黒き災害

 ♢ルーシェ


「お、おいっ! 何だあれ!?」


 向かってくる魔物たちの様子に妙な違和感を覚え、しかしそれを一人で解決する事は難しく、気が晴れぬまま討伐し続ける事しばらく――誰かがそう声をあげた。


 その声に反応して視線を前方に転じると、視界に映ったのは黒い靄だった。

 数百メートルと充分な距離があるのにも関わらずその黒い靄は私たちが居る所まではっきりと視認出来、地響きを鳴らしながらゆっくりと近づいてくるのが分かる。


 500……400……300……それが近づくに連れて心臓の鼓動が速くなり、冷や汗が止まらない。


 200……100……50……ついに目の前までやって来たそれの全貌を見た瞬間、身体に悪寒が走るのと同時に思わず息を呑んで呼吸を忘れていた。


 黒い靄に覆われていて身体全体のシルエットはハッキリとは分からない。しかし靄から覗かせるクリッと丸い二つの紅いつぶらな瞳は、その愛くるしさとは裏腹に何も映さず濁っており、他の魔物の様に咆哮をあげる事なく唯々静かで、その所為か感情を一切読み取ることができず、それが逆に恐怖心を煽って来る。


 私自身、レベル70と冒険者で言うところのAランクに匹敵する実力は持っており、相手との実力の差を正確に把握する事ができると自負している。だからこそ――いや、きっとそうでなくとも此奴を目の当たりにした瞬間、誰もが理解するだろう――圧倒的な実力の差を。


 正に怪物――黒い怪物だ。


 今になって今回の事件の原因と魔物たちの様子が変である理由が理解できた。

 そう、すべてはこの黒い怪物が原因である。

 魔物たちが黒い怪物から逃げたが故に生じた魔物の大進行――それが今回の事件の答えだったのだ。


 しかし魔物たちが逃げ出すのも無理もない。何せ此奴はただの上位魔物ではない――。そう、此奴は――


「災害級ディザスター――!」


 災害級――それは、街や国を滅ぼす事が出来る程の強さを持つ上位魔物。中でも有名なのは、海神龍リヴァイアサン・地神龍リンドヴルム・天神龍バハムートの三匹で、纏めて《三神龍》と呼ばれており、過去の文献からもここ数百年は姿を現しておらず、最早御伽話だけに登場する伝説級の存在である。


 そんな伝説級と同じ災害級ディザスターが今、私の目の前にいる。


 私は――いや、私達はその目を背けたくなる様な現実から逃げるかのように他の魔物たちを殲滅していく。

 皮肉と言うべきか――幸いな事に、此度の件は魔物の大量発生の故に生じたものでは無い為、過去の文献に記されていた本来のスタンピードによる魔物の大群よりもその数は少なく、負傷者を出しながらも残すところ僅か数匹程となった。

 しかしそれは問題を引き延ばしにしただけ。魔物の数が減れば減る程、黒い怪物の対処と言う目下の問題が迫って来る。

 しかし――


「無理だ……」


 こんな怪物相手にどう戦えばいいと言うのだ? 

 正面からやり合えばいい――? 無理だ――そもそも武器を手に取ることすら無謀と言ってもいい。抵抗したところで結果は目に見えている。勝ち筋など有るわけない不可能だ。それこそ《六勇者》の様な英雄でない限り――。


 本能が今すぐ逃げろと警告している。


 しかし私の脚が地を離れる事はなかった――いや、出来なかった。それは守るべき民の事を思ってか、それとも恐怖故なのか、恐らくそのどちらもが正解だろう。


 黒い怪物は、そんな私達のことを道端の石程度にしか思っていないのか一切目もくれず、唯々破壊行動を繰り返していた。


 最早何もする事叶わず、気付けばとうとう私の真上に黒い怪物の脚が振り下ろされようとしていた。


「あ……」


 恐怖から眼を閉じた瞬間。視界が暗闇に包まれるかと思いきや、まるで走馬灯かの様にこれまでの思い出が浮かび上がってくる。


 幼い頃、よくお母様に本を読んでもらっていた。中でも姫を救う騎士の物語は大好きで、その出会いに憧れた私は城を抜け出しては街を散策したりしていた。そして最後にはメイドに見つかっては怒られて大泣きしてたっけ。でも結局は反省などして無くて次の日になったらまた同じ様に城を抜け出して、気付けばお転婆娘なんて呼ばれてたな。そう言えば妹もあの物語は好きだったなぁ―― 妹は元気にしているだろうか――あぁ、こんな事なら妹と共に行けば良かった――――――――――――――――――――――――――嫌だ――死にたくない――死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! ――誰か――だれか助けて!


「だれか……助けて……」


 その願いが届いたのか、いつまで経っても死が顔を覗かせる事はなかった。


 不思議に思い、恐る恐る眼を開けてみると視界に映ったのは、私に迫って来ていた黒い怪物の片脚を何か障壁の様な物で受け止める男の姿であった。


 それはまるで私が大好きな物語に出て来る騎士の様であった。

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