第12話 ひとりぼっちな私
それから私達は荷物を返してもらい、温かい食事を振舞ってもらった。
久しぶりに食べた美味しい食事(もちろん村で貰った食事が不味かったわけではないのだが、普通の一般庶民と料理人の腕の差は大きかった)に私はお代わりまでしてしまった。
食事が終わればそれぞれに個室があてがわれ、私には体を清めるためのお湯まで用意してもらえ、もう言うことない贅沢を味わった気分になっていた。
地球に居た時は全部当たり前の事だったのに。
そして私は柔らかい寝床に身を投げた後……。
「ねえ、グラジオス。入ってもいい?」
グラジオスの部屋の扉を叩いていた。
ちなみに部屋を守る兵隊さんにはちゃんと断っている。
……なんか目が泳いでる気がしたけど。
「……何の用だ」
「別に……用事ってほどの事じゃないけど……」
ちょっと、眠れなかったからグラジオスの様子が気になったのだ。
本当にそれだけで、私には目的すらなかった。
なんとなく、なんとなくだ。
「なら帰れ」
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、グラジオスは扉越しに冷たく突き放してくる。
「ひどっ。いいじゃんもうっ。勝手に入っちゃうからね」
「あっ、おいっ!」
グラジオスの静止も聞かず、私は勝手に扉を開けた。
グラジオスは柔らかそうな夜着を身に纏ってソファに座り込んでいる。ちょっとだけ元気がなさそうに見えるのは、きっと気のせいじゃないはず。
「おじゃましま~す」
「あのな……」
頭を抱えるグラジオスを無視して私は部屋の中に入り、後ろ手に扉を閉めた。
「お前な……。夜に男の寝室に行くって意味を分かってるのか?」
「…………」
正直そんな事は全然頭になかった。言われてはじめて気づいたくらいだ。
「なに? グラジオスってば、私によくじょーしてるの?」
ちょっとだけ優越感的な感情が沸き起こり、私は軽く体を抱きしめ、手で胸元をガードしてみせた。
「んなわけがあるかっ!」
「だったらいいじゃない」
「なっ」
私はグラジオスを軽くあしらうと、無防備に近寄ってソファに、グラジオスの隣にぽすっと腰を下ろした。
グラジオスは何か言おうと息を吸い込んだのだが……結局言葉は出てこず、ため息へと変わった。
私はそれを勝手に了承と取っておく。
「ちょっとだけ、お話ししよ」
「…………ちょっとだけだからな」
「よしっ」
何がよしっ、かは分からないけど、私は小さくガッツポーズをする。多分、言い負かしたことが嬉しかったのかな?
「ん?」
少しだけ、不思議な香りが周囲に漂っている事に私は気付く。そのまま鼻をくんくんと引くつかせてその出所を嗅ぎ当てた。
目の前に置いてある水差し、その中には薄いお酒らしき物が入れられている。
グラジオスはそれを口にしたのだろう。その隣に置かれたコップにも、半分ぐらい注がれていた。
「あーっ。未成年がお酒飲んでいけないんだー」
「何を言っている。元服は十五ですんでいる。それに酒など子どもの時から飲む物だろう」
そっか、ここは日本じゃなかったっけ。
「……じゃあ、グラジオスはまだ十七歳なんだからお酒飲まない方がいいよ。あんまり体に良くないし」
「そんな事は聞いたことが無いな」
そう言ってグラジオスは私を無視してコップに手を伸ばす。
そりゃ、この世界の医学水準ならそうかもしれないけどさ。
「だーめっ。特に寝る前は癖になっちゃうの。私のお父さんがお医者さんに注意されてたんだから……」
私はそんなグラジオスの手からコップを奪って……。奪って……。
私の手は、勢いを失い膝の上にゆっくりと着地した。
「……
グラジオスは少しだけ発音のよくなった日本語で、私の名前を呼んだ。
私は目元を素早く拭うと、
「泣いてないっ」
ちょっとだけ、強がりを言う。
「……そうか」
グラジオスは短く首肯して、それ以上何も言わないでいてくれた。
しばらくの間、二人の間に沈黙が訪れる。
この砦に入って、恐らく初めての事ではないだろうか。ずっと、私はグラジオスに絡んでいたから。
「何か話して」
沈黙に耐え切れなくなった私が、グラジオスに振る。
これが無茶振りっていう事は分かっていた。グラジオスは私に突っ込むときこそ声を荒らげて容赦がないが、自分から話しかけてくることは少なく、どちらかと言うと陰キャっぽい感じだ。
イメージ的には、不良何だけど他の連中とつるむような感じじゃなくって、孤高の狼って感じ。
「…………」
グラジオスはしばらく頭を悩ませていたが、
「この国は、ラム肉が美味い。それから夏から秋にかけては魚がよく出回る。野菜は何かしら年中あるな。南北に長いせいで、冬場でも野菜が取れるんだ。でも地域差は大きいか。それから……」
グラジオスの話題は国の食べ物紹介が基本で、しかも一つ一つの話題がとても短かった。
本人が努力して話そうとしてくれているのは分かるのだが、残念ながらあまり楽しい会話とは言えなかった。きっとこれじゃあグラジオスはあまりモテないに違いない。
「ねえグラジオス。家族の事教えてよ」
「…………」
明らかに、グラジオスはためらっていた。私がさっき、お父さんと言って気落ちしたからだろう。グラジオスらしくない気づかいだ。
普段はあんなに容赦なく馬鹿だとかチビだとかガキだとか、気に障る事を言ってくるくせに。
「いいから。私、グラジオスの家族の事知りたい」
私はグラジオスの方を向かず、手の中にあるコップをクルクル回しながら頼んでみる。
「……分かった」
グラジオスは根負けしたか、短い吐息と共に話し始めた。
「父上と弟が一人いる。母上は、俺が小さいころに旅立たれた」
「……そうなんだ」
少し、悪かったな、なんて思ってしまう。でもそれを否定するかのようにグラジオスは頭を振った。
顔に出てたかな……?
