腕相撲

「って、夢を見た」


「いや絶対それですよね原因」


 半ば呆れながら、僕はそう先輩に言う。というか、現状……それ以外にないだろう。


 すっかり冷めてしまった珈琲コーヒーを一気に喉の奥へと流し込んで、一呼吸置いて僕は先輩に言う。


「先輩の話に聞く限り……その女性っていうのはもしかすると『創造主神オリジン』じゃないですかね?」


「創造主神?……何だっけ、それ」


「……はあ」


 気のせいだろうか。軽めの頭痛がし始めた気がする。顳顬を手で押さえながら、僕は簡単に説明する。


「この世界オヴィーリスを創り上げたとされている最高神ですよ。これくらい子供でも知ってる常識です」


「へー。興味ねえな」


「あ、はい。わかりました」


 ……そうだった。先輩はこういう人だった。自分に興味のないことにはとことん無関心な人であることを僕は忘れていた。


 けどまあ、『創造主神』様がそんな威厳の欠片もない性格だとは少し、いやかなり考え難い。しかし先輩が言っていたその特徴は、神話として現代までに語り継がれている姿と概ね一致している。可能性が完全にない訳ではないだろう。


 だが、ともかく今それは捨て置こう。あと気になるのは────


「その女性が言ってた、祝福ギフトというのは一体何でしょうね?」


 祝福。それも『創造主神』直々からの祝福である。想像の域を出ないが、それはもう凄まじいものだとは容易にわかる。


 それとも、女の子になったことがその祝福とやらなのだろうか?もしそうであるなら……とんだ傍迷惑な祝福もあったものだ。


 そう考えながら尋ねると────何故か先輩は苦虫を噛み潰したかのような顔になった。


「祝福なんかじゃねえっての」


「まあ、突然女の子にされちゃいましたしねえ」


「……まあ、なら、まだマシだったんだけどな」


「え?それは、どういう……」


 先輩のその言い方は、まるで他にも厄介なことがあるかのような、そんな言い方だった。率直な疑問を包み隠さずに僕がそう返すと、何故か躊躇うように黙り込んで────それから意を決したように、先輩は僕に向かって手を突き出した。


「「…………」」


 手を突き出したまま沈黙する先輩と、その行動の意図が上手く掴めず困惑し沈黙する僕。その結果互いの間で何とも言えない、気まずい静寂が数秒流れた。


 その静寂を、不意に先輩が破る。


「クラハ」


「え?は、はい。何ですか?」


 先程までの、パフェを大変御満悦そうに味わっていたのがまるで嘘だったかのような、強張った真剣な表情と声音で。先輩は僕に言う。


「俺と腕相撲しろ」


「え?あ、はい。……えっ?」


 先輩の言葉は本気だった。煌めいて見える真紅の瞳には、確かに燃える意志があった。つまりそれは何の冗談でもない、本気マジの言葉だったのだ。


 正直に白状してしまうと、僕にはその真意が見抜けない。一体どういうつもりで、一体どういう思惑で先輩は唐突に腕相撲をしようといったのか。


その理由が僕には全くわからない。それはこの人の後輩としてあるまじきことだったが、本当にわからないのだからしょうがない。許してほしい。


 ──いや待て待て。僕は一体誰に向かって謝っているんだ……!?


 一瞬現実逃避しかけた思考を無理矢理引き戻して、僕は心の中でそう叫んでから、息を整え先輩に問う。


「あ、あの先輩。そんないきなり、どうして腕相撲を……?」


「いいから俺とやれって言ってんだろ!!」


「は、はい今すぐに!!」


 声を張り上げた先輩の圧と、それによって何事かと一斉にこちらの方に顔を向けた他の客の視線に、僕は先輩との腕相撲を余儀なくされる。


 が、その直前────僕は試練という名の壁に激突することになった。


 ──うっ……。


 腕相撲。それは単純明快な力比べの一つ。その規則ルールはあってなきことに等しいが、強いて言うのであれば。


 自分と相手。両者の手を握り合い、力で競い合い、どちらか一方の手を机に押しつける。ただそれだけだ。


 ……それだけだが、大前提として相手の手を握り締めなければならない。つまり、僕は先輩の────女の子になった先輩の、女の子の手を握り締める必要がある。


 …………自慢ではないが、僕は異性に対してそう免疫はない。そんな僕にとって、それが一体どれだけの難易度ハードルを誇るのか、理解するのは容易だろう。


 ──この子は先輩この子は先輩この子は先輩この子は先輩……!


 先程かけたばかりの暗示を今一度己に十分過ぎるくらいに、強烈に必死にかけて、待たされややその機嫌を崩し始めている先輩の手を────僕は握った。それはもう、断崖絶壁から飛び降りるような面持ちで。


 が、直後先輩が僕に文句をぶつけてきた。


「おい。もっとしっかり握りやがれ」


「…………」


「クラハ?」


「すみません了解です」


 圧に負け、言われた通り僕は手に力を込めて、先輩の手をしっかりと握り締めた。


 ──というか、何故僕は喫茶店で腕相撲なんかしなくちゃならないんだ……?


