第6話 黄昏の色

 冷たい空気の淀む教会に、男の声が響き渡る。声変わり前の子どものように、それは高い。


「ガキどもが揃いも揃って英雄気取りか?」


 彼はわずかに身じろぎし、背後をうかがったようだった。ナタリーが、警戒しつつも距離を詰めている。いつでも術を発動できるよう、右手の五指は宙に添えられていた。


 レクシオは彼女の方にも目を向けつつ、あくまで冷静なふうを装って、襲撃者と向きあっていた。


「こっちとしちゃー複雑だが、あんたが普通じゃないことくらいはわかる。英雄気取っても死ぬだけだろうってこともな。だから、帝都の頼れる大人たちの手を借りることにした」

「おまえ――」

「うちの団長と古株が警察に駆けこんだんでね。そろそろ出動してきてる頃じゃないかな、と」


「おてんば娘が踏ん張ってくれたおかげで、時間ができた」と続けた彼は、ステラに意味ありげな微笑を向ける。彼女は文句を言えばいいのか感謝を伝えればいいのかわからなくなって、結局黙りこんだ。


 襲撃者は舌打ちをひとつすると、手の中から一瞬で鎌を消す。ナタリーが驚いた様子で何かを叫んだ。レクシオも、表情こそ変えなかったが、わずかに目が揺らいだ。若者たちの驚きをよそに、襲撃者はローブの陰から吐き捨てる。


「さっきの『防壁』も、顔も、姑息こそくさも……似てるな。腹立たしいほどに」

「なんだって?」

「あーやだやだ。おかげで興ざめだ。この上さらに警察なんかと鉢合わせたら、めんどくさいし」


 布に覆われた手が動く。何かに気づいたナタリーが、構えていた手を動かした。しかし。


「しかたないから、今日のところは――こうだ」


 言葉と同時、彼の全身を光る煙が覆う。それはあっという間に広がり、霧散した。そして、その先には何も残っていなかった。彼の姿も、その痕跡すらも。


「あっちゃー……逃がしたか」


 ナタリーが悔しげにうめきながら、ステラたちの方に歩いてきた。レクシオの前で立ち止まると、両手を合わせる。


「すまん、レク!」

「ま、しかたないでしょ。一戦交えることにならなかっただけでも、良しとしようや」

「……だね。ステラたちも無事だし」

「無事、ねえ」


 レクシオはこれ見よがしにため息をつくと、そこにいたステラを見下ろした。


「今回はそういうことにしときましょ。立てるか?」

「あ……うん」


 ぼんやりとしつつうなずいて、ステラは立ち上がる。両足で地面を踏みしめた瞬間、胸に痛みが走った。よろけた彼女を支えたのはやはり、幼馴染の手だ。


「あ、ありがとう」

「どういたしまして」


 複雑な感情を押し隠してお礼を述べたステラを、レクシオはからかうこともなく静かな瞳で見てきた。それが何かを隠しているときの表情だと、ステラは知っている。だが、今はそれを詮索している場合ではない。


「さっき、警察がどうこうって言ってたけど。なんで教会で警察沙汰が起きてるって、わかったの?」

「そりゃ、向かってる方向から爆発みたいなすごい音がしたら、何かあったとは思うだろ」

「あー……」


 何も返せない。ステラは思わず、エドワーズと顔を見合わせてしまった。彼らがそれ以上ものを言う前に、騒がしい声と足音が徐々に押し寄せてくる。騒音の合間をかき分けて、普段は陽気な団長の切羽詰まった呼び声が聞こえた。


 ジャックとトニーが呼んだ警察官たちが教会に殺到してすぐ、医者も呼び出されたようだ。ステラはすぐさまそちらへ引っ張っていかれた。医者は、傭兵とでも言われた方が納得できそうな悪人面だった。けれど、診察は手慣れたものである。おてんばな患者をひととおり診て、無愛想に「肋骨骨折だ」と診断を下した。処置ついでに色々と質問をされたが、骨折以外の怪我がなかったのは不幸中の幸いである。さらに警察官から長々と事情聴取をされ――ステラが解放される頃には、空を泳ぐ雲が淡い茜色に染まっていた。


