恋せぬ賢者⑭
往々にして、拠点駅をおく地域には近隣にも公園を持つ。
きっと都市計画というものを想定すると、そのような必要性が何かしらの点であるのだろう。その目的は多岐にわたり、規模は駅の大きさに比例することが多い。公園であるのだから、使用方法は公衆の自由であるはずだ。
だがしかし。
私が目前としている光景を見れば誰だって、もうちっと有意義に使用してやれと思うことだろう。無機質な公園という概念に、同情の念を覚えてやまない。
私は思うままを口にする。
「正気の沙汰ではない」
宵の口を越えて本格的に闇に沈んでいく公園には、それに反するような色とりどりの光源で溢れていた。赤青緑。規則性なくあちこちへ移動するそれらはユラユラと、力強く煌めいている。しかし、そのように述べると誤解を生むだろう。
なにせその光源とは、人の股間部にあるのだから。
右隣にて同じように集団を睥睨している責任者の女性に、改めて声をかける。
「正気の沙汰ではない」
「狂気の沙汰ほど面白いのですよ」
私の心よりの苦言はしかし、楽しそうな辰村嬢によって笑い飛ばされる。
「そもそもの原因としては、お兄さんの奇行によります。お兄さんが電車内で『社会の窓を開く』という猥褻行為を犯さなければ、私の愉快な発想も生まれることはなく、このような地獄絵図は見られませんでしたよ」
「そのような濡れ衣には断固、不服申し立てる」
嬉々として責任の転嫁を行ってくる主犯者に、毅然とした否定を示しておいた。彼女はその合間にも、忙しそうにアチコチへと連絡を取り合っている。
本日はクリスマスイブである。
つまりは亀の団による一大行事がなされる日である。
彼らは毎年、奇抜なパフォーマンスを行いながら駅前を行進する、男女の交流を否定しながらに。その目的は不明である。名目として「清く正しい交際を推奨する亀の団」を掲げているはずだが、なにせ団長である隣の女性が「よく分かんないです」と言うのだから、これはもうそういうものだ。諦めるより他はない。
意図は不明であるが、その実状としては大がかりだ。目前には概算するのも阿保らしい数の光がある。その全員がこれから駅前までの道程をエキセントリックパレードするのだ。ある者は奇声を発してカップル達を威嚇して、ある者は号泣し自らの不運を道行く人々へ訴えかける腹づもりらしい。現代の魑魅魍魎とは彼らのことを言う。いったい、あの立派な獅子舞はどこから調達してきたのだろうか。
公園にて決行のときを今か今かと待っている幽鬼たちは、それはもう目立っていた。公園をかこむようにザワついている野次馬はもちろん。公園に隣接している施設は観光ホテルであるのだが、そこの窓よりカシャカシャとフラッシュがたかれる様子も散見される。
これは早くしないと、要らぬ騒動が起きてしまうかもしれない。
そもそも衆人がこのように行進をするには、然るべき役所に然るべき届け出をする必要があると思われるが、そこのところはどうなっているのか、怖くて聞けていないところである。
そのように呆然と成り行きを傍観していたが、そろそろ本格的に始動する頃合いらしい。私はまがりなりにも関係者として見物するも、百鬼夜行に加わるつもりは毛頭ない。よって、ここでオサラバすることにする。
「では私はこれで。先に駅前にて、君らの雄姿を拝見することにする」
「あっ、それならラジオブースに行ってみてください。団吉さんが暇をしているはずです」
詳しく聞いてみる。
どうにも牛尾氏がゲストパーソナリティとして招かれているらしい。「どうして彼が?」と問うと、亀の団がクリスマス特番の話題として取り上げられるのだという。どこの放送局かは知らないが思い切ったことをするものである。牛尾氏は初代団長としてラジオ出演するのだと。それは毎年のように駅前で乱痴気騒ぎをしているのだから知名度はあることだろうが、それにしたって公序良俗の観点に反しているのではないかという疑問を覚える。
「わかった。よってみる」
宣言して私は、その場をあとにした。
しばらくは一人で冬の寒空の下を行く。
街の様子はクリスマスイブであるから、それはもう煌びやかなものであった。
年内随一と言っていい程の幻想的な夜景である。
