十一

 結婚を勧めるイージスのせいだろう。

 この一月というもの、ダンカンは、自分が女性を見る目が変わったことを自覚していた。

 以前まで何も目に留まらなかったのが、気付けばぼんやりと城で行き交う侍女達の姿を凝視し、自分の心がときめくのか否か考えていた。

 若い女性も年を重ねた女性も美しい人物は美しい。ただし、若い娘に関してはどうしても子供の様に見えてしまうのだ。だとすればそれよりも少し年上の女性はどうかと思い、幾度か忍び足で後をつけたことがある。しかし、現実は酷な物だった。自分好みの綺麗な女性の声から発せられる仲間内での品性の無い陰口に、ダンカンは失望し、天は二物を与えずと認識したのであった。

 綺麗な女性は性格が悪い。だが、大変失礼だと彼は強く思うが、そうじゃない女性は裏表のない性格をしていると結論付けた。

 しかし、ダンカンの胸のときめきは綺麗な方の女性へと注がれている。そんな自分が嫌だったが、彼は認めた。自分は極度の面食いであることを。だとすれば、下品で下劣な者を妻と迎えるべきだろうか。

 いや、最初は良いだろう。その美しさに魅了され、身体を重ね合わせることに欲望をそそられるだろう。しかし、いつかはきっと気付くと思うのだ。

 自分はどうしてこんな下劣なことを陰で囁く者を妻としてしまったのだろうかと。 

 天は二物を与えず。 

 独自の調査の結果辿り着いたその自論の元ダンカンは大いに迷いながら、今日も城壁の上で、事の元凶の副官イージスと並んで剣と防具を磨いていた。

 イージスときたら鼻歌交じりで愛用している両手剣ビョルンの刃を布で磨いている。昨日、城外で大掛かりな調練があったのだ。無論、闇の者どもを想定した訓練だった。実際刃を走らせることは無かったが、それでも抜刀はした。長い付き合いで分かったことだが、この隣の副官は一度でも剣を抜けば磨かずにいられない性分だった。それは鎧もだった。いくらピカピカでも一度着た場合、イージスは必ず手入れを施していた。歴戦の傷こそ大小細かについていたが、その性分のおかげで彼の鎧はいつも陽光を煌めかせる新品のような輝きを見せていた。

 今ではダンカンも彼に倣ってこうして武器と防具を磨いている。一つは隣に並んだときに隊長としてみすぼらしいと比肩されないためであり、もう一つは純粋にこうしてイージスと肩を並べて武器と防具の手入れをすることに、一つの安堵と至福を感じたからだ。これといって取り柄の無い自分が見付けたかけがえのない時間だった。

「今日も輸送隊が来ておりますな」

 イージスが言った。

「決戦が近いのだろう。前もお前が言っていたが、勝てない戦では無かった。天候さえ充分なら眼前の城を砲撃し、破壊させ、総大将を追い詰めることができただろう。敵を褒めるのもどうかと思うがオークは武人だ。総大将も逃亡せず、きっと城を枕に討ち死にする覚悟をもっているだろう」

 愛用する片手剣カンダタの切っ先を太陽に向けつつ刀身に異常が無いか確認しながらダンカンは言った。

「次の戦は勝てますかな」

「天候に恵まれればな」

 ダンカンは応じた。

「前回敵にはダークエルフの傭兵がいましたが、今回はどうでしょうな」

「さぁ、何とも言えん。大砲を見て籠もるのが無理だと考えたならもういないだろう。だが、実際オークは強い上に誇り高い。城を捨てて自らを追い詰め野戦で勝負をつけようと考えるかもしれんぞ」

「ほぉ、なるほど」



 二



 屋内の広い訓練場でダンカンは恋する若者フリットの相手をしていた。

 タンドレスと言ったか。気品があり、戦乙女を思わせる彼女からどうしてもフリットを一本取らせたかった。そう願いながらも心を少しだけ鬼にして若い彼を相手に剣を打ち込んだ。

