特異体質
村を飛び出したジュードは、近くの林へと足を踏み入れていた。
悲鳴がどこから聞こえてきたのか、正確な場所まではわからない。現段階でハッキリしているのは、村の外ということだけ。どこで何が起きているのか、ジュードの気持ちは逸るばかり。
風の国ミストラルは他の国に比べて魔物の狂暴化はそれほど進んでいないが、人型の魔物であるオーガは元々が好戦的な性格であり、人の姿を見ればほぼ確実に襲ってくる。
先ほど聞こえてきた声は女性だ、もし狂暴な魔物にでも襲われていたら――そこまで考えて、ジュードは最悪の展開をかき消すように頭を振った。
「陽が暮れる前になんとか探さないと……」
太陽は既に沈み、辺りは既に暗くなり始めている。どんな情報も見落とさないよう、周囲に視線を巡らせながら一歩一歩進んでいく。
この林は森と異なり見通しがよい。こうして周囲に目を向けていれば人の姿を見落とすことなどないはずだ。その時、彼の視界に林には不似合いな紅色が飛び込んできた。
「あ、そこのあなた! ちょっと!」
「その声、さっきの悲鳴の……」
「オーガに追われてるの、助けて!」
それは、紅色の髪をした少女だった。
仲間はいないのか、女の一人旅には随分と不向きな――胸元や肩、二の腕、更には太ももなど際どい箇所を過剰に露出した格好をしている。大きなスリットが入った黒のマーメイド型ドレスは白い肌にはひどく似合う。彼女が持つ美貌と相俟って男を虜にするには充分だろう。
だが、悲しいかな、ジュードは色恋には恐ろしく鈍い。
年相応の興味がないわけでもないのだが、性格なのか女性との過剰な接触を善しとしていないのだ。そして彼自身の意識や思考は、今は彼女が発した言葉に向いていた。
――オーガに追われている、という言葉に。
次の瞬間、彼女の言葉通りやや後方にオーガが姿を現した。オーガという魔物は人型をしているが、見てくれは明らかに人間とは異なる。緑色の皮膚を持ち、大きく裂けた口の両端からは鋭利な牙が覗く。太い腕から繰り出される棍棒による攻撃は、一般人が喰らえば致命傷になるレベルのものだ。
この風の国ミストラルで一番狂暴とされている魔物である。
「あちゃ、興奮してるな……危ないからその辺に隠れてて」
ジュードは少女を己の後方に促すと、腰裏から素早く短剣を引き抜く。護身用に持ち歩いているものではあるが、その形状は格闘用に造られたものだ。ヒルト部分に蒼く透き通る石が埋め込まれたそのナイフは、大層美しい。
ジュードは得物を手に、真正面からオーガと対峙した。
「グオオオオォッ!」
オーガは雄叫びを上げると、ジュードの倍はあるだろう巨体を揺らして襲いかかってきた。駆ける度にドスドス、と鳴る重苦しい音からオーガの重量がどれほどのものか大体想像はできる。
目の前まで駆けてきたオーガが棍棒を振り下ろしてくると、ジュードは身を屈めて真横へと跳んだ。幼い頃から山で育ったジュードの眼は非常によく、その動体視力は常人よりも遥かに優れている。オーガの力任せの攻撃は確かに脅威ではあるが、眼のいいジュードにとっては直撃にさえ気をつければ怖い相手ではない。
「このッ!」
「ギャオオオオッ!!」
振り下ろされた棍棒を難なく避けたジュードは、逆手に持つ短剣をオーガの背中に叩きつける。当然、その背からは血飛沫が上がった。それと同時にオーガは悲鳴と思わしき声を上げる。その声に、ジュードは眉根を寄せて目を細めた。
『――イタイ、イタイ、クルシイ!!』
頭の中には、魔物が上げただろう悲痛な叫びがダイレクトに響いた。ジュードにしか聞こえないその声は、いつだって彼を惑わせる。
ジュードは身を翻して後方に跳び、オーガと距離を取る。次に右手に持つ短剣に意識を集中させると、ヒルト部分に埋め込まれた蒼い石がまるで呼応するように光り輝いた。