 ステラは、警察官の険しい目から逃げるように教会の西へ歩いた。そこに見覚えのある顔を見つけると、胸をなでおろす。おおい、と声を上げると、もっとも付き合いの長い少年が真っ先に振り向いた。


「あれ、ステラ来たのかよ。帰って休んだ方がいいと思うんだけどな」

「帰るわけないでしょう。本題の話が何一つ終わってないってのに」

「そうですか」


 レクシオはいつもの調子でかぶりを振った。だが、その目は彼女の胸のあたりを鋭くうかがっている。骨折したあたりをかばって歩いていることに気づいたのだろう。ステラは物言いたげな幼馴染の視線をかわし、代わりに団長へと目をやった。ジャックは特に咎めるでもなく、差し向かいの神父を手で示す。


「ちょうど今、その話をひと通り終えたところだ。いい時に来たね」


 エドワーズは一瞬、ステラに憂いのまなざしを注いだ。しかし、すぐにやわらかく微笑した。ステラがどぎまぎしている間に、彼は『調査団』の面々を優しく見回す。


「先ほどの『人魂』の話なのですが……私も教会にいらっしゃる方から何度か話をうかがっています。実際に、確かめにいったこともあるのです」

「そうなんですか? どうでした?」


 前のめりになってトニーが問う。エドワーズはかぶりを振った。


「私が見にいったときは、それらしいものはありませんでした」

「そうっすかー……残念だ」


 小声で言ったトニーをナタリーが小突く。彼女はそのまま、何事もなかったかのようにジャックの方を見た。


「で、これからどうする?」

「僕も困っているところだ。神父様の許可が得られればと思っていたが……この騒ぎになってしまっては、どのみち調査は難しいかな……」

「一度見にいらっしゃる程度でしたら、構いませんよ」


 真剣に悩んでいたジャックはしかし、神父の言葉を聞いて頭を跳ね上げた。ほかの面子も、そしてステラも目をみはる。


「え……いいんですか!?」

「人魂の件が理由で礼拝に来るのが怖い、という方も増えていまして、こちらとしても困っていたのです。原因がわかるのならありがたい。警察の方々には私の方からかけあいます」

「かけあうって言っても……」

「それらしい理由を作りますよ」


 エドワーズは、ほほ笑んだまま断言する。神父のしたたかな一面を見せつけられて、『調査団』の五人は呆気にとられた。


 一番早くに立ち直ったジャックが、咳払いする。


「ありがとうございます、神父様。警察の人たちを説得できたら、連絡いただけるとありがたいですが……」


 そこで、ジャックは言葉をとどめた。「連絡」と言ってもどこに伝えてもらったらよいかと悩んだのだろう。ステラは、ここぞとばかりに手を挙げた。


「あ、じゃあ、孤児院の方に一報を入れてもらえますか。ミ……院長先生も私たちの活動を知ってるので、すぐに伝わると思います」


 意外そうに目を丸くする学生たちをよそに、エドワーズは「わかりました」とうなずいた。


 話がまとまり、学生たちは帰路を急ぐ。自分もこの場を去ろうとして歩きだしたステラはけれど、優しい声に呼ばれて足を止めた。エドワーズが、彼女をまっすぐに見つめていた。


「申し訳ありません。そして――ありがとうございます」


 彼は、唐突にそう言った。何のことかとっさに見当がつかなくて、ステラは慌てふためく。


「へ? あの、何がですか?」

「危険な事態に巻きこんでしまったことに対する謝罪と、身をていして守ってくださったことへの感謝です」

「あ、ああ」


 ようやく腑に落ちた。自分がやったことを改めて思い返し、不格好に笑う。


「気にしないでください。あたしが一人で勝手に突っ走っちゃっただけですし……エドワーズさんに何もなくてよかったです」


 神父は深く頭を下げた。ステラは「じゃあ、あの、ご連絡お待ちしてます」と言い残して、逃げるように彼へ背を向ける。不穏なざわめきに誘われて、その方を振り返った。まだ、教会前には警察官たちのまっ黒い影がこごっている。彼らの頭上に輝く夕日がまぶしい。ステラはきつく目を細めると、今度こそ走り出す。


 嬉しいようで、恥ずかしくて、それでいて情けない。胸にわだかまる感情になんと名前をつけたらよいものか、ステラにはわからなかった。

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