第45話 社会
「ヘイトクライムという言葉をご存知ですか」
ピエロは、語る。
「ヘイトクライム――憎悪犯罪とは、人種、肌の色、宗教、障害、ジェンダーなどといった、 “ 自分とは異なると判断したモノ ” に対する嫌悪に端を発した犯罪のことを指します。ロボットによる愛情に満ちた素晴らしい教育のお陰で今でこそ数は少なくなりましたが、しかしなお確かに存在している。その内の一つが、犯罪者及び犯罪者親族に対するヘイトでございます」
ウサギの頭に、北風の顔が浮かんだ。次いで、火鬼投の顔も。
「これは、大変根深い問題です。何故なら、非があるのは明らかに犯罪者の方ですから。だが、石を投げるのは被害者ではない。周りに集まってきた野次馬が、己が持つ石に正義を込めて投げるのです。そしてその石は、時として何の咎もない犯罪者親族に向けられる。しかし犯罪者は声を上げられない。上げてはいけない。犯罪者の声は正義の使者を反応させ、また石を拾わせるからです」
バイクは緩やかに下降する。そして地上三メートルぐらいの所で、ピタリと動きを止めた。
「御察しの通り、私は現実世界で罪を犯し、スリープに入れられました。ですが、絶え間ない責め苦を夢で見せられる中、こう思わない日は無かった。――ああ、自分は本当にこうする事でしか、罪を購えなかったのかと」
「……」
「罪は罪です。どうか私を許せと叫びたいのではありません。ただ、犯罪者にも色々な人間がいる。八つ当たりで人を殺す人間もいれば、自分が生きていく為に泣きながら刃物を握った人間もいる」
ピエロは右腕を出し、少し遠くを歩く若い女を指差した。女はこちらに気づき、はにかむ。
「……彼女は、母親に会いたかっただけなのです」
女に聞こえない程度の声で、ピエロは言った。
「ロボットに育てられた彼女は、成人したあの日、自分の母親とされる女性に会いに行きました。最初は、遠くから覗くだけで良かった。彼女は、自分の親の顔を見てみたかっただけなのですから。……だけど、そこで要らぬ欲が出た。彼女は話しかけてしまったのです」
「……」
「どんな会話があったかは割愛しますが、それは彼女を深く傷つけるに十分なものでした。彼女は咄嗟に親を突き飛ばし、逃げた」
「うん」
「悲劇は往々にして重なるものです。打ち所の悪かった母親は、そのまま息を引き取りました」
その後はご想像の通りです、とピエロは続ける。ウサギは、ヤツの言葉に何の感情も出さぬよう努めていた。
「スリープシステムに関われるようになった私は、彼女を悪夢から引き上げた。そして、この街に住まわせたのです。もう誰も彼女を責めることはない、この街に」
「……他の犯罪者は?」
「重犯罪を犯した者は、中央の更生施設にいます。そこで罪を自覚し改心できるよう、それぞれの宗派に対応した人員やカウンセラーを配置しております」
「そうか」
「ええ。……あの中にいる彼らですら、いずれ更生した暁には、この街の住人、ひいては別の場所でも問題なく暮らしていけるようになるでしょう。それこそ、犯罪を犯す前のように」
淡々としたピエロの声に、ウサギは適当に相槌を打つ。ピエロの表情は、仮面に隠れて見えないままであった。
「……ねぇ、ウサギさん。果たして、罪は罪でしかないのでしょうか。学び、悔やむことのできる人間は、救われてはいけないのでございましょうか」
「……」
「犯罪率が減少すればするほど、人々の犯罪への忌避感は強くなり、犯罪者へのヘイトは高まっていく。彼らは自分達とは違う、危害を加えられたくない、そもそも彼らを許すことは正義に反する、痛みを与えねばならない――こうして、社会の良心による自浄作用は、乱暴な結論を導き出します。全員、スリープに入られるべきなのだ、と」
しかし、それは臭い物に蓋をする理論なのです、と彼は言う。
「犯罪者であれ、人なのです。蓋をされるべき臭い物ではないのです。――だからこそ、私はこの世界に理想の社会を作りました。幸せな夢に逃げるのではなく、悪夢に苦しめられるのではなく、互いが互いに関わり合い、助け、許し、救われることのできる社会を築き上げたのです」
「……でも、それだけじゃ、まだ足りないと」
「はい」
ピエロは頷いた。
「現実世界にこそ、この思想を波及させないといけません。私の究極の理想は、スリープシステムの無い、犯罪者の更生が受け入れられた社会――。今は致し方なく仮想空間に作り上げていますが、この光景を現実世界で実現する、それが私の使命なのです」
熱弁するピエロに、バイクの上で器用に足を組んだウサギは、静かな目で応えた。
「――だから、意思を持った人工知能を言いくるめて成り代わり、今はクローン人間を待ってるってワケか」
「ええ」
ピエロの仮面は、笑っている。
「貴方の仰りたいことは分かります。比丘田氏を脱走させたり、スリープ者の集団をぶつける人工知能を止められなかったり、一歩間違えれば大勢の人間が死んでいたかもしれないことについてですね? いえ、私は彼らに伝えていました。決して人の命を奪う真似はするなと……」
「でも本当の目的は話していなかった。そうだろ?」
「……」
ウサギの指摘に、初めてピエロは口をつぐむ。
先ほどの彼女は、優しそうな小太りの男性に声をかけられ、笑いながら駆けて行った。
幸せな光景だった。確かに、あれを作り出したのはコイツなのだろう。
だけど。
「……オメェの本当の目的を知らねぇで、比丘田はクローン人間を作った」
“ 貴方の素晴らしい能力と思想――自我の美しさを目覚めさせるというもの――それを、スリープの中で眠らせておくべきではないと私は思います。どうか、現実世界で派手に見せつけてください。 ”
「オメェの本当の目的を知らねぇで、人工知能はスリープ者を使って警察本部を襲撃した」
“ 人間になりたい? ええ、方法はありますよ。クローン人間が、一人警察本部に残っています。彼を奪い脳を乗っ取れば、貴方は人の体を手に入れられます。……どうすればいいか、ですか? ……貴方には、たくさんの駒があるではないですか。 ”
「――抱く思想をとやかく言うつもりはねぇよ。犯罪者やその家族が落ちる環境、スリープシステムの在り方なんざ、今後も議論されて尽くされて然るべきものだ。倫理、法、あらゆる面でな」
「そうでしょう。私の思想は正しい。だからこそ、あらゆる手を使ってでも現実世界に戻り――」
「でも、それとこれとは別だ」
ピエロを見つめるウサギの目は、カメの目の色だった。
「――素晴らしい大義の為にお前がやってきたのは、犯罪教唆という立派な罪なんだよ。自分の主張を叫ぶ為に、貴様はそうやって他者を踏みつけてきたんだ」
そして、挙げ句の果てにはスリープシステムの役目を捨てて、現実世界に行くという。
そうなれば、残された人々はどうなるか。
答えは簡単だ。中枢を司っていた部分が無くなった世界は崩壊し、そこに集められたスリープ者の意識は電子の海に散って二度と元の形に戻らない。
つまり、全スリープ者に唐突な “ 人格の死 ” が訪れる。
「まさに今、お前はお前の目的の為に、お前が作った社会の人間達を殺そうとしているんだよ。……そういう人間が何と呼ばれるか、知ってるか?」
ウサギは、ピエロの仮面に手をかけた。
「――なぁ、テロリストよ」
笑みを貼りつけたその顔は、青鳥と同じ顔をしていた。
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