八話
隣接する闇の敵対勢力、アムル・ソンリッサが、同じ闇の勢力全てを敵に回したことにより、掘削作業はゆったりと進み夕暮れには早々と終わることが多かった。
しかし、未だ最大限に安心できる状態では無いために一般の民衆を呼び寄せることは無かった。そのため兵達の休む場所は城下のかつての民家や酒場など、空いている建物を一時的に利用していた。
雲が三日月を隠すその空の下で、アカツキは城の中庭に流れる水路で、ダンカン分隊長の形見の剣を洗っていた。
しかし、歳月をかけた汚れは当然のことなかなか落ちず、湯を持って溶かしながら洗うべきだったとアカツキは痛感したのだった。
「アカツキ将軍」
名を呼ばれ振り返るとバケツを左右に片方ずつ提げたリムリアの姿があった。
「何の用だ?」
少女の面影がくっきり残るこの女にアカツキはまだ心を開いてはいなかった。自分でもよく分かっている。大人げないとは思っていた。しかし、彼女の嘘のせいで自分は一瞬信じていた夢を打ち砕かれることになったのだ。騙される方も悪いとは言いつつもアカツキも心の底からは彼女に対して素直にはなれなかった。
「お湯で洗った方が落ちると思うよ」
おぼろげな月明かりが彼女の微笑む顔を照らしている。
「そんなことは百も承知だ」
アカツキは苛立ちながらも心を抑え静かに応じた。
「だからお湯、沸かして持ってきてあげたわ」
リムリアは左右の湯気の立つ木製のバケツを差し出した。
「余計な事を」
アカツキは呟いた。
「ん? 何か言った?」
リムリアが尋ねる。
「何も言っていない。……湯を、もらうぞ」
「どうぞ」
アカツキは湯に布を浸し、汚れた剣の刀身を磨き始めた。
「剣が気持ち良いって言ってるよ」
アカツキは応じなかった。
幾度も湯に布を浸し刀身を磨き上げてゆく。
そして銀色に煌めく切っ先が現れたのはしばらくしてからのことだった。
「やった!」
リムリアの声がし、アカツキは我に返り、相手を見た。
「まだ居たのか。明日も堀を掘る作業があるぞ。それか炊事班に回るかは自由だが、そろそろ寝ておかねば明日が辛いだけだ」
「あたしなら大丈夫だよ。そんなことより剣が喜んでるよ。もっともっと汚れを落として、刃を研いであげて」
「お前が寝るならそうしよう。まだ強情にここに居座るのなら俺は今日は止めにする」
アカツキが言うとリムリアは微笑んだ。
「意地悪なこと言ってるけど、あたしが居ても居なくて剣を研ぐところまでやるんでしょう?」
図星を突かれ、半ば呆れてアカツキは溜息を吐いた。
「お前のためを思って言ってやってるんだ。もう寝ろ」
「嫌」
リムリアは微笑んだままだった。
「将軍として命じる、とっととベッドへ戻れ!」
アカツキは思わず強行手段に出て、リムリアの大きな瞳を見詰め返した。
「はぁ」
今度はリムリアが溜息を吐いた。
「アカツキ将軍の意地悪」
頬を膨らませリムリアはズカズカと立腹の様子で去って行った。
まだまだ子供だな。
アカツキは彼女にそう感想を持つと剣を布で拭いて未だしつこくこびり付いた汚れを松明の炎で確認しながら洗った。
積年の汚れを落とし刃に砥石を走らせたのは夜も更けた頃だった。
その頃には頭上の雲も無くなり、三日月と数多の星々が輝く夜空となっていた。刃が少しずつ鋭くなり始め月光を反射した。
もう一息だ。
アカツキは静かに砥石を走らせ続けた。
二
玉座の間にアカツキは一番乗りで訪れていた。腰には布で包んだ輝きと切れを取り戻したカンダタがある。
程なくして太守バルバトス・ノヴァーが姿を見せた。
「おお、一番乗りはアカツキ将軍か。これで俺の連続記録も打ち切りだな」
笑い声をあげてバルバトスが言った。
「申し訳ございませぬ」
アカツキが慌てて応じると、バルバトスは言った。
「いや、気にするな。しかしアカツキ将軍、その腰に差している布で包んであるのは何だ?」
「はっ、これは剣でございます。丁度いい鞘の方がまだ見付からずこうして布で巻いております」
「アカツキ将軍の目にかなった剣か。興味があるな。見せてもらっても良いか?」
「はっ」
アカツキは左の腰からそれを抜くと布を開いて見せた。
バルバトス・ノヴァーが珍しく驚きの声を上げた。
「これは、忘れもしない! カンダタ! ダンカンの剣ではないか!?」
「そうです。城の外で忘れ去れているのを昨日見付けました」
ダンカン分隊長が死んだあの時、バルバトス・ノヴァーも居合わせていた。そしてバルバトスはダンカンと親交があった。
「そうだったか。回収する余裕も無かったからな。すっかり失念していた。アカツキ、もしやこの剣を使うつもりか?」
「ええ、そのつもりです。父の形見も折れてしまい剣を探しておりました」
「ダンカンの力の宿ったこの剣、お前なら上手く使いこなせるだろう。朝から良いものを見させてもらった、礼を言う」
そう言われアカツキは敬礼した。
そのうちに、サグデン伯やイージアの大将である芳乃幾雄将軍やファルクス達、諸将が集った。
「今日も皆の顔が見ることができて良かった」
太守バルバトス・ノヴァーはそう言い、さっそく穏やかな表情を少々神妙なものに変えて言葉を続けた。
「さっそくだが一度国境の守備を交代しようと思う。ライラ将軍も、不肖我が息子グシオンも気を張り、野で寝泊まりして疲れているだろうからな」
バルバトスは間を置くと言った。
「両将軍に変わって、芳乃将軍の武将から一人とアカツキ将軍を新たな国境守備隊に任命する」
「分かりましたでおじゃりまする。麻呂の代理としてあげます将軍はツッチーでいかがでおじゃりましょうか?」
大道芸人の様な化粧をした芳乃将軍が言った。
「猛将ツッチーだな。良いだろう」
バルバトスは頷き、アカツキの方を見た。
「謹んでお受けいたします」
アカツキは敬礼した。
「ではアカツキ五万の兵を率いて、ツッチーと共に速やかに国境へ向かってくれ」
「はっ!」
アカツキは敬礼して応じた。
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