第11話
その後、セバスは何とかツアレに共食いをさせずに済み、胸をなでおろした。
(……しかし、いつもは日替わりにアベリオンシープなど出ないはず。今日は何か特別な事情でもあるのだろうか。後ほど料理長に確認した方がよさそうですね)
自分の番になると、セバスは慣れた調子で「いつもの洋食セットを」と告げた。
魔獣の卵を使ったふわりとしたスクランブルエッグ、香ばしく焼かれたパン、そして旨味の強いモンスターのベーコン。――どれも毎朝のように口にする、安定した朝食だった。
受け取った盆を手にした瞬間、ふと胸に小さな後悔が芽生える。
(……ああ。自分がいつも口にしているものなら、味も安全性も保証できるのに。初めての注文で迷うツアレには、同じものを勧めてやればよかったですね……)
遅れて気づいた思いに、セバスは小さく息を吐き、盆を持ち直した。
(次の機会には忘れずに。――ツアレにとっての「安心」を一つでも増やせるように)
受け取った盆の上には、香ばしい匂いを放つウサギのタタキと、湯気を立てる野草スープ。
「……わぁ、美味しそう……!」
ツアレは思わず目を輝かせ、セバスの方を見た。
「セバス様も一緒にいただきましょう!」
セバスは頷き、彼自身の食事を受け取った。
こうして二人は、次なる緊張の場――プレアデス達との食卓へと向かうのだった。
二人は盆を手に、食堂の広い空間を見渡した。
「さて……ツアレ、席を探しましょうか」
セバスが言うと、ツアレは盆を抱えたまま、きょろきょろと辺りを見回す。
食堂にはすでに多くのメイドやモンスターたちが食事を取っており、笑い声や食器の音が賑やかに響いていた。
(うわぁ……こんなに人がいるのに、私どこに座ればいいんだろう……!)
ツアレの胸が一気にざわつき、不安が広がる。
そんな彼女を気遣うように、セバスが顎で示した。
「……あちらの賑やかな一角。――プレアデスの皆さんがお揃いのようですね」
視線の先には、談笑しながら食事を取っているプレアデスの姿。
どの顔も華やかで存在感があり、ツアレは思わず息を呑んだ。
(つ、ついに……! 本物のプレアデスの方々と一緒に……!?)
「ツアレ、今日は改めてご紹介するつもりでした。ご一緒しても構いませんか?」
「は、はいっ! ぜひ……!」
返事の声が思わず裏返り、ツアレは慌てて口元を押さえる。
セバスは微笑を浮かべ、二人でその集団へと歩み寄った。
「皆さん、おはようございます。――仮メイドのツアレも、同席させてよろしいでしょうか?」
プレアデスの面々は、それぞれに笑顔や無表情や、妙に艶やかな視線を向けつつも、揃って頷いた。
「どうぞ」「歓迎いたします」「……かわいい」など、短い挨拶が返ってくる。
セバスの後に続き、ツアレは深々と頭を下げた。
「よ、よろしくお願いいたします!」
こうして二人はプレアデスの席に腰を下ろした。
緊張で手が震え、ツアレの盆の上のスープがかすかに揺れる。
(ああ……朝ごはんを食べるだけなのに、どうしてこんなにドキドキするんだろう……!)
ユリ・アルファが姿勢を正し、眼鏡の奥の真っ直ぐな視線を向ける。
「まずは、ユリ・アルファ」
「おはようございます、セバス様」
(……眼鏡が似合う知的なお姉さま。ちょっと厳しそうだけど、優しそうな気もする……!)
「こちらはルプスレギナ・ベータ」
ルプスレギナ・ベータは大きな声で手を振るようにして。
「こんちわーっす! セバス様!」
(褐色の肌に三つ編み……元気いっぱいで、人当たりがすごく良さそう! 話しかけてみたいなぁ……)
「そして、ナーベラル・ガンマ」
「ルプスレギナ、今は“朝”でしょう。……おはようございます、セバス様」
(色白で切れ長の眼……美人で気品がある方。ルプス様とは仲良しなのかな? 息の合った感じ……素敵)
「こちら、シズ・デルタ」
シズ・デルタは小さな声でぽつり。
「……かわいい。おはようございます……」
(わ、わ……見た目は可愛いのに、やっぱり綺麗……! あの澄んだ声、ずるい……)
「ソリュシャン・イプシロン」
「セバス様、おはようございます。……ふふ、美味しそうですわ」
(にこやかで美人……でも寒気が……! きっと私のご飯が美味しそうに見えただけ……だよね?)
