番外編四

「鬼はー、外! 福はー、内!」

 夜が始まってすぐだった。あちこちで元気の良い声が響いている。

 ああ、もうそんな時期か。

 今日は城に集う諸将の誰もが非番の日となった。珍しく日勤の責任者シリニーグの姿もあった。

 侍女も警備兵も将軍達もどっしりと垂れ下がった革袋を持っている。何が入っているのかというと……。

「殻付き豆さ」

 ヴィルヘルムが言った。

 そう言って茶色の砂時計のように真ん中が縊れ両側が膨らんだ豆を見せた。

「それにしても大がかりだな」

 アカツキは周囲の様子を見て正直驚きつつも呆れていた。

「まぁな。アムル様の父上のそのまたずっと先から続いている伝統的なものでね」

「こんなに派手にやって、どうせわざわざ掃除するんだろう? 馬鹿馬鹿しい行事だな」

 その時だった。

「こっちに鬼が逃げて来なかった!?」

 リムリアが回廊を駆けて来ながら侍女に尋ねる。

 と、侍女が答える前に彼女はこちらを指差し、声を上げた。

「あー! いた! アカツキ鬼だよ! アカツキ鬼!」

 周囲の者達の視線がこちらに集まる。

「そういえば、アカツキは悪鬼って呼ばれてるもんな」

 ヴィルヘルムが悪戯っぽくウインクする。

「よし、ここは厄払いで皆で鬼を外へ追い出すとしよう!」

 ブロッソが言う。

 周囲の者達が一斉に腕を振り上げ、豆をぶつけてきた。

 アカツキは兜に甲冑姿だったため、痛みは無く、ただ騒々しい音を立てて豆がぶつかるだけだった。

「お前ら何をするんだ」

 それでも顔目掛けて飛んでくる豆をうっとうしく思い払い除けると、リムリアが言った。

「アカツキ将軍は、走って走って!」

「何でそんなことをしなきゃならん?」

「鬼さん役だからだよ。ヴィルヘルム様、町にも伝令を出して、アカツキ将軍を見掛けたら豆をぶつけるように伝えて!」

「良いよ。面白そうだな」

 ヴィルヘルムは言うと警備兵数人を呼び伝令として走らせた。

「ほら! アカツキ将軍は逃げて逃げて!」

 リムリアが豆をぶつけながら捲し立てる。

「アカツキ将軍、鬼役が逃げねばつまらぬでは無いか」

「そうだぞ、そうだぞ」

「うむ、うむ」

「皆を楽しませてくれ」

 将軍達が揃って言って頷く。

 アカツキはこの状況に白けるだけだったが、諸将、侍女、警備兵達の熱い視線を受けて、溜息を吐いた。

「お、観念したか」

 ヴィルヘルムが言った。

「ちっ、今日だけだからな」

 アカツキは駆けた。

「それー!」

「鬼は外、鬼は外!」

 リムリアの音頭に乗って誰もがアカツキの背中目掛けて豆を投げつけてきた。

 何でこうなるんだ?

 アカツキは必死に駆け、豆をぶつけられながら、己の異名を呪った。

 大体誰だ、最初に俺の事を鬼だなんて呼んだ奴は!?

