CODE71 始まりの場所、ラングレー(2)

 俺は、疲れて寝入ってしまったんだろうか。


 いつの間にか、周囲が薄暗いもやに包まれていた。

 意識がぼんやりとして、何の音も聞こえない。地に足がついてる感覚がなくて、この場から動くこともできない。


 靄の中に、人影が見えた。

 さらさらの黒い髪。黒い着物をいろどるは、前よりも数が増えた、鮮やかに浮かぶ赤い花。


黒鶴くろづるさん!」


 その人の名を呼びながら、もがくように手を伸ばすけれど、あと一歩のところで届かない。


「黒鶴さん。ずっと姿が見えなかったけど……どしたの?」


 俺の問いに答えようと、宝石のような黒い瞳が上目遣いで俺を見る。


『以前から言っていると思うが。私は、戦いの場にはなじまない。見てのとおり、また花が増えてしまった』


「そっか……そうだったね、ごめん。ずっと、ひどい場所にばかり連れてったよね。でも、俺も折賀おりがも、黒鶴さんがそばにいてくれると嬉しいんだよ」


 少し大きく見開かれた目が、長いまつげの奥に閉じられるのを、俺は素直にきれいだと感じた。


『これも前から言っているが、私にできることは多くない。その者が本来持っている能力を、ほんの少し支えるだけのものだ』


「それだけじゃないよ。黒鶴さんは、美弥みやちゃんが作ってくれた、俺たちの守り神なんだから」


 美弥ちゃんの大切な心。それをずっと大事にし続けた折賀。

 黒い鶴は今、俺のバッグの中にある。


 シドニーで俺に渡して以来、折賀は何度返そうとしても受け取ってくれなかった。

 たぶん、それだけ強く危険を感じるようになったんだろう。

 もちろん、いざというときには無理にでも返すつもりだ。


甲斐かい


 とても優しい、どこか懐かしいような声音こわねが、俺の鼓膜こまくみ渡る。


美仁よしひとは、時が来たら人をあやめる覚悟を決めたようだが。他にも、覚悟しなければならないことがあるんじゃないのか?』


「…………」


 黒鶴さんに言われるまでもない。

 できれば、言葉にしたくなかった可能性。


 折賀が、殺すのではなく、殺される可能性。

 パーシャがわざわざ予言してくれた、首を斬られる可能性。


 それを、覚悟しなきゃならない。


「……わかってる」


 本当はちゃんとわかってるわけじゃない。


 当然、そんな時は来てほしくない。

 だからって、俺にあいつの行く手をさえぎることなんてできない。

 あいつの、家族を守りたいと願う気持ちも、一年以上に及ぶキツい訓練の日々も、あいつが選んだ今の生き方も。すべてを奪うことになっちまう。


 誰よりも折賀自身が、自分の意志でこの世界に踏み込んだ時から覚悟を決めているはず。


 俺には、それ以外にもまだ覚悟しなきゃならないことがある。

 はっきりと自覚したら動けなくなりそうだから、考えないようにしてるだけ。今動けなくなるのは、マジでヤバいんだから。


『甲斐には、私が年若い娘に見えているんだったな』


 不意の言葉に、俺の思考が飛んだ。


 そうだった。この人、もとい霊は、本当にこの姿をしているわけじゃない。

 俺が見たい姿に見えている、だったっけ。


『甲斐。この戦いが終わったら――』


 あでやかな黒髪が、彼女の動きに合わせてしなやかに揺れる。


『この姿をした者を、捜しに行くといい』



  ◇ ◇ ◇



 はっと顔を上げると、いつの間にか、俺も折賀も車を降りていた。


 周囲に広がるは、この広大な一帯を包み込む一面の緑。ようやくヴァージニアの国立公園に到着したらしい。

 公園の中を走る道路上には、ものものしい装甲車が何台も連なってバリケードを形成し、中にも外にも、真っ黒に武装した特殊捜索部隊らしき面々が待機しているのが見てとれる。


 警察が絡むより先に、できるだけ秘密裏に処理したいそうだ。

 つまりこの面々は警察ではなく、CIAが抱える専属の部隊。


 そこはテオバルドさんが最後に姿を消した地点。

 彼がイヤホンに受け取った無線信号を辿って、この周辺にざっと絞り込んだ。あとは俺たちが早急に捕獲して失神させる、という流れ。


 でも範囲広すぎない?

