恋せぬ賢者⑯

 ことの発端は、亀の団における団則にあったのかもしれない。

 彼らは規則として、想いを遂げたものから脱退するという決まりを持つ。

 また彼らはその概ねが独り身であり、基本的には他者の幸せについては不寛容である。例外があるとすればそれはかつての同輩に対してのみであり、運よく脱退を果たした者に対しては、彼らも憎まれ口を叩きながらも祝福する気概を持っていた。

 しかし、物事には限度というものがある。

 目の前で自らが持ちえない幸せを見せびらかされては、それは堪ったものではない。加えて自分たちは社会の窓を開いて他者に迫るという、愚にもつかない行為をしている最中なのである。自らの惨めさを痛感してしまうことは想像に難くない。

 その日、クリスマスイブにおいて亀の団の勇姿ないしは醜態を眺める多くの脱退者がいた。

 それは「二代目ラブラビット」こと私の成果でもある。

 しかし少々、活躍しすぎたのかもしれない。

 クリスマス前にヤッてきた慌てん坊、もとい、連れ合いを得ることができた果報者たちは、それはもう浮かれていた。だからこそかつての同輩たちに配慮のない冷やかしとてする。

 はじめは彼らもおとなしく我慢していた。

 けれども、冗談の延長であったじゃれあいは次第に「なんだコノヤロウ」「やんのかコンニャロウ」と罵声が行き交うものとなる。一人が「モテないやつは情けない」と言えば一人が「不貞の輩よりはマシだ」と返す。そして誰かが「お前の彼女なんて金目当てだぞ!」と叫べば誰かが「くたばれ!」と返す。そのように不毛に思われた舌戦であったが、何処からか一人の女性の唐突な宣言が場に響き渡り、終止符が打たれた。


「私は彼を愛しております」


 結果、訪れたのは凪の湖面を連想させるような静寂であったという。

 そうして亀の団の暴徒たちは溜め込んでいた怨念を顕現させて、カップル達を見境なく追い回す幽鬼へと変貌した。

 そのように辰村嬢よりあらましを聞く。


「そんな阿呆な」

「言いたいことはわかりますが」


 観念しろというように、辰村嬢が首を振る。

 きっと彼女にとって亀の団とは、そのような事態を起こしても不思議ではない団体なのだろう。言葉の端々に諦念のようなものが感じられた。


「とはいえ現状がマズいことに変わりはありません、これを使ってください」

「四の五の言ってはいられんか」


 辰村嬢が渡してきた拡声器を受け取りつつ了承する。

 ここで無関係を装うことは、流石にできそうにない。

 そして私達二人は協力して火消しに努める。

 大事に至りそうな揉め事を発見しては、拡声器を駆使して強引にでも沈静化する。暴徒とはいえ相手は亀の団である、根っからの乱暴者だとは言い難い。私たちが介入すると、その場においては大した騒動に発展はしなかった。

 しかし、どうにも数が多い。

 幽鬼たちはすでに広場中を埋め尽くして蠢いている。

 カップルたちは追い立てられ、家族づれは避難し、大道芸人やイベントスタッフたちは広場から離脱している。管理する者のいなくなった巨大エアーマットがポンポンと、幽鬼たちの波に圧されて転がっていく様が憐れである。彼ら以外の存在は軒並み排除されていく。そんな中で散発的に問題を治めようとも、焼け石に水といった様相は覆せなかった。

 そのように辰村嬢と二人で駆け回っていたのであれば、一際に騒いでいる一団を発見する。どうやら幽鬼たちの多くが、一人の人物を追いまわしているようであった。


「あれは──」


 私は追われている人物を確認して目を見張った。

 その人は、先ほど声をかけてきた名も知らぬ女性であった。


「どうして彼女が追われている⁉︎」


 ランニングシューズを履き力強く駆ける姿は勇ましく、いっそ美しさすら感じてしまう。だが幽鬼たちが血相を変えて彼女を追う。その様子は天女と餓鬼どものようで、さながら地獄絵図である。

 彼らは大群をそのままに広場上空の高架連絡橋へと駆け上っていった。

 

「お兄さんっ。どこに行くんですか」

「すまん、ここは頼んだ」


 辰村嬢と別れて、私は一群を追いかけた。

 幽鬼たちの群れに後方から迫る。だが、女性のもとへは一向に近づけない。そのように四苦八苦しながらに連絡橋への階段を駆け上がった。連絡橋には登ってくれるなという彼女からの要望は、すっかり頭から抜け落ちていた。