「キャア! 鬼よ! 皆様アカツキ将軍よ!」

「ええい! 鬼は外、鬼は外!」

 三階に降りるとすぐに侍女達が目敏く見つけて声を張り上げる。

 まるで任務に失敗した諜報員のような気分だ。

 アカツキはそのまま二階へ下りようとしたが、侍女が言った。

「アカツキ将軍、そんなすぐに下りられてはつまらないですわ」

 侍女達が言った。

「何だと?」

 アカツキが問うと彼女達は言った。

「各階を一周してから下りられますように!」

「うっ」

 アカツキは侍女達の団結するその迫力に押され、折れ、回廊を逃げた。

「皆様! アカツキ将軍がそちらへ向かいましたわよ!」

 アカツキは三階を一周し、敬礼後に豆をぶつけて来る警備兵や、追手としてリムリアを筆頭に駆けて来るヴィルヘルム、ブロッソから逃げていた。

 これはいじめではないか。

 アカツキは二階を一周し、一階に下りる。

「アカツキ将軍、鬼は外!」

 またもや警備兵、侍女、居合わせた将軍に豆をぶつけられる。

「アカツキ将軍、楽しませてもらうぞ。鬼は外!」

「死ね死ね人間! 鬼は外!」

 サルバトールと従者のテレジアもいた。

 アカツキは駆けた。鬼の役を全うするために、しかし駆け疲れた。ここまで全速力で逃げて来たのだ。

 と、前方に影が見えた。どの道、階を一周しなければならないのでヨロヨロしながら駆け出した。

 近付いて行くとそこには鍛え抜かれた上半身を曝け出した隻眼の将軍が立っていた。

「ズィーゲル!」

 アカツキが呼ぶと相手は穏やかな笑みを浮かべた。

「アカツキ将軍、随分必死ではないか」

 ここが限界だ。アカツキは一旦休息を取ることにした。

「悪いが、追ってきた奴らには適当なことを言ってくれ。俺はここで休ませてもらう」

「良いだろう」

 ズィーゲルが応じた。

「すまんな」

 アカツキは部屋の扉を開けて中へヨロヨロと滑り込み扉を閉めた。

 一息吐いたが、湯気が視界を覆った。

 ここはもしや。

 と、気付く前に声が上がった。

「何者だ!?」

 凛と響く声にアカツキは面倒なところに来てしまったと痛感した。

「ん? アカツキ将軍! 貴様は何回私の風呂に入りに来れば気が済むのだ!」

 主君アムル・ソンリッサが、タオルで身体を隠して声を上げた。

「三回目だ。一度は勘違いで、二回目はお前、いや、貴女の命を救った」

 アカツキは息を整えながらそう応じた。

「それで三回目は?」

 アムル・ソンリッサが視線を厳しくして問う。

「はぁ。休憩です、陛下。休ませて下さい」

 アカツキはその場にどっかり腰を下ろした。

「何があった?」

 アムル・ソンリッサも察したように尋ねてきた。

「節分です陛下。あのバカ女が扇動して俺を鬼役にしたんです」

 すると主君は眉宇を潜めた。

「アカツキ将軍、女性のことをバカと呼ぶのは止めて貰いたいな。差別的だぞ」

「以後、気を付けます。リムリアです」

 アカツキは肩を上下させ荒い呼吸を繰り返し応じた。

 すると、背後の扉の向こうに気配を感じた。

「ねぇ、おじさん、アカツキ将軍来なかった!?」

 リムリアの声だ。

「アカツキならもう向こうへ行った」

 ズィーゲルの応じる声がする。

「もうここを抜けたか、大した脚力と持久力だ!」

 ブロッソの声が続く。

「みんな、行こう、我々はアカツキをひとまず城外へ追い出すんだ! 後は町の人達がなんとかしてくれる!」

「おおおおっ!」

 ヴィルヘルムの声が言うとまるで鬨の声の様に大勢の声が木霊した。

 一体何人が俺を追ってるんだ。

 アカツキは疲れつつも呆れ果てていた。

 その時、グラスに水を差し出された。

 手の主はアムル・ソンリッサだった。いつの間にかすぐ側まで来ていた。

「飲め」

「……頂戴いたします」

 アカツキは一気に呷った。気力が少しだけ戻った様な気がした。

「どうするんだ?」

 アムル・ソンリッサが再び問う。

「とりあえず、こっそり自室へ戻って今日をやり過ごします」

「悪鬼と呼ばれる割には少々情けないが、思う様にすれば良い」

「はい」

 アカツキは立ち上がった。

「陛下、俺はこれで。水、ありがとうございました」

「幸運を祈るぞ」

 その言葉にアカツキは胸を打たれた。思わず感涙しそうになったが押し止めて風呂を出る。

「苦労するな、悪鬼殿」

 ズィーゲルが言った。

「こんな異名欲しくも無かった。ではな」

 アカツキは部屋へと駆けた。

 既に警備兵、侍女達の姿も無い。全員がアカツキ追討に参加しているのだろう。暗殺者の襲撃があったというのにと、アカツキはまた呆れた。

 そして忍び足で疾走し、自室へ戻る。

 どうにか帰って来れた。

 彼が部屋の扉を開けると、そこには黒衣の将軍が立っていた。革袋を持って。

「シリニーグ!?」

「アカツキ、悪く思うなよ! 鬼はここだぞ!」

 シリニーグの声が轟くやアカツキは部屋を後にし再び逃避行に移った。

「アカツキ将軍、発見!」

 信じられないほどの大勢がアカツキを追って来ている。

 リムリアは先頭でブロッソの左肩の上に座っていた。

「それ、豆をぶつけろ、鬼は外! 鬼は外!」

「鬼は外、鬼は外!」

 矢嵐のように飛んでくる豆が背中にぶつかる。

 アカツキは結局、城外へ逃れた。

「ほっほっほ、お待ち申しておりましたぞ、アカツキ将軍」

 厩舎の管理人ウォズ老が立っていた。作業員達を従え、全員が革袋を持っていた。

「ここも駄目か!?」

 アカツキは逃走した。

「それ、鬼は外! 鬼は外!」

 ウォズ老と作業員達が豆をぶつけてくる。

 アカツキは貴族街を駆け、そこでも貴族の屋敷の門番達が結託して豆をぶつけてきたが、城下町へ出た。

 町はいつも通り、静かな夜空の下、活気に溢れていた。

 と、一人の中年女がこちらを見て、目を丸くし、指を差して金切り声を上げた。

「居たわ! 鬼よ、災いを招く鬼がここに!」

 人々が一気にこちらに注目する。その手には革袋がぶら提げられていた。

 くそっ、勘弁してくれ。

 ここまで駆けに駆けて足は疲弊し、呼吸は乱れていた。アカツキはそれでも駆けた。

「悪鬼を討て、鬼は外!」

 人々が通り過ぎるアカツキ目掛けて豆を投げつける。

「おにはーそと!」

 小さい子供まで凄い形相で豆を投げてくる。

 ちいっ、やはりいじめではないか! リムリアめ!

 アカツキは首謀者の女を呪いながら豆と声が飛び交う城下町を真っ直ぐ門の方へ駆けた。

 後ろを振り返ると、民衆が鼠の大軍のように迫って来ていた。

 ここが戦場ならば!

 腰の左右に提げた斧と剣の感触を感じつつアカツキは鬼の使命を果たすために逃げる。

 そして門の外に出ると、重々しい音を立てて門が閉じられた。

 こうして次の夜までアカツキは閉め出されたのだった。

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