午後②


 ノックされた扉に返事をする。


「はい」

「累様、アトリです。御前、失礼しても宜しいでしょうか」

「いいよー」


 堅い話し方をする男性の声音に軽く応じると、間を置かずにスズメが扉を開いた。


 深く一礼をして入って来たのは、30代ぐらいの上質なスーツを着こなした、【止まり木】の1人、アトリだ。

 スズメと同じ柔らかい金髪を、綺麗に撫で付けた髪型に、彫りの深い顔立ちが、マネキンのようにバランスの取れたイケメンだ。

 こうやって目の前に2人が並ぶと、まさに部屋の豪華さに似合う美男美女。……しかし、その中心にいるのが、こんな主人じゃあ……。


 どうしても自虐ネタが浮かんでしまう残念思考を振り払い、アトリに声を掛けた。


「やぁ、アトリ。どうかした?」

「おくつろぎ中、申し訳ありません。こちらでのご生活は如何でしょうか? 何かご不便やご要望がありましたら、何なりと」


 アトリは、【止まり木】の中でも高い地位にいるのか、人員の増減など、全体を統括する重要なポジションにいるらしい。スズメからしても上司に当たるのか、その対応は丁寧だ。【止まり木】が累の使用人達だけで構成された集団とはいえ、累自身は全く関与していないので憶測でしかないが、有能な男であることは間違いない。


「至って快適だよ。久しぶりの学校生活も、面白いし」


 実際は現役の生徒に混じっての演習で、非常に疲れ果てていたが、ちょっと強がって余裕の発言をしてみる。まさか、体力が付いていかない、だなんて情けないことを明言するのは、魔法士としてどうよ、という気概だけはあるのだ。……そう、気持ちだけ。鍛えるつもりが無いあたり、どうしようもない。


「では本題なのですが、この後、紺碧師団の副師団長が、累様に面会したいと申し入れております。お時間大丈夫でしょうか?」

「へぇー、依頼の件かな? いいよ、わかった」

「有難うございます。では後ほど、時間を調整して場を設定いたします」

「宜しくー……あ、そうだ。夕食を、会長……鷺ノ宮ユーリカさんから誘われたんだよね」


 そういえば伝え忘れていた。確か、迎えを寄越すと言っていたから、時間になれば呼びに来てくれるのだろうが……。


「鷺ノ宮家のご息女ですね。承知致しました、そちらとも予定を擦り合わせておきます」


 アトリが二つ返事で了承する。彼が対応してくれるなら、何も懸念することはない。


 返事の代わりに一つ頷き、再びカップに口をつけた。


 アトリが胸元から取り出した手帳に何かを書き込んでいる。その横で、スズメが一歩前に出た。


「でしたら累様。湯の準備が出来ておりますので、ご来客のためのお支度を致しましょう」


 そう言いながら、背後に何かを指示する。

 と、すぐに、全くの初対面と思われる少女が、まっさらな制服一式を持って近付いて来た。


 スズメと同年代ぐらいと思われる少女は、同じようなシックな服装で、亜麻色の髪を肩口で切り揃えている。

 手に持った制服を、丁寧な所作でスズメに渡す姿を眺めながら、この子が増員された1人なのか、と思った。


 スズメは、渡された制服を腕に掛け、隣の少女を紹介した。


「ご入浴のお手伝いをさせて頂きます、クイナです。クイナ、累様にご挨拶を」

「お目もじ叶って光栄に存じます。どうぞ、宜しくお願い致します」


 膝丈フレアスカートの端を小さく摘まみ、膝を折って挨拶をする少女。それは、徹底的に叩き込まれた、非の打ち所のない仕草だったが、微かに震える声音に、緊張を感じる。

 少し伏せ目がちで表情は読み辛いが、よく見れば上気した頰に、意識的に引き結ばれた口元からも、この場に慣れていないのが分かった。


「ではクイナ」

「はい」


 スズメの言葉に、あからさまにホッとしたような表情のクイナは、再度一礼をして下がる。ピンクに染まった頬に、亜麻色の髪がサラリとかかる様が可愛らしい。

 【止まり木】の者は、見た目で選ばれているのかと疑いたくなるほどに、これまで出会った全員が見目麗しいから困る。目が肥えすぎて、並大抵の美男美女では感動も薄らいできた。


 なんて贅沢な悩みだ、と思いながらも、このまま流されていくと丸洗いされかねない。


「えっと、汗を流すなら、適当にシャワー浴びるから……」

「いいえ。お疲れのご様子ですので、せっかくですから湯に浸かってくださいませ。お着替えのご用意もしておりますので、ごゆるりと」


 きっぱりと言い切ったスズメに、さぁ、と促される。

 アトリも、当然のようにその場を辞し、完全にバスタイムの空気感だ。


 こうも自分待ち、という状況にされてしまうと、動かざるを得ない気持ちになるから、既に敗北は確定だ。


 実際、汗もかいたし、土埃で制服も汚れている。

 さっさとスッキリしてゆっくりするか……。


 今が自主練習の時間だということを、綺麗さっぱり意識の外に放り出して立ち上がった。


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