悪食なる朝食

 

 彼女が言い捨てた瞬間、王女が千種に両手を伸ばした。

 

 距離にして十メートル余り。

 その距離を、枯れ木のような両腕が凄まじい速さで地を這う。

 猛烈な速度で延長する腕は、ごぎゅごきごぎと関節を乱雑に鳴らしながら、黒ずんでひび割れた爪を突きたてる。


「【出典不明抄抄ドグマ・コード】ッツ」


 二匹の大蛇のような腕を、千種は武者の籠手で打ち落とす。

『──urrrrrrrrrrrrrrrr』

 予想外の反撃に、王女は主菜しゅさいをお預けになった犬のように唸る。

 両腕もまた苛立たしげに、それでいて警戒するように周囲に這っている。


「成る程。どうやら虚仮威しではないようですね。ですが、ただ王女の腕を払う程度の力なら、これは如何でしょう。ウジ虫」

 クロエという死霊術士しりょうじゅつしの命令をうけ、糸に括られたマリオネットのように王女の両腕が千種から離れた。攻撃を緩めたのではない。それぞれの腕は左右の樹木地帯から手頃な樹の根元を掴むと、尋常じんじょうを超えた握力で砕き、幹ごとへし折った樹木を持ちあげたのだ。


「どんな馬鹿力だ」

 けして幅の広くない道に、二本の樹が宙に持ちあがる。

 交差した二振りの大木刀は、枝葉もそのままに、道の大半を影で覆いつくした。


「五月蠅いハエには、やはりこの駆除法が良いと思いまして」

「・・・・・・随分、大きなハエ叩きだな」

「では、早々に押し潰されなさい。ミドリムシ」

「そいつは、──虫じゃねえよッ」


 振り下ろされる二本の樹を前にして、千種は尚も果敢にも前進する。

 勝算はあった。

 王女は丸々樹を持ち出した。樹は枝分かれているため、それを叩き付けても多くの隙間があり、攻撃を与える作用部さようぶは見た目より随分少ない。いわば熊手で蟻を潰すような悪手あくしゅ。むしろ茂る葉に紛れて、本体のクロエに接近できる。


 二本の樹木が打ち下ろされ、ザワンっと玉砂利が周囲に巻き上がた。

 案の定、千種は武者の籠手で周囲の枝を叩き落とし、枝葉のなかに紛れた。

(あとは棺桶メイドに肉薄できれば)

 坂田さかた戦を思い出す。彼と戦った際、両肩と腰に刺さる白樺しらかばのような寄生杭きせいぐいを抜き取れば、虚構による加護を破壊できた。クロエの加護はおそらく王女を意のままに操縦する加護だろう。


 その加護を強く目視もくしするには接近する必要がある。

(奴を倒して、エトランゼの居場所を吐かせる!)

 枝葉の間隙を走り、葉の茂みから抜け出した。


 途端、──ぞわりと悪寒を覚えた。


「──ッツ」

 間一髪、身体をねじって転がるように右に躱す。



 ズガアアアアアアアアアンッ──。



 耳をろうするほどの激音は、千種の脳天を割ろう振り下ろされた王女の踵だった。

(やられた。樹は罠か)

 千種は跳ね起きた。樹に紛れられるのは必ずしも自分だけではない。王女を操るクロエもまた、木々で覆われた死角から攻撃することは可能なのだ。

「チ。流石は虫。ちょこまかと」

 必撃ひつげきの策を直観で外され、クロエはほぞをかむ。だが互いに自分の失態を悔やむほど暇ではない。千種は全力で駆け出し、クロエは伸ばした王女の四肢を戻す。


 彼我の距離にして五メートル。

 目の前に幻出げんしゅつしたもやが、ゆるやかに輪郭をもつ。


(杭じゃない?)

 坂田のように杭が刺さっている姿を思い描いていたが、視界に現れたのは細い十本のげん

 一本ずつクロエの指先にむすびついた弦は、枯木の王女に繫がっていた。


(ならば、武者の籠手で弦を切る)

 指針を転換し、彼女の指先に狙いを変えた。

 そして凍血を帯びた籠手が、亡者を操る十本の弦に青い残光ざんこういた。


「──ッツ!? 何を」

 見えないけんが切れたように、クロエの両手が宙に弾かれる。

 死に体になったクロエに、千種が容赦なく淡い拳を向ける。


二刀神虯にとうかがち──ッツ」

 妙技みょうぎとなえ、死霊術士のふところに入る。


 が。



『右手をつけ』



「なッ!?」

 千種の掌打しょうだは、不可解な力によって叩き落とされた。

 転げるように倒れ込み、玉砂利に頬を付ける。

 愕然する千種は、自分を引きずり落とした原因を見据えた。


 自身の右手。

 悪食あくじきの王女諸共もろとも撃ち砕くはずの拳は、意思に反して、べったりと玉砂利の地面に貼り付いていた。

 まるで握っていた拳だけが、脳髄と異なる命令に隷属したように。



「我が宿したる聖骸せいがいの名は虚亡きょぼう四肢ししのひとつ。──隷属れいぞくの右腕」

 

 その声は、どう考えても、耳に届く距離ではなかった。

 それでも鈴なりに似た少女の声が聞こえたのなら、それは畢竟ひっきょう、聴覚が脳に通達せねばならないと必死に拾い上げた台詞なのだ。


「・・・・・・お前は・・・・・・」

 跫音あしおとさえ葉擦はずれにかき消えるほど遠くに居るにも拘わらず、鳥居の下から彼の双眸を眺める翡翠ひすいの瞳の、そのきらびやかな宝石ような色彩がひかる。

 魔神の玉眼ぎょくがんは、彼の瞳に映る、動揺や焦燥、困惑と恐怖、──それらがぜになりながらも、決して濁らない決意のほのおを、嬉嬉として覗き込んでいた。


「宿す奇蹟の権能けんのうは【触れたモノを永久に隷属たらしめる】こと」


 ひとつひとつ、言葉を射し込んでいく。

 彼女の頬は、嗜虐的な赤みを帯びていく。


「あのとき言ったはずだぞ。今より汝は我の所有物。汝の運命は、いま我の掌で定まった、と」

 

 桜髪の魔神の、純真であり苛烈でもある笑みは、千種に一切を理解させた。

 自分が知らず知らずの内に、抜き差しならない舞台に上げられたことを。

 その主演と監督を兼任する彼女こそ、自分がたおすべき宿敵であるということを。


「エトランゼ」

「再び会えて嬉しいぞ、チグサ。だが、今しばらくは──」


 眠れ、と。

 蕭然しょうぜんとした声を聞いた途端、千種の視界は白くぼやけていった。

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