 堪らずそう心の中で呟いた、その瞬間。そんな僕の嘆きは、はっきりと確かに伝わってくる感触によって微塵も残さず吹き飛ばされた。


 僕の手とは全く違う、しっとりと滑らかな肌の感触。そして驚愕の、柔らかさ。


 ──お、同じ人間なのに、こうも違うものなのか……ッ!?


 思わずずっと握り締めていたくなる。それ程までに、先輩の手の感触は心地良かった。こうして握り締めているだけなのに、癒されるというか何というか……。


「よし。んじゃさっさと始めるぞ」


「っえ!?あ、は、はい!」


 先輩の言葉によって、またもや現実から遠ざかっていた僕の意識は急激に引き戻される。そして慌てて返事をして、目の前のことに集中する。


 ……まあ、そうしたところで意味など全くの皆無なのだが。ぶっちゃけると、この腕相撲────やる前から結果は見えている。


 どんな形であれ、それが単純な力比べならば、僕が先輩に勝てる道理などあるはずない。


 だって先輩は────この世界オヴィーリス最強と謳われる一人なのだから。その事実は女の子になったとしても、変わらないはずだ。


 だがしかし、すぐにこの後僕は思い知らされることとなる。




 『祝福なんかじゃねえっての』




 先輩が言っていた、その言葉の意味を。


「……?」


 時間としては、まだ五秒も経っていなかっただろう。だが僕からすれば、


 胸の内に湧く疑問と共に、僕が目の前の、握り合っている僕と先輩の手を見やる。位置は────全くと言っていい程に変わっていない。その事実を認識し、僕はさらに混乱することになる。


 ──ん?んん……?


 まさか、腕相撲はまだ始まっていないのか────そう、思いながら。恐る恐る僕は握り合わせられた両者の拳から、先輩の方に視線を運ぶ。




「こんっ……のぉ……!!」




 その光景を理解するのに、僕は数秒を要した。……それ程までに、僕が目にしたその光景は、異常極まりない代物だった。


 腕相撲はまだ始まっていないという、僕の予想は外れていた。腕相撲は既にもう、始まっていたのだ。


 力を入れているからか真っ赤になっている顔を必死に歪ませ、先輩は懸命にも握り締めた僕の手を動かそうとしている。……一応言っておくと僕は大して、いや全然手や腕に力を込めていない。


 だというのに、悲しくなる程に────先輩は僕の手を微動だにできないでいた。


「ふぬぅぅぅ……っ!」


 先輩自身、恐らくもう限界の限界に挑戦しているのだろう。ギュッと瞳を固く閉ざして、迫力よりも可愛らしさが勝る唸り声を漏らしながら。諦めずなおも僕の手を机に叩きつけようと努力している。


 手や腕だってそろそろ痛くなってくる頃だろうに────僕はそんな先輩がどうしようもなく不憫に思えて、どうしたって拭いようのない居た堪れなさと共にようやっと、手と腕にほんの少しだけ力を込めた。


 するとどうだろう。そんな僅かな力だけでも、先輩の手を押し返す(そう言うのが正しいのかはわからないが、先輩の為を思って)ことができてしまう。瞬間、ハッと先輩が閉じていた瞳を見開かせ、力んで赤らんだ顔にはっきりとした焦燥の表情が浮かぶ。


「く、ぁああッ!!」


 その時、先輩は己の限界の限界の先にある力を振り絞ったのだろう。先輩の悲痛な叫びが喫茶店を駆け抜けて──────先輩の手が、僕によってそっと机に押しつけられた。


「だあっ!クッソ負けたぁ……!」


 ぜえぜえと激しく肩を上下させ、荒い呼吸を何度か繰り返した後に、先輩は悔しそうに言う。……僕は、心苦しさで今にも押し潰されそうだ。


 だが、今はそんな場合ではない。一体全体、この由々しき事態は何事なのだろうか。未だに息絶え絶えな先輩に、僕は率直に言葉をぶつける。


「先輩、その……これは……どういう……?」


 僕の言葉に対し、先輩は大変不服そうな表情を浮かべ、そして口を開く。


「クラハ。次は俺の魔力を視てみろ」


「え?え、ええ。わかりました」


 言われたままに、そこで初めて僕は意識しながら先輩を見やった。見やって────堪らず、絶句してしまった。


「は……?」


 この世界に生きる全ての存在モノには、大小多い少ないに関わらず、『魔力』というエネルギーが流れている。この魔力は魔法を行使するのに必要であると同時に、生命を維持する為にも必要である。


 以前の先輩の魔力は、もはや膨大などという言葉では到底収まらない程だった。……そのはずだった。


 だが、それがまるで嘘だったかのように──────女の子となった今の先輩には、ほんの僅かばかりの、それこそこうやって集中しなければ可視化できず感知すら叶わない程の、微弱な魔力しか残されていなかった。

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