ストーリー・フェイト──巨人も魔獣も悪魔も邪竜も神さえも悉く討ち斃す最強の先輩が、ある日突然女の子になってしまったのですが。一体、後輩の僕はどうすればいいのでしょうか──
DESIRE────そしてラディウスの夜は過ぎていく
DESIRE────そしてラディウスの夜は過ぎていく
甲板にあったロープでギルザを縛り、身動きを取れなくしたあと、僕は船内にへと向かった。
階段を下りながら、僕は自分に初歩的な回復魔法をかける。僧侶などの
しかし、いくら回復魔法をかけたとはいえ、既に失った血は戻らない。ギリギリのところで失血死は免れたが……やはり、身体が異常なくらいに重い。先ほどから眩暈も続いているし、こうして立って歩けていること自体が奇跡だ。
──先輩、怪我してないよな……?
ギルザの人間性を目の当たりにしてから、もうそれが心配で心配で仕方がなかった。……もし先輩に擦り傷一つでもあったなら、僕はギルザを殺してしまうかもしれない。自分を止められる気がしない。
そうならないためにも、先輩が無事であることを必死に祈りながら階段を下りていく。一段、一段と足を運ぶ度、全身がバラバラに裂かれるような激痛に見舞われる。
──し、死ぬ……!
息絶え絶えになりながら、僕はやっとの思いで階段を下り終えた。もうこの時点で体力が尽きかけているが、己を奮い立たせて船内を見回す。
「……あっ、先輩!」
先輩はすぐに見つかった。ロープで手足を縛られているようで、壁にもたれかかるようにして床に座らされていた。
耳を澄ませば、先輩から可愛らしい小さな寝息が聞こえてくる。見た限り怪我もしてないようで、意外なことにギルザからはなにもされていないようだった。
──良かった……。
そのことに僕は心の底から安堵して、転ばないように先輩の元にまで歩み寄る。
ゆっくりと腰を下ろし、先輩の手足を縛るロープを解いていく。幸いそうキツくは縛っていなかったようで、苦戦することなくロープを解くことができた。
先輩の手首と足首をさっと確認する。キツく縛られていなかったとはいえ、それでも長時間縛られていたせいか薄らとロープの跡が残ってしまっていた。
「………………ん、ぅ…ぁ……?」
僕がそれを確認していると、そんな可愛らしい呻き声が聞こえてきて、先輩が閉じていた瞼をゆっくりと開かせた。
とろんとした琥珀色の瞳が、ぼんやりと僕の顔を見つめて、寝惚けた様子で先輩は口を開く。
「くらは……?」
「は、はい。僕です先輩。クラハです」
そう答えると、先輩はふにゃりとした嬉しそうな笑顔を浮かべ、僕の方にへと身体を寄せてきた。
「なんだよお前ぇ……こんなとこにいやがったのかあ」
……どうしよう。寝起きの先輩が可愛過ぎて、呼吸がままならないくらいに心臓が高鳴っている。塞がったばかりの傷口からまた血が噴き出しそうだ。
なんとか平静を保とうとしている僕を他所に、先輩はなお寝惚けた声色で続ける。
「たくさぁ、サクラばっかと喋ってんじゃねえぞお前。俺とだって…………」
が、不意にそこで先輩の言葉は途切れてしまった。一体どうしたのかと思っていると、先輩は僕の全身を眺めて固まっていた。
琥珀色の瞳を見開かせて、その華奢な肩を小さく震わして。ほんの一瞬の沈黙を挟んでから、ようやっと先輩は声を絞り出した。
「クラハ、お前それ……どうしたんだ」
その声は、酷く震えていた。まるで夜の暗さに怯える幼い子供のように。自分が最も大切にしていた
遅れて、僕は思い出した。今の自分が、一体どういう状態なのかを。
「こ、この傷ですか?大丈夫ですよ大丈夫!見た目が結構酷いだけで血はちゃんと止まってますから!僕は平気ですよ先輩!」
先輩を安心させようと僕は必死になってなんともないことをアピールする。実際まだ痛むには痛むのだが、さっき言った通り血はとっくのとうに止まっているし、今すぐ命に関わる状態でもなくなった。……強いて言うなら輸血がしたい程度である。
しかしそれでも先輩の様子は変わることはなく、さっきまで浮かべていた笑顔もすっかり消え去り、顔を俯かせて黙ってしまう。それから少しの静寂を置いてから、俯いたまま先輩は口を開いた。
「無茶、したんだな?」
先輩のその声には言い表せない迫力が込められており、僕はたじろぎながら、それを認めるしか他なかった。
「……は、はい」
僕がそう返すと、先輩は再び黙ってしまった──かと思えば、バッといきなり俯かせていた顔を上げた。
「はいじゃねえよこの馬鹿野郎!」
先輩は、怒っていた。これ以上にないほどに──それこそ、僕が初めて目の当たりにする勢いで。
怒りを声に宿して、必死に先輩が続ける。
「そんな簡単に毎回死にかけんな!自分を軽く見過ぎだお前は!わかってんのか!?ああ!?」
言いながら、先輩は僕に詰め寄ってくる。対して僕は先輩のあまりの怒り様に動揺することしかできないでいた。
「馬鹿!馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿っ!!」
馬鹿馬鹿とひたすら僕を罵倒して、先輩は唐突に両腕を目一杯広げた。その行動は全く予想し得ないことで、一体なにをする気なのかと思わず身構えてしまった僕に先輩は────
ギュゥ──思い切り、抱きついてきた。
「…………え?」
僕は、ただただ困惑することしかできない。先輩の柔らかな身体の感触が、服越しから伝わってくる。
「本当に、馬鹿だ……お前」
もう、その声に怒りはなく。酷く、何処までも弱々しく震えていて。
腕を背中に回して、抱きついて、密着して──先輩は、自分の顔を躊躇なく、血に汚れた僕の胸元に埋めてきた。
「ちょ、先輩っ?汚れちゃいますよ!?」
慌てて僕はそう言うが、先輩はお構いなしにぐりぐりと顔を押しつけてくる。その時、僕は気づいてしまった。
──先輩、震えてる……。
そこで思い出した。あの病院での一夜のことを。あの時と今の状況が、重なって見える。
もう、僕はなにも言えなくなってしまった。
「ごめん、クラハ……ごめん、なさい……!」
僕に何度も謝りながら、先輩は胸元に顔を埋めたまま嗚咽を漏らす。本当なら今すぐにでも言葉をかけるべきなのだが、度し難く、そして情けないことに僕はそれができない。
──また泣かせちゃった、な……。
夜の暗い船内の中で、先輩の嗚咽が小さく静かに響く。今の僕には、それをただ黙って聞くことしか、今の僕にはできなかった。
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