この光景を見て、何も感慨を抱かないものは稀であろう。
そもそもクリスマスとは舶来品であるから、比較的に重要視される行事ではないはずだ。それでも様々な人がいて、様々な思惑がある。三者三様の意見の中には、クリスマスこそが唯一に価値のある慣習だと嘯く者もいる。
かくいう私も、かつては決して無視できない情動をこの行事に注いでいた。
クリスマスイブを「名前を言ってはいけないあの日」として定義したのだ。その心は、しようもない願掛けである。そうしてとことん忌避していればこそ、幸運が私のもとに転がりこんでくるかもしれないという、根拠ない妄想である。そうして長らくの間、頑なにその名を口にはしていなかったのであるが、いつの間にやら忘れていた。
社会人となり日々の生活に追われていく中で、大したことではないと判じてしまった。そのようにして失ってしまった「遊び心」とはいったい、どれほどの数に及んだのだろうか。そんなことを考えて、ふと悲しくなる。
そういえばと思い出す。
かつて私は、欧米人がしきりに自らの神を呼びつける行為に面白みを見つけて、模倣しようとしたことがあった。しかし異国の神様も、さして信心深いわけでもない輩に「おーまいがっおーまいがっ」と連呼されるのは気分が悪かろうと、代わりに天を拝むようにしてみた。ことあるごとに空を仰いでは、そのときの悲喜こもごもを報告していたのだが、その行為もしなくなってからは久しい。
なにげもなく上空を見上げる。
本日は澄んだ快晴である。
雲一つない、澄んで奥行きのある藍空には、大きくて真ん丸な月が浮かんでいた。
月光は柔らかで霞んでいる。その光には不思議な温かさがあるように感じた。
そのようにしていると、いつの間にやら目的地へと到着する。
ラジオブースの大きな窓の向こうに、確かに見知った顔を発見する。亀の団、初代団長こと牛尾団吉氏である。彼は私の接近に気づくと朗らかな笑顔をむけてきた。収録中であるから滅多な言動はできないようで、私にジェスチャーで意思を伝えてくる。
てんで理解できなかった。
窓ガラスを隔てて、いい年した男性二人組がモソモソソワソワしあうのは気色悪かったため、頑張って解読に努めた。どうやらブース前に置いてある投書箱に、リクエストを投函しろということらしい。これもイベントの一環のようだ。
承知した私は、悩んだ末に一つの選曲をする。
赤い箱に紙片を投入すると「頑張ってくれ」といったニュアンスの仕草をしてから、その場を離れた。あまり目の前をチョロチョロとして邪魔をしたくはない。
さてどこに向かったものかと首をまわしていると、広場の中心に目についたモノがある。私は徐に近寄るとそれを見上げた。
大きなモミの木、クリスマスツリーである。
特別に思い入れの強いモノではなかったが、ここまで大きいと大変に見応えがある。天辺にある星の飾りはここまで巨大なモノでも確かにあるのだなと、変な愛嬌を感じてしまった。
多くの人々がツリーを見上げている。
その誰もが喜びに満ちた表情をしていた。
仲睦まじく肩を抱き合うカップルや、はしゃぎまわる子供を諫める家族連れ、他にも路上パフォーマンスを行う大道芸人や、なにか大がかりなアクティビティイベントでも行われるのか巨大なエアーマットを膨らませている団体すらいた。
誰もが楽しそうにツリーの光へと寄り添っていた。
私という男はその中にて漂うただ一つの異物のようだ。
自らこそはふらふらふらふらと、クリスマスツリーの光源に招きよせられた羽虫である。あるいは波打ち際にて延々と空転し続けるペットボトルゴミだろうか。そんな不健全な思いが頭をもたげる。
ふと、上空から聞き知った声が聞こえてきた。
牛尾氏とディスクジョッキーのラジオ放送である。
『さて続いてのリクエストは、先程に訪ねてきてくれた牛尾さんのお知り合いからいただきました。これまた懐かしい――というか彼の年齢で知ってるんですかね、これ?』
『どれ。ははあ、なるほど。彼については、じつは亀の団とも因縁浅からぬ相手でしてな。この曲についても、彼と共に大活躍した経歴があります』
