第19話 自分の役割

いつの間にか月が姿を現し、規則的な馬の蹄の音だけが澄んだ闇に鳴り響く。


朱璃は少し先を行く桜雅の紅い髪を見ていた。

謀反人として追われているのに、兄の心配しかしていない桜雅を見ていると、きっと仲の良い兄弟なのだと思った。


そして否応なしに思いだしてしまった家族の事を。私の事も心配しているかな。

突然姿を消した娘の事を探しているだろうか。出来の悪い娘が迷惑をかけてと怒っているだろうか。

思春期に入ってから更に家族との距離はできていたけど、それでも大切な家族だった。

お父さん、お母さん、お兄ちゃん……もし探してくれてるのなら、もう探さないでいて欲しい……。

 

喉の奥がひりひりと痛み、朱璃は大きく息を吸った。

 神様がいるなら、帰れないのなら、家族の記憶から私を消して欲しい。心配させたくない。泣かせたくない。だからお願いします。


一度浮かぶとなかなか消えない家族の顔を振り払うように、何度も何度も、頭を振った。

ぼやける視界を元に戻そうと激しく目を擦り、懸命に気持ちを入れ替える。


ただでさえ足でまといなのに、他ごとを考えている余裕なんかあるわけがない。ぺちぺちと頬を叩き自分を叱咤する。


すっかり挙動不審で皆の注目を浴びている朱璃に景雪はゆっくり馬を合わせた。


そうとも知らない朱璃は気配を感じて振り、向いた先に景雪がいたのでギョッと慌てる。

首をすくめ、拳骨に備えたが頭に何も振って来なかった。

 恐る恐る目を開けると、景雪はさっきより離れた所にいた。


「おい、バク」

 景雪が何かを投げてきたので反射的に受け止める。


「……! 景先生」


「無くすなよ」


「こんなに大切なものっ お預かりできません!」

 景雪が肌身離さず持っている翡翠の首飾りだった。


「それは魔除けだ。誰もやるとは言ってない。、後で返せ」


「先生」

 返そうと手を伸ばすも、怒った様に「早く首にかけろ」と命令される。


 きっと泣き顔を見られたのだろう。景雪に心配をかけた事を悔やむが後の祭りだ。


ぎゅうっと石を握りしめると心が落ち着いてきた。

後でちゃんと返そうと心に決め、首に掛け大切に懐にしまった。


その様子を確認してから、景雪が再び馬を近づけて来た。

「桜雅の側を離れるな。あいつが暴走しそうになったらお前が止めろ。いいな」


「……はい」



東の空がうっすらと紫色に染まる頃、前方そして南方に広がる森からも騎馬の気配がし、しばらくするとバッチリ鉢合わせる。


 保険として配置されたであろう数十騎の隊の方が、驚き戸惑っている様子であった。


「さっさと片付けるぞ」

剣を抜く景雪らが見て、朱璃も弓を構えた。


「速いっ」

 州の武官相手に致命傷にならない様に軽く剣を振るっていた泉李らが、朱璃の矢に目を見張った。

 

弓を構えてから矢を打ち出す迄の時間がほとんど無かった。にも関わらず、3本とも腕に命中。

 お互い騎乗してという難しい状況でだ。朱璃の弓矢の腕は相当なものだと証明された。


桃弥がしり上がりの口笛を吹く。

「あいつ、やるなあ。こっちも負けてらんねぇ」

皆の反応に景雪と琉晟が当然と言わんばかりにふんっと鼻を鳴らした。(それを見て莉己は忍び笑いをしていた)


 そして数分後、そこには戦意消失した30人余りの武官だけが取り残されていた。

 

彼らは、神業としか思えぬ剣技や弓技に格の違いを見せつけられた事で早々に白旗を揚げた。もちろん、目麗しい美貌と名高い劉莉己が魅惑の笑顔で脅し降伏を勧めたのだが。

 

彼らは後に、あの最強謀反人軍団の正体を知り、剣を交えた事を子孫代々後世まで語り継いでいくこととなる。


 さっさと難を逃れたその最強謀反人軍団は、北東に針路を変え、生い茂った新緑に、身を隠して作戦会議をする事にした。


「案外、頭を使ってきたな。近衛兵も混ざっていた」

「アジトまでついて来られるとやっかいですね。この先で二手に別れましょう」


 簡潔に莉己が今後の策を告げる。戦乱の世なら天才軍師の名を欲しいままにしたであろう莉己の策に否を唱えるものは居ない。


「わかった。じゃあ俺と」

「私が残ります」


泉李の言葉を遮り、朱璃が元気よく右手を挙げた。

囮として無人の馬と関に向かう。この中で何の役にも立てない自分が適任だと判断したのだ。


そんな朱璃に莉己はにっこりと微笑んだ。

「駄目です。ここは泉李と琉晟に行ってもらいます」


あっさり却下されても朱璃は引かなかった。

「私にさせて下さい。でないとついて来た意味がありません」


王の安否すら判らない今、謀反の容疑がかかっている桜雅とその側近の彼らは最悪の状況に置かれていると言ってよい。

いくら最強軍団でも2人も抜けると状況は更に悪くなる。居ても居なくてもいい、むしろ足でまといの自分が適任だと断言出来る。


そう言って引き下がらない朱璃の耳を景雪が引っ張った。

「聞こえなかったのか。阿保」


「でもっ」


「でもじゃねー」

今度は朱璃の両頬を思いっきり引っ張る。


「ふぁたしにぃいかせてくらさぃ~」


「ひでぇ……」

 後ろに居た桃弥が思わず呟き、気丈にもまだ譲らない朱璃を不憫に思った。いつもこんな目にあってるのか……。


 隣の桜雅はあまりによく伸びる頬に目を奪われている。引っ張って見たいなぁ。衝撃のあまり逃避的思考に走っていた。


 変顔変顔と肩を震わす莉己と、いつもの事なのか全く表情を変えない琉晟は問題外として、2人の言い合いを止めたのは唯一の普通人泉李だった。


涙目で訴える朱璃の頬を摘む景雪の腕掴んで言う。

「お前なぁ……年頃の娘に酷いことするな」


 景雪を叱った後、朱璃に向き直った 。

「心配しなくても直ぐに合流すっからな。それと、ちょっと調べたい事もあるし、な」


 景雪につねられて赤くなった頬を大きな手で撫でながら、にかっと笑って泉李が言う。

 

泉李の優しい笑顔、そして怖い顔の師、ゆっくりうなづく琉晟の顔を見て、朱璃は自分が先走っていた事に気付きキュッと唇を噛み締めた。


「はい、すみません……」


「よしっ じゃあ行くか」

一刻の時間も惜しい状況のため、残された5人はすぐさま徒歩で山の中へ進んでいく。

 

朱璃は、行き際に泉李と琉晟からぽん、ぽんと撫でられた頭に手をやった。どうか無事で……。


「あの2人なら、何の心配もいらない」

 いつの間にか隣に移動してきた桜雅に朱璃は頷いた。


 屋敷を出てから、いや、昨日デコピンをしてからちゃんと話すのは初めてだった。

 王のことで心中穏やかでない彼にどのように声を掛ければ良いのか……と思案していると


「巻き込んで悪かった」

桜雅の方が先に口を開いた。

「謝らないで下さい。桜雅様は何も悪くないです」

 

首を振って真剣な眼差しを向ける朱璃を桜雅はじっと見つめた。

先ほど自分達の盾になろうとした朱璃の言動は桜雅にとって無視出来ないものだった。


「お前は俺の臣下ではないし、この国の民でもない。景雪や琉晟に恩があるのは分かるが、自分の命をさらしてまで俺たちを助ける義理など何処にも無い。何故そこまで自分を犠牲にする」


 朱璃は桜雅の瑠璃色の瞳を見つめた。初めて会った時からその美しさに惹きこまれた深い瑠璃の奥にある優しい光、なのに胸がいたくなるほど寂しさと憤りを感じるのは何故だろう。


「義理とか犠牲とか、そんな難しいこと考えていません。ただ、目の前に困っている人がいたら、ほっとけないし、自分に何かが出来るのなら、したいと思うだけです。普通ですよ」


微笑む朱璃の言葉に桜雅が胸の奥を掴まれた気がした。純粋な人の情、ただそれだけだと言っているのか。


 しかし、そんな純粋な想いだけで世の中成り立っていない事を、桜雅は嫌というほど知っているし体験してきた。むしろ警戒すべきことだ。なのに、その言葉が何より桜雅の心を揺さぶった。


「綺麗事だ」

 その声の鋭さに自身でも驚く。朱璃を非難するつもりはなかった。傷付けてしまったかもと後悔したが、その言葉を撤回出来なかった。


「まぁ、そうかもしれませんけど、だから、今、私がここにいるのだと思います。あの時救って貰わなければ、生きてなかった。桜雅様のお陰なんです」


ちょっと茶化すように口角をにっと上げる朱璃。

あの時、足手まとい、いや大荷物の朱璃を助けた桜雅には沢山の言葉なんて要らない。


「……様は必要ない」

「えっ?」

 胸が苦しくて、自分で上手く処理出来ない感情の揺れを悟られたくない一心で話を変える事にした桜雅だった。


「お前は俺の臣下でもないし、年も近い。敬語を使う必要はない」


「えっ、でも……一応、お偉い方だから、そういうわけには」


「……一応って」

 公子である立場の桜雅は、一応などと言われる事は今までなく目を丸くし、前を行く臣下3人の肩が震えていることには気付かなかった。

 一方、桜雅の表情から自分の失言に気付いた朱璃が口を押さえたが、もう遅い。不敬罪で牢屋?


「くっくっくっ」

 桜雅が笑いだした。

「桜雅でいい。さっき桃弥って言っていただろう。

 ……俺も桜雅って呼べ」

「いや~皇子様をそんな風には……それに年上だし」

 勘弁してください。

「琉晟だって年上だ」

 参ったなと思いながら桜雅を下からチラリと見てしまった朱璃は見たことを、後悔した。

 笑っているのになんだか泣きそうな顔。近いのに遠く近づけない孤独感。

 あーー反則やーー朱璃は桜雅の腕を、掴んでた。


「友達? 桜雅と私は友達?」

「ああ」

「それなら、いいな。友達に敬語いらんし」

 何故か自然と握手を交わす2人は実に微笑ましい。


「なんかガキみたいだな」

桃弥が呆れたように呟いた。(昨日自分が言った事は忘れている)

そもそも、年頃の男と女がお友達ってどうなんだ。

側から見ると結構いい雰囲気なのになぁと誰かに共感して欲しくて前を見た瞬間、親愛なる兄上様から得体のしれない何かを本能で感じた。

 お友達最高、お友達ばんざい、ありがとう。

お友達。

「どうした? 気分でも悪いのか」

 お前らのせいで、一瞬命の危機にさらされたとも言えず、笑ってごまかす。お友達が1番。


 桃弥はふと、さきほどまで桜雅がまとっていた重々しい空気が消えている事に気が付いた。表情も柔らかくなっている。莉己が朱璃を残した理由が少し分かった気がした。


 それから小一時間歩き続けたのち、ぷっつりと道が途絶えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る