「母上は優しい方だった。みんなから好かれていて、だから父上は未だに母上を愛しておられる」
「そんなに凄い人だったんだ」
「ああ。歌が好きな人だった」
「そっか」
だから、グラジオスは歌が好きなのかもしれない。……いや、そうでもないか。最初に私と歌った歌が、あんなめちゃくちゃ激しい歌なんだから。グラジオスの理由の一つかもしれないけど、それだけじゃないはず。
「お父さんはどうなの?」
「父上は厳しくて、とても強い方だ。武人気質だな」
もしかしたらお父さんがグラジオスの歌えない理由なのかもしれない。でも、グラジオスがお父さんを嫌っている様には見えなかった。好きだからこそ期待に応えたいけれど、歌も捨てられない。その板挟みっていう感じなんだろうか。
「弟さんは?」
「カシミールは……俺よりよくできたヤツだ。文武両道で、どちらも完璧にこなす。父上は俺よりもカシミールに期待されているだろうな」
「そうなんだ」
なんだか複雑そうに聞こえるけれど、日本の家庭にもなんだかありそうな感じだった。
バンドやりたい兄に、それを反対する父親。よくできた弟は父親に褒められて、度々比べられて怒られる、みたいな。
「あ、じゃあさ。弟さんに全部預けちゃって、グラジオスは私と一緒に歌って回るってのはどう? 今までみたいに」
「……馬鹿を言うな。出来るか、そんな事」
「え~、いいじゃん。歌好きでしょ?」
「好きじゃない」
「も~……」
やっぱりグラジオスは素直じゃなかった。
「じゃあ、今度は私ね」
何か勘違いしているグラジオスは、露骨に狼狽える。でも私はそれに構わず話し始めてしまう。
「私のお父さんはねー。すっごく私に甘いの。それでね、なにかあるとこっそに私にお小遣いくれるんだよ。あんまりもらい過ぎて悪いから、誕生日にちょっといいネクタイプレゼントしてあげたら、泣いて喜んで、また特別小遣いだーとか言ってくれるの。意味ないでしょって……」
私の口は一度動き出すと止まらない。グラジオスがどんな反応をしていても、ずっとしゃべり続ける。
「それからお母さんはねぇ、お父さんが甘やかす分とっても厳しいの。歌ばっかり歌ってないで勉強しなさいっていっつも怒るんだよ。でもねえ、お料理が美味くって、特にロールケーキ焼くの上手いんだ。すっごくふっわふわなロールケーキ焼いてね。みんなに配るんだけど、いっつも端っこの方を食べさせてくれるの。それでね、それで……」
「分かった」
グラジオスは急に短い相槌を返してくれる。
そして……。
「分かった」
もう一度、グラジオスはそう言うと、私の頭の上に優しく手を置いた。
それで、限界だった。
私の瞳からは涙腺が壊れてしまったのかと思うほど、後から後から涙が溢れ出して来る。
止めようとしても、止められなかった。
「……もう、会えなくなっちゃったよぉ……」
「そうか」
私は寂しかったんだ。
ずっと一緒に居た大好きなお母さんとお父さんから急に引き離されて。仲の良かった友達とももう会えなくて。
この世界で独りぼっちになってしまったんだ。
牢屋の中に一人取り残されるかもしれないって思ったとき、それを自覚して、怖くて怖くてたまらなくなってしまった。だから私は……。
「違うの、ちがっ……うっ……」
「……そうか」
グラジオスの手はおっきくて暖かくて、ちょっとだけお父さんの手に似ていた。
「子ども扱いするなっ」
「してない」
「してるっ」
私は手を払いのけ、そして……。
「うぅっ……ひぐっ……」
グラジオスの胸元に、顔を押し付けた。
コップが地面に落ちて金属特有の甲高い音を立てる。多分中身が床にこぼれてしまっただろうが、今はどうしようもない。私は私の行動を止められなかった。
「泣いてないっ」
「何も言ってないだろ」
「泣いて、ないもんっ」
「……分かった」
私の頭の上でグラジオスのため息が響き、私の頭と背中をグラジオスのぬくもりが包み込んだ。
「うぅぅっ……んぐっ……くぅ、んんっ……」
私はグラジオスの腕の中で、必死に嗚咽を噛み殺していた。
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