脱落者
五階層と同じく広々とした楕円型のフロアは、中心に幾何学模様を描く機巧扉が埋め込まれていた。
クロエは扉の下に立つと、メメメに訊く。
「開通まで、あと何秒です!?」
『二十秒! それまで持ちこたえてくれ!』
「気軽に行ってくれる」
千種は乾いた笑いをあげる。
与圧通路に面するフロアは、彼等が来た通路の他に二つの通路とつながっていた。
合計三つの穴から、わらわらぐねぐねと蟲が集まってくる。大雑把に数えても五十、それが時間を追うごとに増えてくる。指折り時間を数える暇などないだろう。
蟲は広場の上空にも飛び始めた。通路が開通したとして、果たして無事に七階層に降りられるのか。そんな千種の不安をよそに、背後に立っていたエトランゼが顔を覗かせた。
「なんぞ暇な奴等が集まってきたな。有名人でもいたのか?」
あまりにいつも通りの反応に、千種は苦笑する。
案外、人の上に立つ者は危機に鈍磨であるほうが良いのかも知れない。そんな風に思いながら、千種は軽口で返す。
「一人、とびっきりの奴がな」
「それはそれは。さぞ美しく可憐で、良心のある美少女であろうな。だがチグサよ、ファンならファンらしく慎みを持つべきとは思わぬか」
すこぶる自己評価の高い美少女だが、言い分は正しい。
眼前の敵に惑う必要はない。千種もまた決意を新たに、ゆっくり前に出た。それを見計らい、警戒していた一匹が、ぶんと一際強い羽ばたきと共に千種めがけて急降下する。
刹那、風を斬り、牛鬼は武者の籠手に撃墜される。
「ここから先は通行不可だ」
それが契機だった。
撃墜された牛鬼の仇をとるかのように、一斉に他の牛鬼が向かってきた。
走り、うごめき、或いは飛来する。全身を駆使して、本能の赴くままに。
『あと十秒!』
メメメが叫ぶ。その間、蝗が空を覆うように、縦横無尽に頭上を飛び回る蟲の影が広場を昏くし、這うように駆けだした牛鬼が大波のごとく押し寄せてくる。
それを千種は打って出ることなく、籠手の右腕に蒼の凍血を滾らせ、拳を引かずに左肩に乗せる。四股を踏むように深く腰をおとし、左脚を一歩引く。
「
唱え言葉は妙技の銘。
構えは居合いの法。撃ち出す一閃は──。
「
轟雷のごとき咆哮に応ず、横薙ぎの紫電。
澱みなく全身の旋回で振るわれた籠手の手刀は、大太刀が走ったような青い残影を描く。
地を走り、駆け回っていた蟲はその横薙ぎの籠手撃ちによって広場の壁面へ弾き飛ばされ、何匹かの蟲は剣戟に打たれたように胴を二分される。
「クロエッ」
残心にとどめた千種は吼える。そして孔の反対にいる彼女のもとに飛ぶ。
すると彼女も時を同じくして、棺桶を担いで千種のほうに飛んだ。まるで示し合わせていたような
そして迎撃位置を換えたクロエは、地を薙いだ場所で天を払う。
「
途端、棺桶から胃が蠕動する音が唸った。
王女は棺桶の縁に手を掛け、頭上を仰ぐ。
『agooooooaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa』
バンッと空気を叩くような号砲が鳴り、王女が胃の内容物で形成した黒いベアリング玉を空中に
『開いた!』
「ミスター弥勒、お嬢様の先導を!」
「わ、わかった!」
まごつきながらも、弥勒はエトランゼと与圧通路に下りてく。
その間も、千種とクロエは扉の上で飛び交い、あるいは周縁を行き来しながら、無限に湧く牛鬼を駆除していく。
しかし、傍から見れば完全に蟲の飛来を食い止めている状態だが、当事者は徐々に焦りを覚えていた。
(・・・・・・奴等、学び始めてる)
三度目の紫電を繰り出した時だ。
何匹か、地に伏したり仲間の死骸を楯にしたのだ。それはクロエの砲撃も同じで、王女の
「僕等は下りた! 早く君たちも」
どうやら弥勒とエトランゼは七階層に到達したらしい。──らしい、というのは与圧通路の下に視線を移す暇さえなかったからだ。
(一人が下りたところで抑えきれない。二人一緒に下りても、牛鬼を七階層に引き連れていくことになる。状況は変わらないか)
千種とクロエは危険な膠着の最中にあった。
だが逡巡できる猶予はない。時間が経てば経つほど、状況は深刻になっている。
(どうするか)
その実、方法はあった。
しかし、それは余りにも危険な賭。否、自殺に近い。
その手段とは、六階層の与圧通路の扉を閉めることだ。
通路扉の縁には手動のバーがあり、一人が階層に残って扉を閉めれば可能だった。クロエを通路に入れ、手動で扉を閉めれば、通路に大量の牛鬼が入りこむことなく、下の階層に被害を及ぼさない。
無論、そのために膠着状態下で敵に背をむけてバーを引かなければならず、また生き残るためには広場に充満する蟲から逃げて、他の通路を利用するしかない。
まず生存は絶望的だった。
(・・・・・・ああ、だからこそ)
だからこそ、それを他人に譲る気はなかった。
彼女はその性格からして絶対に許容しない。だから千種は対角線にいるクロエに対して強行手段を採ろうとした。彼女を与圧通路へ引き摺りおとすのだ。
「おい、メイ──」
そういって振り返った目先に、皺くれた掌がみえた。
振り払うには遅すぎた。
千種の肩を掴んだ王女は、そのまま孔へと引き摺りおとす。
「絶対にお嬢様を最深部までお連れしろ」
爪先でバーを引いたクロエは、背中を向けたまま、そう言い残した。
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