 タブレットで地図をざっと確認しただけでも、十キロ四方はありそうなんだけど。


 俺はアティースさんと一緒にタブレットをのぞき込みながら、周囲を見渡してる折賀に冗談交じりに話しかけた。


「どうやって捜すんだ? まさか公園内を二人で走り回るとか?」


「走り回るしかないだろ」


「マジ!?」


 同じ州内に、世界最高峰の情報組織があるのに。

 衛星とかドローンとか赤外線スコープとか、ハイテクでデジタルな捜索手段がいくらでもありそうなのに。

 俺たちの方法ときたら、とんだアナログだ。でも今はこれが一番手っ取り早いという。


 しかも、俺スピードでちんたら走ってたら時間の無駄なので、折賀スピードで二人一緒に走り回る。

 その方法とは――



  ◇ ◇ ◇



「うわー! やだー! カッコ悪い! 下ろせえぇー!」


「うるせーッ!」


 折賀におんぶされることになっちまったぁー!!


 投げられるよりはマシだろうって?

 投げられたら目が回って捜索なんかできないし、まず間違いなくどっかの木に激突するからやめといたってだけだ。


 いくらなんでも恥ずかしすぎる!

 誰かに見られたら、必殺の「死んだフリ」でもかまして、背負われざるを得ない状況に見せかけるしかない。


 と思ったら、早速その辺のドライブ中の車に乗ってるお子様と目が合ってしまった。

 しかも笑って手を振られてしまった。こっちもつられてにこやかに振り返す。


 時速六十キロ以上で走る車に並走するジャージ男と、その背に背負われて手を振るジャージ男。シュールすぎる。


 せめて安全運転してくれりゃいいのに、折賀の野郎、あっちこっちを自由に飛んだり跳ねたりし放題だ。

 これぞ「最速の黒い猟犬ブラック・ガゼルハウンド」の真骨頂ってか。


 道路から森林へ。高木の枝から枝へ。

 時に真っすぐ時にジグザグに、さらに急浮上・急降下を繰り返す。

 こっちも振り落とされないように必死でしがみつく。これでどうやって「捜索」すんだよ!


 ジェットコースターすぎて危うくリバースしかけたところで、ほんとに偶然なんだが、俺は捜していた『色』を見つけてしまった。


「ストーーップ! 折賀ストップ! あそこにいたーーッ!」


 俺の声に、折賀の足が止ま――らないっ!


 うなる慣性! 折賀は急には止まれないーーッ!!


 山肌を削るような凄まじい音と土煙を浴びて、折賀の装備「折賀スペシャル」が火を噴きながら急停止。

 折賀、その足を軸に素早く方向転換し、茂みをひらりと跳び越えて華麗に着地――そう、折賀だけ。


 俺は相棒の背中から放り出されて、頭から腰近くまで深々と土と草に埋まりましたとも。ええ、それが何か?



  ◇ ◇ ◇



 木々に身を隠しながら、そっと対象の様子をうかがう。

 百メートルくらい離れてて、姿を直接見ることはできないけど、遮蔽物しゃへいぶつ越しに『色』が見える。甲斐レーダーの出番だ。


 折賀が俺の髪をつかみながら、対象の血流操作が可能かどうかを見極める。


「折賀、作戦行動中止。髪引っ張るのやめろ」


「髪と作戦のどっちが大事なんだ」


「両方だー! つかむたびにもれなく引っこ抜いてんじゃねえー! 俺の頭皮に十円ハゲを量産する気かっ! あと対象を失神させるのちょっと待って!」


 まず毛根の安全を確保してから、二人で作戦会議に入る。


「テオバルドさんの色、すごく悲しそうなんだ。いきなり有無を言わさず気絶、って可哀想だよ。先にちょっとだけ話させてもらえないかな」


「既に施設を爆破してるのにか」


「まだ誰も傷つけてないんだろ? 自分がり傷作っただけで。それに、なるはやでイヤホンの声の主を特定できた方がいいと思わない?」


 そこへアティースさんからの通信が割って入った。


『甲斐の言うことももっともだが、どうやって余計な刺激を与えずに話をする気なんだ? 下手すれば二人とも爆風で吹っ飛ぶぞ』


「ええと、なるべくテオバルドさん向きな方法で……」


 俺は急ピッチでタブレットの操作を始めた。

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