第53話 天恵の申子

結局、あのまま一泊したシノアは次の日の朝早くにリサの家を出ることにした。


「別にもう一泊してもいいんすよ?」

「いやいや、そこまでお世話になるわけには…」


リサが名残惜しそうにシノアを引き留めるが、これ以上甘える訳にはいかないと自分を引き締め、丁寧に断る。


「まぁ、いつでも歓迎するんで気軽に来て欲しいっす」


猫耳をペタンとさせ、尻尾をふりふりさせながらシノアの手を握るリサ。

完全にキャラが崩壊している。


「そうですね。また、この国に寄ることがあれば必ず」


その言葉と共にシノアは、フードを深々と被り扉を開けた。


「それでは…また。お元気で」


優しげな笑みとともにリサに手を振るシノアには、かつての面影が取り戻されつつあった。

目の下のクマもほとんどなくなり、常に纏っていた殺気と血の匂いも本当に微かなものになっている。

まず、間違いなくリサのおかげであろう。


リサはシノアが見えなくなるまで手を振り、名残しそうに見つめていた。

しばらくすると扉を閉め、カウンターを漁り始める。


「…よし、あったっす…」


リサがカウンターから取り出したのは埃を被ってはいるが、美しい紋章が刺繍された輝かしい蒼色のコートだった。


「ふぅ…捨ててなくてよかった…」


コートの埃を払い袖を通すと覚悟を決めるためか、自分の頬を叩いた。


「よし…そこにいるんすよね?出てきてほしいっす」


誰もいないはずの空間に話しかけるリサ。

すると、リサが見つめていた場所から隠形術で隠れていた男が驚いた顔をして出てきた。


「ま、まさか気付かれているとは…」

「私を舐めないでほしいっす。今朝、設置していた魔法陣に侵入者が触れた痕跡があったし、気配も消せてないっすよ」


リサの指摘に歯噛みする男は未だ自分の隠形術を見破られたショックから立ち直っていない。


この謎の人物の正体はなんと、王家直属の情報偵察部隊─RIT─の一員、つまり超一流のスパイだ。

その隠形をいとも簡単に見破り、毅然とした態度をとるリサは少なくとも彼よりも立場が上であることが伺えた。


「それで、何か問題でも?」

「人の家に不法侵入だとか色々あるっすけど、それは置いといて…国王陛下に伝えて欲しいことがあるんすよ」


男はフードで隠れた表情を訝しげなものに変えるとリサに内容を問う。


「…して、内容は?」

天恵てんけい申子もうしごが帰ってくる。それだけっす」


リサの言葉に思わず“ばかな”と声を上げそうになった男は、それを飲み込み真相を問う。


「どういうことですか?」


男が驚くのも無理はない。

なにせ、天恵てんけい申子もうしごとは別名霊験れいげんとも呼ばれる錬成術の天才、一種の伝説上の存在なのだ。


「そのままの意味っす。天恵てんけい申子もうしご、リサ・ゾーシモスが戻ると伝えて欲しいんすよ」


天恵てんけい申子もうしご─それは19歳という若さでサンタルチア国営技術開発局の局長にまで上り詰めた伝説の練成師の二つ名だ。

その練成は神業と称され、錬成の神と崇めるものもいるほど優秀で、サンタルチアの技術力の7割はその人物の手腕によって生み出されたと言われている。

だが、24歳頃に何も言わず国営技術開発局を後にし、それ以来消息不明だった。


(ま、まさか国王陛下が直々に監視を命じられていたということは…)


男はひとつの可能性にたどり着き、背中に嫌な汗が流れるのを感じた。

すなわち、この目の前にいる人物こそ伝説の練成師、リサ・ゾーシモスかもしれないと。


「…承知致しました。ところで、なぜ今になって霊験レイゲン様は戻ろうという気になったのでしょうか?」


目の前の人物が霊験レイゲンであることを視野に入れ質問をする男。

万が一にも不穏な目的だった場合、この場で弑するため後ろ腰に差しているナイフへと手を伸ばした。

そして、リサの言葉を聞くとナイフを握る手にさらなる力を込めることになる。


「あんたに言う必要はないっすね」


まるで眼中に無いといったリサの態度は男のプライドをズタズタに引き裂き、絶対にしてはならないことをやらせた。


「…そういえば、先程の男とは随分仲睦まじい様子でしたな。あの男をこちら側に取ればあなたも─」


おそらく、彼女を国に縛りその技術力を独占したいという思惑だったのだろうが、それは彼女の逆鱗に触れる行為だ。


「カハッ?!ぐっ…き、きさま…」


言葉を言い終わる前にリサが動くことなく発動させた錬成により、両手両足を串刺しにされ全身を鎖で縛られる男。


(ば、ばかな!錬成陣どころか詠唱すらないだと?!)