『ほほう! それは興味深い。気になるエピソードではありますが、詳細は後ほど。まずは聞いていただきましょう――ラジオネーム「二代目、恋する兎」さんからいただきました。「雨に唄えば」どうぞ』
そうして広場には一つの楽曲が流れ始めた。ポップで軽快な曲調に、役者ジーン・ケリーのウキウキとした、興奮が抑えられていない歌声が響き渡る。「雨に唄えば」。かつて私が踊り狂った名曲であった。
雨の中で歌い踊るとは、なんとも馬鹿なことであろうか。
きっと誰もが奇異の目でみてくることだろう、その行為が不快だと物申してくる輩もいるだろう。それでも溢れ出る喜びを表現することを抑えられないのだ、頬を打つ雨水の冷たさが心地よいのだ。
恋をするとはなんとも愚かで、そして素晴らしいものなのか。
私を満たすその想いは憧憬である。
私は感情を持て余してついには空を仰ぎみた。相も変わらぬ快晴でただ月光のみが私に笑いかけてくる。これでは一滴の雨水さえも期待できない。雨が降らないことには歌い踊ることもままならない。
どうして雨は降らないのか。
どうして私は馬鹿者ではないのか。
私は抑えきれぬ感情をはきだすように祈念する。
――ああ天よ。願わくは私に恵みの雨を、「運命の出会い」を与えてくれないか。
すると、鼻先にポツリと水滴が落ちてきたような気がした。
驚いて瞑っていた目を開いたが、空は先程とかわらない様子である。
不思議なこともあるものだと首を捻ろうとするも、ずっと上空を仰いでいるものだから、このまま動かすと痛めてしまうのは目に見えた。よって目線を水平に戻す。
我ながら阿呆なことをした。
そう思いながら苦笑するとふと気づく。
遠くから、こちらを向いている人物と目が合った。
正確には視線が合ったかは定かではない。相手は豆粒のように遠く佇んでいる。しかし確かにこちらと正対していた。ちょうどエアーマットを膨らませて何事かの準備をしている集団の辺りから、こちらをしっかりと見つめてきているようだ。気にしないつもりだったが、やがて人影はこちらに歩を進めてくる。きっと私の横に屹立しているツリーを目指しているのだろう。そう予想するも、それにしては真っすぐと私に向かってくる。もしかしたら知り合いかもしれないと、目を凝らした。
その輪郭や背格好から、どうやら女性のようである。
背筋を正して毅然と歩く動作からは、どこか品性というモノを感じさせる。
人影が近づいてくるにつれて、段々と詳細な様子が判明しだした。
駅前広場を凛として歩く彼女は、吹き込んでくる風により乱れる髪を片手で抑えていた。肩下まで流れるサラサラとした黒髪が優美である。その表情は如何なものであろうか、遠く薄暗い広場では窺うことが敵わない。しかし新たな光が追加される。クリスマスツリーである。煌々と輝くツリーの光が彼女を照らしたのだ。彼女はすでに私の目前と言ってもいい程の距離にまで近づいている。ついにはその姿が判然となる。
とても綺麗な人であった。
私にはそれ以外の感想が思い浮かばない。
これが現国の教師であるのであれば、一体どんな風に彼女を表現したのであろう。美術教諭であるのなら彼女の何が美を連想させるのか突き止められるのか。一介の数学教師である私には、とてもではないが今の気持ちを表現することが出来なかった。そのことが唯々口惜しい。
ツリーの灯りに照らされる彼女を見て、ついに私は硬直していた身体を元に戻す。
「あの何か――」
「――ですか」
何か御用ですかと問いかけようとしたところに、何事かを問いかけられた。しかしその声はくぐもっており、なんと言われたのかは判然としない。よって「はい、なんでしょう?」と問い返す。すると彼女はキッと顔をあげて口を開いた。
「どうして寅次郎さんがここにいるのかと、聞いているんです」
名前を告げられて、そのように問いただされた。
柳眉を逆立てたその様子は、どうやら怒っているようである。
「答えてください」
しかし相手がどんなに綺麗な人であろうと、私は困惑するしかない。私と彼女とは確かに初対面であり、そのような詰問を受ける謂れがないのは間違いがない。
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