犠牲はつづき、暴力は嗤う
『さあ地獄の道先案内人の登場だ。今のことろ付近のフロア一帯はオール・グリーン。七階にも牛鬼は居るが、存在を考慮する必要もない数だ』
メメメが全体通信で声をあげた。
「多分、ほとんどを六階層の防備に費やしたんじゃないかな。試作品の人造Fiction Holderといえども膨大な費用が掛かってると思う。維持費を考えれば眩暈を覚えるほどだ。だから七階層以下では再開する機会もなさそうだ。これなら一人歩きさえ出来そうだ」
弥勒は含みをもった言い方で、千種とエトランゼに目をやった。
眉を頻りに上げ下げして、何とか察してもらいたそうに目を配る。
「ビックデータか」
エトランゼが嘆息まじりに代弁する。
クロエの死や少ないとは言え未だ牛鬼の脅威も去っていないにも拘わらず、宝漁りに精を出そうとする魂胆は苦笑してしまう。だが、そもそも彼が協力した理由は天乃鳥船が占有するFiction Holderに関するビックデータの抜き取りだ。むしろ正当な要求だろう。
「はー。油断してて蟲に喰われちゃ目も当てられない。入口まで護衛する・・・・・・・・・・・・」
「ん? どうしたんだい。千種少年」
急に押し黙った千種に問う。
だが彼は「待ってくれ」と手をあげると、ゆっくりと深呼吸をしてみる。
「すう、はぁー。すっ、はぁーー。すっ、はぁーー」
「なにを・・・・・・」
そう怪訝そうに目を細めていた弥勒が、次第に目を見開いていく。
彼はすぐさま周囲に目を配った。そして通路の隅に臥して、小さな柵状の換気口に耳を傾ける。頭にあった疑念が確信に変わったのだろう。弥勒はすぐさまメメメに連絡を取った。
「メメメ君! すぐに与圧管理室を窃視してくれ!」
『え、あ。了解。・・・・・・ああ?』
「どうだ。誰かそこいるか」
『・・・・・・分からない。室内にあった監視カメラ四台がすべて破壊されてる。ただ何となくだけど、いる。誰かはいる気がする。何て言うか視点がないってより、視点が暗転している感触がするんだよ』
「・・・・・・誰だ。僕以外に管理権限を持ってる人間なんて」
そういって全員の脳裏にジャン・ジャック・ベンソンの顔が過ぎった。
だがそれをエトランゼが否定する。
「いや、
「じゃあ誰が」
「・・・・・・エクシー」
千種は思い出していた。
『また近いうちに、お目にかかりましょう』という彼女の貌を。
「奴はこの地獄に降りてくる気でいた。それにジャン・ジャック・ベンソンの右腕でもある。管理権限が譲渡されていても怪しくない」
「・・・・・・あり得るね。ジャン・ジャック・ベンソンがこの日のために管理権限を渡して、彼女を五階層に待機させる。あとは僕達の侵入を確認したあと、与圧を限界値まであげれば」
「逃げられなくなる?」
「いや殺せる。異常圧縮された窒素や酸素は毒ガスに変わる」
「どうする? 引き返すか」
「いいや、もう一つの方法がある」
弥勒は三叉路の一方、
「あこそは天乃鳥船の中枢、いわば脳だ。末端の命令を書き換えることも出来るはずだ」
「弥勒よ、やれるか」
エトランゼの問いに、弥勒は深く頷く。
「ここは僕だけに任せてくれ」
弥勒は二人に与圧通路の道を指す。
「いいか、千種少年。加圧されても短時間なら急激な減圧にも耐えられる。そこは問題ない。いま目下の問題は敵は僕等の侵入に気づいたこと。なら一刻も早く与圧通路に行くべきだ」
「だけど、おっさん。護衛は」
「千種少年」
弥勒は機先を制すると、気障な決め台詞を吐く前の、剽軽な笑みを浮かべる。
「子供の進む道を舗装してやるのも大人の役目だ」
「・・・・・・すまん。よろしく頼む」
「任せてくれ。華麗にこなしてくるよ」
そういって弥勒は振り返らず、真っ直ぐ情報基盤室に向かった。