全身に走る鋭い痛みも忘れ、リサの規格外の強さに目を見開く。

そんな彼に絶対零度の視線と共に言葉をかけるリサ。


「…もしあいつに手を出すつもりなら、私はこの国そのものを潰す。元々、私の技術で造られた国…滅ぼすことなど造作もないと知れ」


リサから放たれる圧倒的な殺気とその右手に宿る雷撃に怯えた男は、ただ首を縦に振ることしか出来なかった。


「まぁ、あんたを生かしておくつもりはないっす。“無還錬成むかんれんせい”」


その言葉で男は、存在ごと抹消され髪の毛一本も残さずその場から消し去られてしまった。

リサは床を錬成で直すと荷物をまとめるため部屋へと戻って行った。


無還錬成むかんれんせい─それは無から有を生み出すという禁断の術、神の奇跡を転じさせた錬成術の最高峰である。さしずめ人の奇跡といったところか。

もちろん、錬成の最高峰といわれるだけあり難易度は想像を絶する。

ある意味、魔法の中で最高位に位置する禁術よりも発動難易度は高いだろう。


それを錬成陣も使わず、詠唱も省略して発動させたリサの手腕がどれほど凄まじいものであるかは、言うに及ばずだ。


伝説が再び動き出そうとしていた。


◇◇◇



「国王陛下、謁見の希望者が来ております」


荘厳な雰囲気漂う玉座に執事の緊張気味の声が響く。

相手がこの国の王であることも緊張のタネではあったが、なによりもこれから告げることに王が怒りださないか不安なのだ。


「ふむ、して何者だ?」

「はっ…それが─」


執事が到来する人物の仔細を国王に告げる前にその人物は現れた。


「お久しぶりっす、へーか。元気だったっすか?」


片手をコートのポケットに突っ込みながらもう片方の手をふりふりさせる人物は、紛れもないリサである。

無礼なほど砕けたそれは、仮にも一国の主に対して示していい態度ではない。


「無礼者!貴様この方をどなたと心得る!」


リサのお世辞にも丁寧と言えない態度に気色ばむ近衛だったが、玉座から響く制止の声に黙らざるを得なくなる。


「待て。そう騒ぎ立てるな」


国王の言葉を無下にするわけにもいかず近衛が控え、それを確認した王はリサに親しげに話しかける。


「久しいな。5年振りといったところか。相も変わらず美しい容姿をしておる」

「ロリコンも大概にするっすよ。私はあんたと世間話しに来たわけじゃないんすよ」


国王の制止で大人しくしていた近衛だったが、リサの言葉を聞いた途端激昴し動いた─否、動いてしまった。


「貴様!陛下に対してなんというか口を!恥を知れ!」


言葉と共に持っていた剣でリサの頬を斬ろうとする近衛。おそらく脅しのつもりなのだろうが、彼女の前で剣を抜いたことに変わりはない。


「…死にたいんすか?」

「なっ…ば、ばかな!」


近衛が放った剣はリサの顔の横に出現した氷の壁によって阻まれた。

氷の壁は近衛の剣を受け止めると、すぐに液状化し今度は5本の剣となり近衛を貫いた。


仲間が目の前で殺されたことに怒り、近衛たちがリサに対して剣を構えるがまたも国王から止められ渋々剣を収める。


「すまんな。最近近衛を入れ替えたもので、お前さんを知らぬものばかりなのだ」

「別に気にしないっすよ。あ、それとうちにいた変なスパイも消したけど問題ないっすよね?」


リサの何気ない言葉に近衛たちの間に緊張が走る。

彼女のいう変なスパイとは、近衛の中でも単体での実力が抜きん出ており、隠形に特化した精鋭中の精鋭しか選ばれないRITの一人だ。

その実力は折り紙付きで一騎当千。たった10名しか存在しないとはいえ、数ある部隊の中で最高位に君臨するエリートたちなのだ。

それをまるで道端の石ころとしか思っていない発言に、近衛たちの背筋は凍る。

この女は一体何者なのか、と。


生唾を飲み込む近衛たちを無視して、国王と話し込むリサ。

その話題はとうとう本題に入る。

つまり国営技術開発局の局長の座に再び就きたいと。


「ふむ…私は一向に構わんが…なぜ急に?」


今まで何度頼み込んでも断り続けていた彼女が突然自分から“なりたい”と願い出るなど、アルゴネアが水不足になるレベルで信じ難いことだ。

誰であろうと不思議に思うだろう。


国王の問いかけに彼女は微かに微笑むと、フードをより深く被り少し照れたように言葉を発した。


「…弟ができたんすよ」


こうしてサンタルチアは世界でもトップレベルの技術力を手にした。

特に人体に関する技術は凄まじく、ホムンクルス生成でこの国の右に出るものはいなくなったという。

そして国営技術開発局局長はその後一切代替わりすることなく、その椅子に居座り続けた。

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