「そして最後は、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ」
エントマ・ヴァシリッサ・ゼータが、甘ったるい声音で。
「セバスさまぁ~。おはようございますぅ。もう朝食いただいておりましたぁ」
(声が幼いのに……どこか大人っぽい響き……まるで別の人から声を借りてるみたい……!)
全員の挨拶が終わると、ツアレは両手を膝に置き、深々と頭を下げた。
「は、初めまして……仮メイドのツアレと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします!」
その声は少し震えていたが、精一杯の誠意を込めた。
(ああ……美人で強そうな方ばかり。ちゃんとやっていけるのかな……)
ツアレが挨拶を終えると、席のあちこちから小さな笑みがこぼれた。
最初に声を上げたのは、やはりルプスレギナだった。
「いやぁ~、セバス様の隣にちょこんと座ってるツアレちゃん、かわいすぎっすね~! 仮メイドっていうより……もう“セバス様専属”って感じ?」
「えっ!? ち、違っ……私はまだ仮で……っ!」
ツアレは慌てふためき、耳まで真っ赤に染める。
ルプスレギナは楽しそうににやにや笑いながら、肘でナーベラルを小突いた。
「なぁナーベラル、そう思わない?」
「……くだらない話です。セバス様の傍にいるのは当然のことでしょう」
そう言いつつも、ナーベラルはツアレを一瞥して小さくため息をつく。
(……けれど、本当に専属っぽいですね……)
ユリは眼鏡を押し上げ、落ち着いた声で諫めた。
「ルプス、あまりからかわないこと。ツアレが困っているでしょう」
しかし、ルプスレギナは悪びれる様子もなく肩をすくめる。
「えー? ちょっと言っただけなのに~。でも顔、真っ赤で可愛いじゃん?」
シズがパンをもぐもぐと食べながら、ぼそりと呟いた。
「……セバス様のとなり……似合ってる」
「まぁ、可愛い子が恥ずかしがるのは最高の調味料ですものね」
ソリュシャンはくすくすと笑い、わざとらしくツアレを見つめる。
「ねぇ、ツアレちゃん? “セバス様のために頑張ります”って一言、聞かせてくださらない?」
「そ、そんなの……! い、言えませんっ!」
ツアレは必死に否定するが、耳はさらに赤くなっている。
エントマはスープをすすりながら、無邪気に声を弾ませた。
「セバスさまぁ~、ツアレちゃんのお顔がりんごみたいに真っ赤ですよぉ~♪」
その場はすっかり笑いに包まれた。
ツアレは恥ずかしさで下を向きながらも、隣でセバスが穏やかに微笑んでいるのを横目で見て、胸の奥がほんのり温かくなった。
(……恥ずかしいけど……セバス様がいてくださるなら、なんとかやっていけるかも……)
ツアレがうつむいたまま俯いていると、セバスがゆるやかに口を開いた。
「皆さん、ツアレはまだこちらに来て日も浅いのです。からかうのはそのくらいでお願いします」
その声は穏やかだったが、不思議と場に落ち着きをもたらす力があった。
セバスは隣のツアレに視線を向け、柔らかく微笑む。
「ツアレ、気にしなくて大丈夫ですよ。あなたがここで頑張っていることは、私が誰より知っています」
その一言に、ツアレの胸がじんわり熱くなる。
(……セバス様……!)
