第39話 決意と自覚
「蘭雅。先に帰るからあいつらに言っておいてくれ」
それぞれが忙しく事後処理をしていると、景雪がそう一方的に言って来て、さっさと姿を消した。
人に行き先を告げるなんて行為を景雪がすると思わなかった蘭雅は目をぱちくりさせる。
「変わっただろう? あいつ」
泉李が嬉しそうに言った。
「ああ、信じられないね。朱璃ちゃん様々だけど、桜雅の兄としては手放しに喜べないな」
「初恋ってのは叶わないのが世の常だろ」
「えーー。俺の弟が振られるなんてある筈ないでしょう」
「斎国の御姫との縁談も進めているくせに何を言っているですか。貴方は」
「あーーそうだったな。さてさてどうしようか……って帰ったんじゃないのか」
莉己が美しい眉間にしわを寄せた。
「言われなくても帰りますよ。もう限界ですから私は」
「あはっ お疲れ様。後で使いを出すよ」
「当分いりません」
「そういやーーお前達、何で屋敷に戻ったんだい? 一旦逃げたんだろう?」
「……忘れ物を取りに帰ったのですよ。うふふっ、じゃあお先に」
莉己は何か含んだような、しかし温かな笑みを浮かべると優雅に手をひらひらさせて去って行った。
「ふーーん、珍しいね」
「そういや、ずっとご機嫌だったな」
「案外、ライバルはあいつだけじゃ無いってことかな。まぁ、俺の弟には敵わないけどな!」
「…… お前は変わってないな」
鼻息荒い蘭雅を呆れた面持ちで見つめ、泉李が溜め息をつく。3年前より弟溺愛主義が酷くなっている気がする。
「それにしても、こんなに丸く収まるとは思っていなかったよ」
蘭雅少し目を細め、美しい庭園を見ながら言った。
孫家を挑発して膿を出そうとは思ったが、多少の犠牲は覚悟していたのが本音だった。
桜雅ら4人の帰郷と、景雪ら3人の訪都が無ければこんなに短期間で収まることはなかっただろう。
「運も味方したが、その運を運んで来たのが朱璃だな。本人は自覚ないけどな。全く」
「うん。まさに幸運の女神だね。それに彼女がいた事で頑張った奴もいるし、余計うまくいったんだよ。あの子は人を動かす何かがあるね。無意識なのが怖いくらいだよ。ふふっ、1人の異国の娘によってこの国が変わるかもね」
「変わるか変わらないか分からないが、これでちっとは宮務めも面白くなりそうだ」
心が穏やかで、情に深くて度量の大きい男。それが宗泉李だ。
変わらぬ笑顔を前に蘭雅が頭を下げた。
「3年間、本当にご苦労だったな。感謝している。これからは側で力を貸してくれ」
そんな蘭雅の頭を軽く叩くとそれは了解の合図。昔も今も変わらぬ友の姿に、お互い小さく微笑んだ。
その頃、勝利の女神こと、朱璃はこの怒涛の4日間を思い起こしながら1人で庭にきていた。
実は厠に行った後で迷子になっているのだが、本人はいたって呑気である。
庭の木々が青々と色付き、夏の日差しに近づいているのを感じていた。前の世界よりカラッとした暑さの夏は 朱璃のお気に入りになっていた。
以前と同じく四季のあるこの国に、ずっとこの世界にいたような錯覚をおこすことがある。それは、ここにいることが自然になっているから。
朱璃は大きな木の根元に腰を下ろした。
3年前、桜雅との出会い、全てがそこから始まった。
無我夢中に生きてこれたのは、見守ってくれる人達がいたから。
頑張ってこれたのは、支えてくれる人達がいたから。
巻き込みたく無かったと言ってくれた蘭さん。
俺たちは仲間だと言ってくれた泉李さん。
優しく微笑み褒めてくれる莉己さん
友達だからずっと味方だと言ってくれた桃弥。
守ってやると、言ってくれた天さん。
生きろ、死ぬなと叫んでくれた桜雅。
いつも側に居てくれる琉。
そして、居場所を作ってくれた景雪。
生きることを諦めかけた罪は消えない。あの年月は戻ってこない。後悔しても後悔しても、もう消えてしまった時間なのだ。
なぜこの世界にいるのかは分からない。
だけど、ここでやり直せるのならもう一度頑張らせて欲しい。
こんなにも、暖かい場所をくれた人たちのために頑張ろう。
二度と後悔しないように一生懸命に生きれば、向こうの世界にいる大切な人たちにその想いが届くような気がするから……。
大きな幹に頬をつけ、そっと耳を当てた。 向こうの世界の音が聞こえるはずもないのだが、手当たり次第、手がかりを探していた時の癖だった。
心地よい感触に朱璃は瞳を閉じ、音を探し続けた。
景雪は不機嫌だった。
懐に入っている小太刀とトケイが重くて、邪魔で、動きにくい。
しかし、不機嫌な理由はこの小荷物だけではないのは分かっていた。
無意識に溜め息をついていた景雪が鯉の水音に惹かれ庭を横断しようとした時、一度見たら忘れられない個性的な衣が目に入った。
「ちっ……」
庭を通ったことを後悔しつつ、無視して通り過ぎようとした。
しかし、此方を見向きもしないだけでなく、隣の娘の髪を撫でているものだから思わず足を止めてしまった。
「なんやーーお前が来たんか」
「早く山に帰れ取れ言っただろう」
「大きな声で出すなや。起きるやんか」
「起きない。こうなると耳元で巨大タライをを落としても起きない」
「ふーーん。姫さんの事は何でも分かるっちゅう口ぶりやな」
「分かるじゃない。知っているだけだ」
ただそれだけだ。3年間見てきたから、知っているのだ。
景雪は飛天の上着を被って眠っている朱璃を見降ろす。心なしかやつれたように見える。
この4日間は精神的にも肉体的にも相当きつかったのだろう。
『桜雅を止めろ』という自分の一言が朱璃に与える重圧感を正確に理解した上での発言だった。
そして朱璃は使命を全うした。いや、期待以上の働きをした。お陰で命の危険すらあったのだが、朱璃の首元に革紐に目をやり景雪は守ってくれた宝珠に感謝していた。
朱璃をひょいと抱き上げて立ち上がった景雪を、飛天は座り込んだまま見上げ、軽く笑った。
「もう、手遅れやな」
「何がだ」
「わかってる癖にーー」
わざとからかった様に言うと、プイッと回れ右をして立ち去ろうとした。
「俺なら守れるで。譲らへん?」
「……断る」
振り向きもせず、それだけ言うとスタスタと行ってしまった友を飛天は温かい目でみていた。
「泣かぬ蛍が身を焦がすってか」
飛天がゆっくりと立ち上がると、そよ風でゆっくり波立つ水面に青々とた紅葉が映った。
「何か俺の心のようやな……」
後ろでぷっと吹き出す声が聞こえた。
「俺って結構詩人やろ」
「ボケてないでさっさと帰りますよ。すべき事が山積み、てんこ盛りですから」
「慰めてくれへんの?」
「もう手遅れでしょう」
いつものように葎にバッサリと切られ、飛天は肩を落とした。
「……はぁ」
山までの道のりが長く感じそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます