着艦

 イトナはメルーに随伴していた。銀色の翼がきらきらと輝く大きなメルーと、空に開いた穴のような漆黒のイトナ。いいコントラストだ。3MNは全幅50m超、MiG-29の4倍以上ある。イトナは私との遭遇戦でR-27を使い切っていたからスロストを追わずに残ったのだろう。

「ジュラ、大丈夫?」イトナが訊いた。

「平気。これくらいなら問題ない」

 4機で緩い編隊を組み直す。機体の損傷もまっすぐ飛ぶ分には支障ない。

「メルー、スロストにどれくらいとられたの?」ネフが訊いた。

「とられたんじゃないよ。あげたのよ」とメルー。

「それで?」

「うーん、1000リッターくらいかな。とにかく、大した量じゃないよ」

 スロストはメルーに接近した一瞬で燃料を奪っていったのだ。給油機はそれに逆らえないし、戦闘機もそれを撃墜する筋合いはない。メルーには自分がスロストと敵対しているという認識もないみたいだ。だからスロストが突然現れた時も落ち着いていたのだろう。


 レーダーをスキャンモードに戻してMFDに航法マップを呼び出す。さっき打ったポイントに向かって1本だけ線が伸びていた。地形や飛行場の位置は全く情報がない。

 キャノピーの外には相変わらず上下も東西南北もない真っ青な空が広がっている。視覚的に自機の姿勢を示してくれるのは太陽だけだ。しかし茫漠とした大気そのものが全体として太陽光を反射しているので、機体にはあまりくっきりした影は発生しない。四方八方からレフ板を向けられているようなものだ。


 バイザーを上げて瞼の汗を拭った。

 わずか1,2分の短い戦いだったがそれでも体力を使った。

 私はスロストとのドッグファイトを思い返した。

 この世界の物理法則は現実に準拠している。しかし空戦の勝手は少し違う。

 まず地面がない。これによって私たちは縦の空間を無限に使うことができ、かつ反面平衡感覚を失いやすい。

 次に気圧の高度変化がない。エンジンは常に濃い空気を吸って感覚以上のパワーを発揮する。加速はいい、上昇も速いがしかし空気が厚いのでスピードは伸びにくい。エネルギーを得やすくまた失いやすい、といえばいいか。ミサイルの射程は短くなるし、巡航でもより多くの燃料を消費する。どちらも現実では抵抗の少ない高空が有利になるはずなのだが。


「右下方を見てごらん、悲しみの谷が見える」メルーが言った。「空母もこのあたりにいるんじゃないかしら」

 4機とも空母を探すためにレーダーを開いていたが、今のところ手応えはない。利得[1]を鋭めにしているので雲の影が映って気象レーダーに似た表示になっていた。

 眼下を覆っていた薄雲が晴れたところで、一万メートルほど下にもっと分厚い灰色の雲海があるのが見えた。それを割くように南北(方位計による)に向かって巨大な谷が伸びていた。その縁はまるで苔むしたように青や緑に変色しており、その青緑のぼんやりしたラインを目で追うと谷は少なくとも2000km以上続いているように見えた。末端は空気の霞の中に消えてしまって判然としない。すさまじい規模の構造体だった。

「あれが海雲うみぐも?」私は訊いた。

「そう。その間の谷にはとても冷たい気流が吹いていて、雲がぶつかるとそこで全部雨に変わってしまうの。強い酸性雨だから飛び込むのはやめておいた方がいいわね」メルーが答えた。

「下は?」

「100km以上潜らないといけない。その下には青ざめた空があって、雨は途中で蒸発してしまってその空域には届かないんだわ」


 私は話を聞きながらふとレーダースクリーンに目を向けた。左側やや下に雲よりくっきりした反応があった。FCSはそれを船舶と判定したらしい。地上ユニットを示すマーカーが重なっていた。

「9時方向、距離250キロ、高度約マイナス3000、艦船らしき感あり」

すぐに転針して4機でその方角に機首を向ける。

「ひゅう!さすがスーパーフランカー」

「いや、雲に隠れていたから危うく見逃すところだった」

 マーカーの方角を見ると海雲の上にサボテンの枝のような雲が立ち上がっていた。この世界では気圧の天井がないので雲も自由な造形を楽しんでいるようだ。

 その根本あたりで何かがきらっと輝いた。おそらくそれが空母だった。


 それは最初片手の上に乗るくらいの小さな模型のように見えた。とてもそんな小さなスペースに着地するなんてありえないことのように思えた。けれど近づくにつれてとてつもなく大きなものだということがわかってきて、最終的には視界を覆い尽くすほどになった。

「じっくり見てみなよ」イトナが勧めた。

 私は単独で空母の周りをぐるぐると旋回した。

 全長は600mほど。ツェッペリンなどの硬式飛行船に似た紡錘形の細長い船体。その後端から中ほどまでにかけて傾斜のついた甲板が敷かれている。表面は白磁のような質感で、窓もなければ継ぎ目もない。翼やエンジンのようなものは見当たらない。それがいかにも飛行機とは全く異なった原理で飛んでいるのを感じさせた。

 空母は200km/hほどの速さで海雲の上を飛んでいた。大きさには圧倒されるが、それは何か人工物が莫大なエネルギーを消費して飛翔しているというよりも、勝手に浮かんでいる雲を集めてきて押し固めたような、そんな自然な質感の存在だった。


 着艦の順番はネフ、ジュラ、イトナ、メルーになった。後上方から見下ろすと空母の飛行甲板は完全な長方形ではなく船体にあわせてやや後方がすぼんでおり、表面は不気味なほど平滑で、エレベーターやアレスティングフックなども見当たらなかった。軸線を示す黒線と駐機スポットを示す赤い枠がまるで白紙に描かれたモダンアートのようだった。

「ああ、久しぶりに脚を出したよ。脚カバーが剥がれるかと思った」とネフ。

「ブレーキは噛んでない?」イトナ。

「大丈夫大丈夫」

 私はネフの斜め後ろやや上方について着艦を見守った。ネフはフラップと前縁スラットをいっぱいまで下ろし、エアブレーキを立てて空母の船尾に近づいた。現実世界の空母より足が速いので相対速度はほとんどゼロになる。ネフが機首上げ姿勢のまま少しずつ降下して甲板に触れる。すぐにフラップを収納、ランウェイの脇に描かれたスポットまで走ると、甲板から立ち上がったクランプのようなものがタイヤをがっちりとホールドした。


 次は私の番だ。一度左に旋回して距離を取り、真後ろからアプローチ。ILS(計器着陸システム)に母艦として指定したので、地上誘導こそ受けられないが、速度と降下角のガイドはHUDに表示される。

 ネフに倣って空母と速度を合わせる。接近すると乱流で機体が揺れた。さらにある高度から機体を弾くような強い上昇気流を感じた。甲板の上面を流れる境界層(大気中の移動体の表面に生じる特に粘性の強い気流)が機体に浮力を与えているのだ。

 一度機首を押し込んですぐに引く。ほぼ三点接地で小さくバウンド。エアブレーキで機体を押さえつけ、ほんの数メートルの滑走で行き足が止まった。



―――――

[1]どれだけ反応の小さい目標までスクリーンに表示するか、という指標。反射波の大きな目標は濃く、小さな目標は薄く映るから、爆撃機など大きな目標を探す時は利得が小さくても目標の像がくっきりと映るが、電波ステルス機を探す時は利得を大きくしなければならない。すると雲なども映り込むので像はぼやけることになる。今日の戦闘機のレーダースクリーンは基本的には自動で利得を調整し、有意な像だけをシンボルとして表示する。

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