ルプスレギナはにやりと笑い、肩をすくめた。
「はいはい、分かりましたよ~。セバス様にそう言われちゃ、こっちも引き下がるしかないっすね~」
シズは「……セバス様、かっこいい」と小声で呟き、ナーベラルは「当然です」と冷ややかに付け加える。
ソリュシャンは面白そうに目を細めて、わざとらしく笑みを隠した。
「まぁ……愛されてますわね、ツアレちゃん」
「そ、そんな……! そんなんじゃ……!」
ツアレは慌てて否定するが、耳の赤みはごまかしようがなかった。
そして、いざ食べようとすると、フォークを持つ手が少し震える。
(うう……みんなの視線が気になる……どうしよう、食べづらい……)
そんな様子に気づいたセバスが、小声で囁く。
「ツアレ、肩の力を抜きなさい。……これは皆で食事を楽しむ場ですよ」
「……は、はい」
セバスの声に支えられ、ツアレは恐る恐るスープを口に運んだ。
温かな味が喉を通ると、張り詰めた心が少しずつほぐれていく。
近くの席の下っ端メイドがふいに声を掛けてきた。
「人間のくせに、随分と小食なのね」
ツアレはびくりとし、フォークを落としそうになる。
だが、その横でセバスが穏やかに微笑んで答えた。
「彼女はまだ慣れていないだけです。……いずれ貴女方に追いつくでしょう」
言葉に棘を含ませることなく、けれど絶対に引けを取らない声。
その場に漂う空気が和らぎ、向かいのメイドは不承不承ながらも口を閉じた。
ほっと胸を撫で下ろしたツアレの耳元で、セバスがそっと囁いた。
「無理に食べなくても大丈夫です。……ただし、デザートの果物はお勧めですよ」
「えっ……?」
差し出された皿には、艶やかに輝く小さな果実。
ツアレが恐る恐る口に含むと――甘酸っぱい汁が弾け、瞳が大きく見開かれる。
「……おいしい!」
頬が自然に緩み、表情がふわっとほころんだ。
「ふふっ……大げさね」
冷ややかに見ていたナーベラルが小さく呟く。
「当たり前でしょ、アルベド様がわざわざ見つけてきたんだから」
ルプスレギナが得意げに笑うと、ユリが眼鏡を押し上げつつ、
「……ですが、そういう素直な反応なら、悪くはありませんね」
無意識の可愛らしさに、プレアデスたちの視線が集まる。
ツアレは恥ずかしくて身を縮めたが――横で微笑むセバスの存在が、なによりの支えだった。
果物を食べて顔をほころばせたツアレ。
周囲の空気も柔らかくなり始めた、そのとき――
「……おいしい!」
頬が自然に緩み、表情がふわっとほころんだ。
そのやりとりに、ソリュシャンがにやりと口元を歪め、意味ありげに声をかけた。
「でも……セバス様の手から渡された果物だから、余計においしく感じたんじゃなくて?」
「……っ!」
ツアレは顔を真っ赤にして両手で口を押さえ、俯いてしまう。
「おやおやぁ~、図星なのかなぁ~?」
エントマがくすくすと笑い、ルプスレギナは机をばんっと叩いて大声で盛り上がる。
「うわぁ~!ツアレちゃん、めっちゃ顔真っ赤!これは絶対そうだって!」
一気に注目を浴び、ツアレは頭を抱えて縮こまった。
(ち、違いますっ!……でも、セバス様の手から……って考えちゃったら、もうダメ……!)
「……皆さん。からかうのはそのくらいにしてあげてください」
セバスの低く落ち着いた声が、食堂のざわめきを静める。
「ツアレはまだ、こちらの生活に慣れている途中です。温かく迎えていただけるだけで十分に幸せなのですよ」
その言葉に、ユリが小さく頷き、ナーベラルは「……承知しました」と視線を逸らした。
ルプスレギナは頬を掻きながら「へへっ、セバス様がそう言うなら仕方ないっすね」と苦笑し、エントマも口元を押さえて笑みを引っ込める。
ソリュシャンだけは意味ありげに微笑んだままだったが、それ以上何も言わなかった。
ツアレは俯いたまま、セバスの横顔をちらりと盗み見た。
(……助けてくださった。私のことを、守ってくださった……)
胸の奥で温かなものが広がり、彼女は小さく息を吸い込んで、そっと呟いた。
「……ありがとうございます、セバス様」
セバスは微かに頷き、いつもの落ち着いた声で返した。
「どういたしまして。ツアレの笑顔が見られれば、それで十分です」
その何気ない一言に、ツアレの心臓は一層大きく跳ね上がった。
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