殺人奇譚は眼帯の巫女とたゆたう
佐久間零式改
向坂村殺人奇譚
九月二十二日 午後七時
【起】運命問答 其之壱
勤めていた時には感じた事のない怖気が、都心のオフィス街にあるビル全体を覆っていた。
階段を一段上がる度に、温度が一度下がっているような気配がして、鳥肌が立ってくる。
脳が温度が下がっていないと認識すると、鳥肌はすっと収まるのだけど、改めて一段上がると、脳が錯覚を起こし、また鳥肌が立ってくるんだ。そんな状態であった事もあり、私はすっかり疲弊しきって、昔勤めていた会社がある三階まで上がるのに難儀した。
「一体何だっていうんだ」
向坂村で連続殺人事件が起こってから数ヶ月が過ぎようとしていた。
事件が終わった後、
「しかも、こんな場所に呼び出して」
ストレスなどで追い詰められた同僚の自殺。
そして、上司の突然死。
ブラック企業で過度のストレスを受けていた事と、そんな死を続けざまに見たせいで精神を病み、私が退職をした会社。
その会社に来るよう私は言われたのだ。
『
流香さんはそれだけを私に告げてきた。
訝しげに思いながらも私は流香さんの誘いに応じて、のこのこと出て来たのだ。
「……何のために呼び出されたのか分からないですが、腹をくくりますか」
会社の出入り口は私が退社した時と変わってはいなかった。
エントランスからは社内が見えないようなパーティションが置かれている。内部をあまり見せたくはないかのように出入り口のドアがガラス貼りなどではないため、外からでは中をうかがい知る事ができないようになっている。来訪者用の電話機がそのドアの横に置かれているのも相変わらずだった。呼ばれている以上、その電話機を使う必要はないのかもしれない。
「……さて、何が待ち構えているやら……」
ビルの中は暖かいはずなのに、肌寒さをまだ感じる。
何故、寒いなどと身体が感じているのだろうか。
流香さんに呼び出されたからなのだろうか。
それとも、本当にビルの内部の温度が外と比較すると低くなっているからなのだろうか。
「まさか、ね。空調のせいですよね。温度が低く設定されているだけですよね」
鳥肌はまだ立っているものの、その事をあまり考えないようにしつつ、ドアの前まで行き、ドアノブに手をかける。
「……冷たい。やはり何かが違いますね」
ドアノブは氷かと思うほど冷たくて、手をパッと離してしまった。
氷のようであるはずがないと思い、ドアノブに恐る恐る触れてみると、不思議な事に先ほど感じたような冷たさはそこにはなかった。
先ほどのは自分の錯覚だと知れて、ホッと胸をなで下ろしつつ、ドアノブを回してドアを開けた。
「……お待ちしていました」
窓から夜気が入り混んでいるのか、フロアは闇に包まれていた。
しかしながら、そんな闇の中で、巫女服を華麗に纏う稲荷原流香さんの姿はひときわ目立っていた。まるでスポットライトを浴びているかのように暗闇の中でその存在感を示すかのように輝いていた。
失った左目があった場所に姉である稲荷原瑠羽の魂が居座っているのを隠すための眼帯。
流れるような黒髪。
流香さんが人ではない事を象徴しているかのような巫女服。
そして何よりも、禍々しくも、彼女が何者であるかを計り知ることができない霊気を流香さんはまとっていた。
「お久しぶりです、流香さん」
私がそう声をかけると、流香さんはすっと視線を私へと投げてくる。
刺すようでいて、全てを察しているかのような瞳を見せた。
「それでは運命問答を始めましょうか」
「何でしょうか、その……運命なんとかっていうのは?」
私は言葉の意味が分からず小首を傾げた。
「向坂村で起きた一連の殺人事件。あの事件に関わる事が運命であったのかどうか確かめるための問答といったところでしょうか。運命であったか、ただの偶然であったのか、その答えをいくつかの問答で導き出すというものです」
「何故、今なのですか? あの事件からもう数ヶ月も経っているではないですか」
「先日、
「偶然? 運命? 偶然な運命があったというのですか? では、何が運命であったと? 私があの事件に関わるのが運命であったというのですか?」
「伊岐伸介には、愛人との間に産まれた子がいたそうです」
「……えっと、あの男に? 腹違いの子ということですか? それは、
明栖奈からそのような話を聞いた事はなく、初耳であった。
それが流香さんが私をここに呼び出した理由なのだろうか。
「名は
その名を聞いた瞬間、私の中で何かが弾け飛んだ。
そうか。
そうだったのか。
流香さんがこのオフィスに私を呼び出した理由を悟った。
松浦育巳。
このオフィスで自殺した私の同僚だ。
これは偶然なのだろうか。
はたまた運命だったのだろうか。
向坂村での事件に私が関わる事になったのは……。
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