傷を負ったことで更に興奮状態に陥っているオーガはそんなジュード目がけて再び駆け出し、そして飛びかかった。対するジュードはオーガを見据え、光を湛える短剣を真横に薙ぐように振るう。
すると、ジュードの周囲に無数の氷の刃が出現し、襲い来るオーガを直撃した。それは氷属性の初級攻撃魔法『グラススパイン』だ。勢いよく飛翔する氷の刃はオーガの腕、腹部、足など身体の至るところに突き刺さり、飛びかかるその巨体を見事に叩き落とした。
「今のは魔法……? でも、あの子……魔法の詠唱なんてしてなかった……」
その光景を見ていた少女は、隠れていた木の陰から身を乗り出して目を見張る。生まれ持った才能に左右される部分こそあるものの、魔法は通常であれば習うことで誰でも扱えるものだ。
しかし、魔法を使うには必ず詠唱の時間を挟む必要がある。
魔法は世界に広がる精霊の力を一時的に借り受けて放つものだ。詠唱はその精霊たちの力を具現化させるためのもの。これを省略しては正しく発動しない。だからこそ、詠唱もなく魔法を放ったジュードに少女は瞠目した。
無数の氷の刃が突き刺さったオーガは「ガオオォ、ギャオオォ」と悲痛な声を洩らして起き上がると、お手上げとばかりに来た道を駆けて一目散に逃げていく。ジュードはそんなオーガの背中を見送って、ひとつ安堵を洩らした。
「あ……ありがとう、助かったわ」
「いや、気にしないで。大丈夫?」
「ええ、お陰さまでね。……あら、腕のところ擦りむいてるわよ」
オーガが逃げていったのを確認すると少女は片手で己の胸を撫で下ろし、薄く微笑みながらジュードの傍らへと歩み寄った。そんな彼女に気付いたジュードは短剣を腰裏の鞘に戻し、礼を言われることではないとばかりに小さく頭を左右に振る。
だが、少女はジュードの片腕に視線を向けると、そこに薄い傷を認めた。血は出ていないようだが、確かに引っ掻き傷になっている。
「ほんとだ、木の枝で引っかけたかな」
悲鳴を上げた女性を探すために林の中を歩き回っていたためだろう。その際にどこかの木の枝に引っかけたのだ。少女は一歩改めてジュードに歩み寄ると、両手でその手を取った。
「ジッとしてて、私にできるお礼なんてこれくらいしかないけど……」
「……え?」
少女はそう告げて、静かに目を伏せる。そして形のいい口唇から短く詠唱を紡いだ。それと同時に彼女の手からは黄色の優しい光が溢れ出す。それは、地の精霊の力を借りた初歩的な治癒魔法だ。
しかし、その光景を目の当たりにするなりジュードは蒼褪め、咄嗟に声を上げた。
「――っ! ちょ、待っ……!!」
「……どうしたの?」
その声に驚いたのは当然彼女の方だ。
彼女にとっては純粋に礼のつもりだったのだが、突然上がった声にどうしたのかと目を開いてジュードを見上げる。
すると、ジュードは苦悶の声を洩らし、片手で己の胸辺りを押さえて崩れ落ちた。彼の手を包んだ優しい光は、まるで弾かれるかの如く飛散していく。
「え……っ、ちょ……どうしたの!? ねえ!」
少女はジュードの傍らに屈むと、崩れ落ちた彼の身を支える。彼女はただ治癒魔法をかけただけだ、それでなぜ倒れなければならないのか。手を触れた彼の身は衣服越しでもわかるほど熱い、異常なほどの体温だ。――否、今もまだその熱は上がり続けている。眉は苦しそうに寄せられ、薄く開いた口唇からは荒い呼吸が洩れる。目は完全に伏せられていた。
少女はその様子に戸惑ってはいたものの、やがて神妙な面持ちで息を呑む。
「(これって……魔法に対する拒絶反応? この子、まさか……)」
言葉にこそ出さなかったが、少女は暫しそのままの状態でジュードを見つめていた。
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