 フリットは後退しながらダンカンの鋭利な一撃を全て受け止めた。

 訓練の成果は出ている。

「受けているばかりでは勝てぬぞ。虎穴に入らずんば虎子を得ずと言うでは無いか」

 ダンカンが言うと若者は剣で受けながらむやみやたらに突進して来た。

 力任せの一撃をダンカンは受け止めた。膂力はなかなか良い。屈強なオークの首を刎ねたことだけはある。後は隙を衝いて刃を当てることだ。無論、防具以外に。

「隊長、本気で行かせてもらいます!」

「口でなく剣で証明して見せてみろ」

 ダンカンが言うとフリットは素早く打ち込んできた。

 痛烈な一撃がダンカンを襲う。

 ダンカンは嬉しくなりつつ、喉を唸らせた。

 これが恋する者の力なのか。俺も恋をすれば目の前の若者のように熱く剣を振るうことができるのかもしれない。

 と、ダンカンの手から剣が弾かれた。

 練習用の剣は弧を描いて離れた場所に落ちた。

 ダンカンは呆然としていたが、眼前に剣を突きつけられ、自らの負けを悟った。

「フリット、やったでやんす!」

 ゴブリンのゲゴンガが嬉しそうに賞賛した。

「見事だ、フリット。ここまで良く成長してくれた」

 ダンカンが言うとフリットは驚愕の顔を引き締めさせ応じた。

「はいっ! ありがとうございます!」

 その目がダンカンの後ろ、行方を見守っていたイージス、ゲゴンガ、オーガーのバルドに向けられ、若者は微笑んだ。

 ダンカンは悟った。自分が見ていない場所で、仲間達がフリットを鍛え上げたのだろう。彼の熱い恋のために。

 恋と言えば……。

 ダンカンはグシオンのことを思い出した。

 もう一人の恋する若者は今はどの辺りだろうか。

「良かったなフリット、これでタンドレスをものにできるかもしれないぞ」

 イージスがからかう様に言うと若者は赤面し頷いた。

「実は彼女とは文通をしているんです。それによると……」

「文通?」

 ダンカンが尋ねた。

「はい! 承諾してくれるまで二百通近く送りましたけど」

 若者がニッコリと微笑む。

「お前、それは一種の付き纏い行為だぞ」

 イージスが言った。

「付き纏い?」

 若者が首を傾げる。

「ストーカーだよ、ストーカー。牢にぶち込まれて罰金だ。それぐらい重罪だぞ、重罪」

 イージスが呆れたように言うと若者は慌てたように頭を振った。

「だ、断じて僕はストーカーなんかしてません!」

「既にしてるだろうが」

 イージスが溜息を吐いた。

「相手は根負けしたということか」

 珍しくバルドが口を開いた。

「それで、その文通によるとどうなんだ?」

 ダンカンが会話の軌道修正をし尋ねる。

「はい、コロイオスを出立して、明日ここに到着するとのことです」

 若者は興奮気味に言った。



 三



 補給隊が到着したと聴き、ダンカンは歩いていた。

 回廊を行き、彼が目指すのは城の門の前である。

 すると、既に先客が三人ばかりいた。

「おや、隊長」

 イージスが言った。

 残る二人はゲゴンガとバルドである。

「お前達もか?」

 三人は頷いた。

 ダンカンも門扉の後ろに身を忍ばせ様子を見守った。

 フリットとタンドレスがいた。

「フリット、頑張るでやんすよ」

 声を忍ばせてゲゴンガが声援を送る。

 フリットとタンドレスは、門扉の陰から見守る者達のことなど気付くわけも無く、剣を構えた。

 タンドレスの剣の構えは様になっていた。さすがは戦乙女を思わせるだけのことはある。

 そして両者は剣を交えた。

 フリットが一方的に攻め込む。タンドレスは様子を窺っているか、あるいは目の前の自分に夢中な男の剣の技量がどれ程上がったか、剣越しに感じているのだろう。

 と、タンドレスが剣で弾き返した。フリットの身体が泳ぐが、どうにか彼は必殺の一撃を受け止めた。

 だが、タンドレスの猛撃は止まない。

 フリットは体勢を整えつつ受け止め続けているが、タンドレスの剣に靡かされるままだった。

 このままではいけない。相手のペースだ。

 ダンカンは声に出して声援を送りたい気分に駆られた。

 その時だった。

「お主等、何をしているか!」

 その声に気を取られたタンドレスの胴をフリットの剣が突いていた。

「あ」

 若者二人が異口同音に声を上げる。

 謎の声の主は老将ジェイバー・ルーインザドーだった。老将はダンカン達に気付く様子も無く門扉を通り過ぎて行った。

「お前はダンカン隊のフリット。お前は?」

「はっ! 補給部隊のタンドレス・アミーナと申します!」

 タンドレスは畏まってキビキビと跪いた。フリットもこちらは慌てて彼女に倣っていた。

「何をこんなところで剣を交えていたのだ? 痴話喧嘩か?」

「い、いえ、それは」

 二人が困っている様子を見せると、ジェイバーは言った。

「ふむ、練習用の剣とな?」

 ジェイバーが問うとフリットが言った。

「申し訳ありません、ジェイバー様! 私がこちらのタンドレス殿に剣術の教えを乞いたのです!」

「ほぉほぉ。それで勝敗は?」

「引き分けかと」

「いえ!」

 タンドレスが声を上げた。

「フリット殿の剣は私の胸を突いておりました」

「タンドレス殿、それは偶然」

 だが、タンドレスは打ち消すように声を上げた。

「ですので、フリット殿の勝利です」

「タンドレス殿!?」

 フリットが驚きの声を上げる。

 ダンカンもイージス達も驚いた。

「そうか、フリットが勝ったか。まぁ、勝敗が決したのなら練習用とはいえ武器を収めるのじゃな。ここは城の外、城下じゃ。城下で剣を抜くことは特別な場合を除いて禁じられている。そうじゃな?」

「はっ!」

 若い二人は跪きながら声を上げた。

「分かればよろしい。今回は見逃す故、決着がついたなら各々任務へ戻るのじゃな」

「はっ!」

 若い二人が再び声を上げる。

 老将ジェイバーは踵を返しこちらへ戻って来た。

 その目が門扉の陰に隠れていたダンカン達を見ると、相手はニコリと微笑んで去って行った。

 どうやら事の顛末を老将は悟ったらしい。

 ダンカン達はホッとしつつも、若い二人の様子を振り返った。

「フリット、頑張ったな。私は嬉しいぞ」

 立ち上がるとタンドレスはそう言った。

「タンドレス殿、この勝利はまがい物です! また今度やり直しを」

「良いのか? 次は私が勝つぞ。お前はこの機会を置いて私を物に出来なくなるかもしれないぞ」

「タ、タンドレス殿!」

 フリットが剣を投げ捨て彼女を抱き締めた。

「呼び捨てで良い」

 やがてタンドレスの方も両腕をフリットの背に回した。

「やったなフリット」

 イージスが言い、彼はダンカン達を見て言った。

「後は愛し合う若者の同士に任せましょう。盗み見た罰です。我らは訓練場で死ぬほど汗でも流しますか」

 その言葉にダンカン達は頷き合い退散したのであった。

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