ヴァルシャ帝国編

逃走劇

「はぁ…はぁ…はぁ」


少女は翔ける。

タンタンタンと聞いていて心地の良いリズムを刻みながら。しかし、それは何処か焦りの様なモノも感じた。

その証拠に少女の息づかいは、今にも息切れしその場に倒れそうな荒く、そして苦しそうなモノだった。


「――――おねぇ……さま…」


少女は縋るように大好きな姉の名前を口にする。しかし此処に少女の姉は居ない。

少女は、たった一人でこの広い大地を駆けているのであった。





事の発端は、少女の父親が倒れてしまってからだった。

少女の父親は、親と呼ぶには三十後半とまだ若い方で、年寄りの様に腰が曲がっている事もなく、出歩く際にも杖を必要としない、いったて健康的な身体つきをしており、これまで一度も病気にかかった事のない存在だった。

しかし絶対なんて有り得ないという事か、少女の父親は急に倒れたのだ。それからの少女の父親の変わりようは酷いものだった。まるで昔話に出てくる、とある青年が絶対に開けてはならない箱を開けてしまい、一気に何十年も歳をとってしまったかのように、少女の父親の身体は、痩せ細くなってしまい、薬などを投与して何とか命を持ち堪えるのがやっとだった。

それからだ、少女の父親の部下たちが少女に向ける視線が変わったのは。勿論、今までと変わらず接してくれる者も少なからず居た。しかし、それ以外の者から感じる視線には、まるで少女を性的欲望では無く、何か別の―――そう、まるで少女少女を利用しようかの様なそう言った類の欲望があるような気がしてならなかった。少女の父親が倒れてから少女の住む家には、何か不穏な空気が流れていた。

そしてそれに気付いたのは少女だけで無く、少女の姉もまた、それに気づいたのだった。

それから数ヶ月の月日が経つと、その不穏な空気は次第に濃くなり、遂には隠せないほどになっていた。


「いい?―――。今すぐこの国を出て遠くへ逃げなさい」

「それならお姉様も一緒に!!」

「いいえ。わたしは、此処に残るわ。だってお父様たちが心配だもの」

「それならわたしも――」

「駄目よ!」

「お姉様―――!」

「いいからいう事を聞きなさい!」

「―――っ!?……はい…分かりました…」

「ふふ、いい子ね。いい?事が済むまで絶対に戻って来ては駄目よ」

「分かりました…」


少女とその姉は、まるで今生の別れかの様に互いに強く抱き締めあい、温もりを擦りつけあう。


「お姉様どうかご無事で…」


少女は抱擁を解くとそう一言だけ言い残し、故郷を去るべく駆け始めた。


その国は、一見平和そうに見えるが、その実、確かに何か良からぬ事が起こり始めようとしていた。



少女は駆ける。

駆け始めてからどのくらいだったのだろうか。もはや背を向けている方向に少女の故郷は映っていなかった。そうすると自然と悲しさが蘇り、少女の瞳から涙がこぼれ落ちる。

それでも決して背後を振り返らずに。例え、疲れて動けなくなろうともその脚は、前へ前へと進んで行く。それは、遠い東の大陸に向けて。


そして説に願う。だれか私たちをすくってくれるものが現れますようにと。



これは、アルスとリリムが百階層を攻略する為に強くなろうと迷宮に篭り始めてから、一年の月日が経った頃に起きた、アルカナ王国の隣国、ヴァルシャ帝国に住む、とある少女のちょっとした逃走劇。






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