 そこで私は一つの異変に気づいた。

 音楽が止んだのである。

 今日はクリスマスイブらしくキャロルというべき讃美歌なぞが流れていたのであるが、それがピタリと止んだのだ。そうして代わりに聞こえてくるのは弦楽器と管楽器の控えめな調べ。そうかと思うとすぐさまに力強い音が加わり、それは躍動的で人々を鼓舞するような音楽へと変化した。

 妙に聞き馴染んだメロディ。それは題を「地獄のオルフェ」、別名を「天国と地獄」という。運動会によく流れるアレである。決して聖夜に大音量で流れるような曲ではない。


「今日は一体なにが起きている」


 呟いてみても、困惑を共有してくれる連れ合いはいない。

 ワケもわからぬままに、一人、走るしかなかった。

 冬の空らしくカラリとした晴天の月下、駆ける。

 長く広い高架橋の上で一人の女性へと群がる社会の窓の光たちに、その背後を追う男性。そんな光景とは一体どのようなものなのだろうか。

 予想なぞつきようもない。

 加えて耳にはどこか滑稽で愉快気なメロディが流れている。

 聖夜の幻想的な荘厳さなど欠片もない。

 すべて澄みきった天へと吹きとんでしまっていた。

 こんなのはどこからどう見ようとも、喜劇の一幕でしかないだろう。


「──だというのに」

 

 私は何故か、言い知れぬ不安を感じていた。

 これからなにか、容認できない出来事がある。そんなザワザワとした胸騒ぎが治らない。

 私はこの光景を知っている。

 既視感が私を苛む。

 その気持ちに突き動かされ、必死なって足を動かした。

 すると幽鬼たちの集団が追走を止めて、その場にてウゴウゴと蠢きだした。どうやら連絡橋の中央部にて女性がついに追いつめられてしまったようだ。ようやっと、私は幽鬼たちの殿へと追いつく。

 しかし蠢く幽鬼たちは、私が彼女に近づくことを許さない。

 私は拡声器を使用して周囲へと呼びかけるが、それすら幽鬼たちのお祭り騒ぎのような興奮に流されてしまう。

 すると視界の先で女性の姿が露わになった。欄干の上に飛び乗ったのだ。おかげで遠く先ではあるが、女性の様子が確認できる。彼女は橋の下を覗き見て驚愕するような顔を見せた後、何かを諦めたような様子で幽鬼たちへと向き直った。


「私は覚悟を決めました」


 そして言う。

 その言葉は冷えて澄んだ冬の空気によく響いた。


「そしてあなた方には言いたいことが山ほどあります。ありますが、時間がないので要約します。あなた方はもうちょっと悔い改めてください」


 その言葉に反感を覚えたのだろうか、幽鬼たちの熱が更に上がった。

 聖夜に自らを省みろと諭す行為が、幽鬼たちにとって酷であろうことは火を見るより明らかである。それでも女性は言葉をやめなかった。


「恋とは素晴らしいものです。手に入らない苦しみがあるのも理解します。だからといって恋する人の邪魔をするとは何事ですか。私は特にそれを言いたかった。親御さんが見たら泣きますよ。そんな情けない姿を晒すぐらいなら、もっと果敢にアプローチすればいいんです。精一杯に格好つければいいんです。それがどんなに滑稽だろうと、他から見たら気取った道化に見えようと、素直な気持ちで相手に接すればいいんです。そうであったのであれば、例えその人が社会の窓を全開にしたおマヌケさんであろうとも、きっと誰よりも格好いいはずです、可愛いはずです。だって私が好きになった人も、そうやって私の心を射止めたんですから」


 聞こえてくる音楽はそろそろクライマックスをむかえる。

 力強い楽器たちの旋律が終わりへと向けて、徐々にヒートアップしていく。

 その途中で私と彼女の視線が合った。

 彼女は何を思ったのであろう。

 私に向かって確かに微笑みを見せた。

 そして言う。


「何度でも言いましょう、私は彼を愛しております。大好きなんです」


 そのとき、後方より強風が吹きつけた。

 それは平な地面に立っている者すらよろめかせる、非常に強いものであった。

 誰ともなく「うお」という声があがる。

 誰もが強風に耐えるように頭を下げる。

 そんな中、私だけは視線を彼女から逸らさなかった。

 彼女もまた、決して私から視線を逸らさなかった。

 最後まで互いの表情を見合っていた。

 彼女の姿が見えなくなるまで。

 音楽が止んだ──


 ドサリと。

 土嚢どのうほうったような音が耳朶じだに響いてきた。

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