奇跡の祈り
程なくして鎮火したが、その一方で住民の避難を手伝っていたラフィンは怪我人の手当てに追われていた。
逃げ惑う住民同士でぶつかり転倒したことで流血沙汰になった者が非常に多く、他には黒煙を吸い込んで喉を傷めた者もいる。不幸中の幸いか呼吸困難には陥っていないようだが、それでも心配は尽きない。
騒ぎで叩き起こされた医者が駆けつけてはくれたが、明らかに治療の手が足りていなかった。
「あらラフィン、こんなところにいたの?」
そこへ、聞き覚えのある声が聞こえてきた。肩越しに振り返ると、そこにいたのはカネルだ。辺りを見回す様子から、一度こそ周囲の怪我人の心配をしているのだろうと思ったが――どうやら違ったらしい。
カネルは改めてラフィンに視線を戻すと胸の前で腕を組む。
「アルマはどこよ? こんな騒ぎになってるのに出てもこないの?」
「……」
「火だってわたしがクラフトの祈りを使って消してあげたのよ、やっぱり祈り手としてはこのくらいできるようじゃないとね。まったく、アポステルが使い物にならないと周りが苦労するわぁ」
わざとらしいその物言いに、現在の状況も相俟ってラフィンは猛烈な腹立たしさを覚えた。
周りの状況が見えないのか、どれだけアルマを侮辱すれば気が済むのかと。現在、周囲では怪我の痛みで苦しむ者が大勢いる、彼らの手当てを手伝うでもなくカネルの口からはアルマを蔑む言葉ばかり。
恐らくはラフィンからの称賛を待っているのだろう。だが、彼がそれらの言葉を口にすることはない。
代わりに屈んでいた地面から立ち上がると、身体ごとカネルに向き直り彼女を睨みつけた。
「お前、大概にしろよ。怪我人の手当ても手伝わないで好きなことばっか言いやがって」
「な、なによ、わたしは本当のことしか言ってないじゃない。神さまから与えられた祈りしか持ってないアポステルなんて役に立たないわ。その点、わたしならクラフトの祈りでこうやって騒動を鎮めたり……」
「お前――!」
カネルのその言葉にラフィンは固く拳を握り締めると、思わず手が出そうになった。憎らしいこの少女の胸倉を掴んで、その自信に満ち溢れた顔面を殴ってやりたい――そんな破壊的な衝動に駆られたのだ。
だが、その時。不意に周囲の住民たちが声を上げた。それは悲鳴ではない、どこまでも驚きに満ちたもの。
それと同時に、辺りには不可思議な光の粒が舞うように降り注ぎ始めた。この商店街だけではなく、蒼白い柔らかな光はヴィクオンの都そのものを包み込んでいる。まるで怪我人たちの苦痛を優しく抱き込み、癒すように。
そして、その光は怪我人たちの周りに多く集まり、彼らの身に刻まれた傷を見る見るうちに癒してしまったのだ。先ほどまで確かにあった傷は、光に包まれた途端に瞬く間に癒えてしまっていた。
「こ、これ……一体なんだ?」
「まさか、セラピアの祈りか……?」
「そんなまさか、あの祈りの使い手なんているわけないだろ……いたら奇跡みたいなものなんだぞ……」
ラフィンは辺りを優しく包み込む光を見つめて、固く握り締めていた拳から力を抜いた。それ以上はカネルに言葉をかけることなく、何かに誘われるようにふらりと足を進め、そして駆け出していく。
カネルはそんな彼に一拍遅れて気づくと、両手を振り上げて怒っていた。
* * *
ラフィンが足を向けたのは、街外れにある花畑だった。
このヴィクオンは花の都と言われているだけあり、あちこちに花が咲いている。アルマの家に続くこの街外れの花畑は特に見事なものだ。
現在進行形で都全体を包む光は花畑にも降り注ぎ、それを受ける花々は呼応でもするかの如く、淡い光を抱く。まるで別世界に足を踏み入れてしまったような幻想的な光景に、ラフィンは思わず見惚れた。
一歩一歩と足を進めていきながら、やがて花畑の中央にアルマの姿を見つける。ラフィンにはわかっていた、アルマがここにいることが。
「(……そうだ、お前はあの時もこうやって祈りを捧げて……死ぬはずだった母さんを助けてくれた)」
ラフィンの母クリスは、あの時『モール病』という不治の病に罹っていた。本来は死ぬはずだったのだ。
だが、そんな時に知り合ったアルマがラフィンの事情を知り、祈りを捧げてくれた。
その結果、クリスの身を蝕んでいた病は綺麗になくなり、一命を取り留めることができたのだ。現在は病気だったことが嘘なのでは、と思うほど非常に元気である。
病に臥せっていたことで体力が戻るまでそれなりに日数はかかったが、病気が治ってしまえば食欲も戻り、医者が腰を抜かしてしまうほどの回復力を見せつけたのだった。
「……アルマ、もういいよ」
ラフィンが声をかけると、アルマは伏せていた目を開けて彼を振り返る。そしてイタズラが見つかった子供のように、眉尻を下げて「へへ」と片手で後頭部をかいた。
――アルマは神から授かったファヴールの祈りしか使えないわけではない、使わないだけだ。
彼が扱う祈りは『セラピアの祈り』という非常に
あらゆる病気や怪我を癒すことができる、謂わば奇跡のような力だ。だからこそクリスの病も治せたのだが。
セラピアの祈りの使い手は、世界に一人でもいれば奇跡と言われるほどの貴重な存在。
それゆえに、アルマがクリスを治してくれたのだとラフィンから話を聞いたガラハッドは、決してその祈りのことを口外してはならないとキツく言い聞かせた。
人の欲望には際限がない。極めて珍しい祈りの使い手がいるとなれば噂は次々に広まり、いずれ人々はアルマへと辿り着いてしまう。
そうなればどのような事件に巻き込まれるかわかったものではない。ガラハッドはそう考えたのだ。
ラフィンはアルマの隣に腰を下ろすと、その背中に片手を添える。セラピアの祈りは随分と精神力を使うらしく、祈りを捧げたあと、アルマは決まって深い眠りにつくからだ。
「へへ……ごめんね。商店街の方に行こうかと思ったんだけど、ラフィンに怒られるかと思って……」
「ああ、お前が来てたらゲンコツの刑だな」
言葉とは裏腹にラフィンの口調は穏やかだ。その彼の言葉を聞きながら、アルマは小さく吹き出すと静かに目を伏せる。
程なくして小さくも安らかな寝息が聞こえ始めたのを確認してから、ラフィンはなんとはなしに夜空を見上げた。
「(だからイヤなんだよ、お前がいじめられて泣いてるのを見るのは)」
アルマがいなければ、祈ってくれなければ――母は死んでいた。
だからこそラフィンはあの幼い日に誓ったのだ、大きくなったらアルマの
それが自分にできる、彼への一番の恩返しになると思ったから。
アルマは優しい、超がつくほどのお人好しだ。
そんなアルマが「落ちこぼれ」だの「役に立たない」だの言われて侮辱されるのも、ボールや石をぶつけられていじめられるのも、それによって泣かされるのも我慢ならない。
先ほどのカネルの言葉の数々を思い返して苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、ラフィンは深い溜息を零した。
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