく、ステラは視線だけで仲間を見た。


「――行って!」


 呼びかけた相手は、エドワーズとそのそばにいた二人――レクシオとナタリーだ。二人は揃ってうなずくと、神父をうながして駆けだした。残った三人のうち、ジャックとトニーは無言のまま後ろへ下がる。逆に、ステラは半歩前へ出た。青年は、軽く目を見開いた後、天を仰いで笑った。


「ほう? また怪我をしに来るとは。その蛮勇には恐れ入るな」

「お褒めにあずかり光栄だわ。今度はそう簡単に負けてあげないから、覚悟なさいね」


 汗がにじんでいることに気づきつつ、ステラは凄絶な笑みを口もとにのぞかせる。それに対するいらえはない。ただ、紫紺の中で三日月形の光が生まれた。



     ※



 がぁん、とけたたましい音が夜気を揺らす。レクシオは振り返りかけたが、寸前で思いとどまった。代わりに鋭く舌打ちをこぼす。


 普段、レクシオは飄々としているから、このように苛立ちを表に出すのは珍しい。ゆえにナタリーがぎょっと目を見開いたのだが、彼本人は友人の表情に気づいていなかった。暗闇のせいもあるが、焦燥のせいもある。


「それで、神父さん。このまま道なりに行けばいいんっすかね」

「は、はい。ここを抜けた先です」


 荒い呼吸の隙間から、神父の返答があった。レクシオはひとつうなずいて、暗闇に視線を投げかける。行く先には木々が群れをつくっていて、小さな林のようになっていた。果たしてこれを好都合と見るか、否か。


 銀の月光の下。ナタリーと短く合図を交わして、レクシオは木々の狭間へ飛び込んだ。今、一番優先すべきはエドワーズ神父の安全だ。彼を挟んでレクシオが先頭、ナタリーがしんがりを務める形の隊列を作る。ぴしぴしと顔や腕に当たる枝葉を払いのけながら、少年は走った。


 人の気配はない。ほかの動物すらいない。自分たちの足音と息遣いと、草木の立てる声だけが耳もとを覆っていた。


 そのはずだった。


 何もない暗闇から、突然殺気がにじみ出る。レクシオがそれに気づけたのは、かつての経験のおかげだろうか。


 手を伸ばす。腰に。黒い柄をつかみ、引き抜く。一筋の光がひらめいた。


 しゅっと風が鳴ったのち、火花が弾けるような音。虹色の花が咲いて、飛び散った。


 神父と少女が同時に息をのむ。レクシオは、手振りで彼らに「足を止めるな」と言った。そうしながらも、木立こだちをにらみつけていると、すきま風のような笑声が響いてくる。


「おにいちゃん、その武器おもしろいねえ。もっと見せてよ?」


 発音が少しおぼつかない、小さな女の子の声だ。音の愛らしさとは裏腹に、聞く者の全身の毛が逆立つような悪意と圧に満ちている。


 レクシオが視線で周囲をうかがっていると、頬を引きつらせているナタリーと目が合った。


「な、なに今の? 女の子?」

「油断するなよ。たぶん、ローブの兄さんと同類だ」

「げえっ」


 カラスみたいな声を上げて、ナタリーが顔をしかめる。彼女に悪戯っぽい笑みを投げかけて、レクシオは足を速めた。


 そのときを狙ったかのように、小さな光が天から無数に降り注ぐ。レクシオは、とっさに神父の腕を引っ張って前へ出た。光は地面と接するやいなや、広がって雷光のように爆ぜた。


「あ、ありがとうございます」

「いーえ。突然すんません」


 また、光が降り注ぐ。レクシオは右腕を大きく振りかざした。固く変じた金属の糸が、光を弾いて打ち消した。その光景を見つつ、少年は緑の目を細める。


 あれは魔導術ではない。


 魔導術を発動するには、魔力エネルギーの出力や形質を決定する、構成式と呼ばれるものを組み立てなければいけない。大抵それは術の発動直前まで視認できないが、魔導士ならば魔力の動きという形で察知することができる。


 しかし。あの光が降ってくる直前に、構成式が組み立て、展開された兆候は一切なかった。


「……急いだ方がいいっすね。ここは危険だ」


 エドワーズに向かってささやいた後、レクシオはナタリーを振り返った。彼女のまわりには金色の光が見える。防壁の魔導術、それが生まれる前触れだ。


「ナタリー! あれ、魔導術か?」

「たぶん、違う。構成式がないから。どうなってるのよ、ほんとにもう」


 ナタリーは、悪態をつきつつも防壁を展開したらしい。あたりが薄い黄金色に包まれて、光の雨が弾かれはじめた。レクシオはため息をつく。この場合、答え合わせができたとして、嬉しくもなんともない。二発目のため息をつきかけて、レクシオはそれをこらえた。今は鬱屈としている場合ではないのだ。


 走り出す。それと同時に攻撃も激しさを増した。笑声はやまず、金色の膜は消える。ナタリーの防壁が使い物になったのは一瞬だった。あの手の術を走りながらかけ続けられる魔導士はめったにいない。しかたのないことである。


 光る。爆ぜる。地面が揺れる。道の先が明るい。目的地は、きっとすぐそこだ。しかし、そこへ辿り着いたとして、その後の妨害にどう対処すればよいのか。エドワーズ神父の祈りが『銀の選定』に間に合わなければ、すべてが水の泡だ。


 汗が額をつたう。レクシオが、ひそかに唇を湿らせたとき。


『レク。しゃがんでいろ。合図をしたら、走れ』


 懐かしい声がささやいた――気がした。


「しゃがめ!」


 とっさに声を上げる。自らも、頭を抱えてその場にしゃがむ。直後、頭上を風が通り過ぎて、あたりが橙色に包まれた。


 顔を上げる。夜空を横切るように、炎の線ができていた。魔力の炎は燃え移りも落ちもせず、ただぼうぼうとその場で踊っている。


「なになに、今度は何? 別の魔導士までいるの?」

「……ま、少なくとも敵ではないだろ」


 ほとんど涙目で騒ぐ友人にそれだけ言って、レクシオは立ち上がる。呆然としているエドワーズの手を取った。彼はその感触で我に返ったのか、表情を引き締める。


 炎の下を走る。記憶に刻み込まれた魔力を感じながらも、その間、少年はまったく表情を変えなかった。


 そして、木々だらけの道を抜ける。視界が開けて、満月がすぐそこに見えた。まわりは草と岩ばかりで、月光をさえぎるものはほとんどない。


「ここが目的地です」


 エドワーズ神父は静かに言うと、少年少女の前へ出た。二人に対して、お礼とともに頭を下げた後、体ごとはるか上空の月に向き合う。


「これより、開道かいどうの儀式を執り行います。司祭および神官の皆さま、応答を願います――」


 彼がそう口にした瞬間。レクシオは、うわん、と強い耳鳴りを感じた。慌てて顔を上げる。空には変わらず、月が浮かんでいるだけだ。けれど、なぜだろう――気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る