その背中を見送ると、メメメに通信する。
「先輩、この先は」
『右が最短。このままま道なりに行けば与圧通路だ』
「よし」
千種とエトランゼは全力で七階層を走る。千種が驚いたのは、エトランゼもまた千種に劣らず健脚だったことだ。彼女は山河で鍛えられた天狗のような千種の全速力に併走できた。
彼女曰く、これも聖骸の効力という。不死性だけでは飽き足らず、身体能力においても恩恵を与えるらしい。疲労や外的要因にも左右されない身体は運動の永久機関といえるだろう。
「チグサよ、大丈夫か」
むしろ心配されるのは千種のほうだ。彼は肺から空気を押し出すように、しきりに息を吐いている。呼吸は喉にモノが詰まったように途切れ途切れになる。
「大丈夫。ずっ、弥勒が減圧してくる、ずっ、までだ」
人は普段、受動的に空気を吸う。しかし気圧が高まると呼吸は逆転する。外圧が高い場合、人は受動的に息を吐き続けるようになり意識的に空気を吸わなければならない。
「メメメよ、弥勒は情報基盤室に入ったか」
千種を見かねて、エトランゼが訊く。
『その点なら大丈夫ない。パスを繋げるのに手間取ってるぐらいで││、ああ?』
「どうした? 減圧は出来ぬのか」
『・・・・・・いやそうじゃなくてさ』
イヤホンから戸惑いが聞こえる。
『ノックされてる』
「ノック? まさかトラックを!?」
エトランゼは驚く。こちらからはトラック内部の音は聞こえないが、どうやらメメメが潜んでいるトラックのボディを外から叩いている者が居るという。
「駐在の兵か」
『隊伍で駆けつけた足音なんてしなかったぞ。警備員が律儀にトラック一台一台ノックしてる訳でもないし。一寸待て、一度【
途端、メメメの声が途切れた。
通信が切れたのではない。メメメの息を呑む声がしたと当時に、彼女が喋らなくなったのだ。多分、通信用の設置マイクから離れている。
「どうした。応答せよ、メメメ。メメメ!」
今となっては周囲のノイズを拾わない性能が恨まれた。
ただ微かにだが、マイクが拾ってしまうほど大きな金音、おそらくボディの扉が開かれた音が聞こえて、ぶつり、と通信が途絶えた。
「・・・・・・どういうことだ。ずっ、何が起きてる」
二人は走ることを止め、その場に立ち止まった。
呆然と目を見合わせ、同時にこの怪異を為した主犯の名前を想起した。
「エクシー」
奴だ。
奴が与圧管理室で加圧をしたあと、メメメがいるトラックを襲撃したのだ。
「くそ!」
千種は吼える。まずメメメでは相手にならない。一方的に蹂躙される。
千種は歯噛みする。また一人、失った。
そんな時、通路の端、換気口の気流が渦をまくような音が巻き起こった。
「減圧が、開始されたか」
エトランゼが天を仰ぐ。
「・・・・・・行こう。己達は先にいく義務がある」
今度は千種が、沈鬱な雰囲気を踏みつけ、前に進む意思を見せた。
「そうだな。我は犠牲にしたのだ。ならばその犠牲を無駄にすることは許されぬ」
「ああ」
そうして彼等は与圧通路へ向かう。
悲痛な決意を秘めて歩く。
ただ彼等にはひとつだけ、悲運に歎き、決意を新たにする他に考慮すべきことがあった。
ここは神曲の地獄を模した黄金の階段。
深層区域七階層。暴力の圏獄。
従って彼等が更に下層に向かうためには、暴力の地獄と向き合う必要がある。
「お待ちしておりましたよ。嘉吉千種さん」
広場についた二人は声を絶し、瞠目した。
「・・・・・・なぜ、汝が此処に居る」
エトランゼは絞り出すように言う。
そこに幽然と立つのは【
「さあお二人とも。怯えるままに、殺してあげます」
アレクサンドラ・A・〝エクシー〟・ドッドソン、その人であった。
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