恋せぬ賢者④
「申し遅れましたが、私はこういう者です」
辰村嬢が名刺を差し出してくるので受け取る。そこには予想外の肩書が記載されていた。
――清く正しい交際を推奨する亀の団 団長 辰村真緒
「現『亀の団』の団長を務めさせてもらっております」
にこやかな顔で言ってのける目の前の女性に絶句していると、私の肩越しに名刺を覗き見た鈴木が酒臭い息とともにろくでもない冗談を発する。
「ウサギの孫娘が亀の頭なのだなぁ」
「お前は一度水を飲め。チェイサー」
「やなこったい」
悪ノリを続けて麦酒に口をつける悪友に「駄目だこりゃ」と見切りをつけると、私は辰村嬢に向き直って尋ねた。
「話が突飛に過ぎるのでだいぶ混乱しているのだが、二つほど確認させてもらってもよろしいか?」
「どうぞ幾らでも」
そう言って辰村嬢は大将に向かって料理の追加注文をする。魚の煮つけである。それを見て垂涎の念を覚えた私は日本酒を二合とお猪口を三つ、大将に申し付ける。
「や、どうもどうも。それで何が聞きたいのです?」
「一つにはそのラブラビットとやらは何をしなければならない役柄なのか、そしてもう一つには何故私に依頼するのかということです」
疑問を受けて辰村嬢は口を開く。その質問に答えるためにまず亀の団とラブラビットについて説明するという。両者は決して相容れぬ存在ではないということであった。昨今では対立の抗争を基軸に語り継がれているが、元来はある一つの事柄を達成するために協力する関係にあったのだという。
「その目的というのは?」
「団員の恋の成就です」
辰村嬢は語る。
かつて恋愛への渇望により暴走した一団があったという、「亀の団」だ。その暴走を鎮めて、団員の片恋慕を成就するために暗躍した存在こそが怪人ラブラビットだというのだ。私はその話を聞いて疑問を呈する。
「あなたのお祖父さんは何がしたくてそのようなことを?」
「趣味の一環だったそうですよ。あまり深い意味はなかったそうです。そこに至る経緯としても成り行きという面が多いようです」
「なるほど」
そう言われてしまえば納得できない話でもない。古来より、他人様の恋のスッタモンダというものは娯楽として優秀である。
「あなたを選んだということも成り行きです。ウサギが引退したときより、現在における亀の団は迷走しております。ただ馬鹿騒ぎをするという、これはこれで需要ある行為ではあるのですが、些か無軌道に過ぎます。よって原点回帰としてウサギと亀の構図の復刻。それらを思い描き、如何にして外部より適任者を見つけるかと悩んでいるときに、あのような見事な演説を聞いたものですから。私はこの人だと、運命を感じてしまったのですよ」
「そのような運命であれば御免被りたいものですが」
「それが乙女に向かって言う台詞ですか」
辰村嬢がぷりぷりと気の入らない怒りを発しているところに、大将から料理を提供された。魚は何かと聞いてみたところカレイであるという。なるほどそれは美味い。私達は互いに酒を酌み交わすと旬の魚に舌鼓を打つ。そうしていると、そろそろ呂律の怪しくなってきた鈴木が言う。
「面白そうな話ではないか。寅次郎やってみるといい」
「そう言ってお前は焚きつけるが、どうせ一枚たりとも噛む気はないのだろう?」
「馬鹿をするのが貴様の仕事、それを眺めるのが私の仕事だ」
「お前はへんなところで付き合いが悪い。たまには一緒になって騒いでくれてもよかろう」
「悪いな。私は貴様には馬鹿をさらさないと心に決めているのだ」
「さいで」
酔っ払いの戯言をまともに付き合っても仕方がないので、私は再び辰村嬢へと問いかける。
「具体的には何をすればいいのでしょうか?」
「さしあたって団員を三名ほど見繕っております。彼らの話を聞き、片恋慕を成就へと導いて欲しいのです。もちろん企みを決行するのは当人達なのですからアドバイザーとして動いてくれたらと考えております。いきなり『よしなにどうぞ』と言われても困るでしょうから、もう一人オブサーバーを招請するつもりであります」
「ふむ」
そこまで説明を受けて私は考え込んだ。
話を受ける義理はまったく存在しない。だがこれこそは私も望むところではないだろうか。私は馬鹿になりたいと宣言したものの自らが恋愛を嗜みたいという心境に至っていない。未だ失敗の傷は癒えていないのだ。それならばヨソサマの恋を応援するというのも一興か。
少し色味がかった酒をちびちびしながら考える。
かつて幕末の志士、高杉晋作は「おもしろきなき世をおもしろく」と詠んだ。その真意こそわからないが、その言葉の表面だけをなぞらせていただこう。面白くもない日々を自発的に彩るのだ。つまりは「馬鹿になれないのであれば馬鹿のふりをする」のである。そうすればいつかは嘘が真になる日がくるかもしれない。
私は半ばに定まった決心をそのまま口にする。
「少し考えさせてください。建前ではなく前向きに検討してみたいと思います」
「ではその際には連絡をいただけたら嬉しいです」
そうして私は辰村嬢と連絡先の交換をするに至る。
また一つ、けったいな酒飲みコミュニティが増えた瞬間でもあった。
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