Ep.102 ヒロイン退場

 ガッと、マリンちゃんの手が短剣の刃を掴んだ。まさか元庶民で戦闘訓練も受けていない彼女がそんな暴挙に出るとは思ってなかったんだろう。ライトが一瞬怯んだのを見て、マリンちゃんは血まみれになった手を軽く振った。


 ピッピッと地面に染み込む血に周りが驚くなか、当の本人は歪んだ笑みを浮かべる。


「ふんっ、私を捕まえたって無駄よ!指輪の暴走だかなんだか知らないけど、それを私が起こした証拠なんて無いし!大体学園の生徒を罪人として裁くには、退学にしてからじゃないといけないのよね?2種の魔力を持つ天才として特待入学した私を、どうやって退学にするつもりなのかしら?」


 その描写は確かにゲームでもあった話だ。実際そのルールの為に、エンディング後のフローラが裁かれるまでにもかなりの時間を要していた筈。

 とは言え、他国であるスプリングでこれだけ大規模な火事を起こし、各国の王族が集まる場で直接ミストラル王女である私に攻撃したのだから、今さら言い逃れなんて出来る訳もないのに。自分が犯した罪にも気づかず、何処までもここを現実と理解してない彼女の発言にうんざりしてしまう。


 女の子であるルビーとレインはおろか、ライトとフライまでドン引きして何も言えずに居るのをどう捉えたのか、自称ヒロインの彼女は饒舌に続けた。


「それに、もし私が捕まっちゃっても私には愛してくれるナイト様がたくさん居るんだから!彼等は皆それぞれの国の高位貴族よ?その跡取りである彼等に一気に居なくなられたら、困るのは他ならない王族よね!大体、特に王子様であるライトとフライとクォーツは、私を追い出したらその時点で未来は破滅なのよ?その頃になって謝ってすがりに来たって愛してやんないんだから!」


「ーー……訳がわからないけれど、その馴れ馴れしい呼び方を止めてくれないかな。僕の名前を呼び捨てて良い女の子はこの世界でただ一人、フローラだけだから」


「へっ!?」


 ライトの腕の中からフライに引っ張られて移動して、パチパチと目を瞬かせる。まさかフライがこんなこと言うなんて……。


「ふっ、ふん!どう騙されたのか知らないけど哀れよね!どんなに仲良くなろうがシナリオが多少ズレようがその女は必ず18歳で死ぬ運命なのに!!」


 ザワッと、皆の空気が変わった。庇うように私の前に出されていたライトの腕が震える。


「……今、何て言った?」


「聞こえなかったの!?その女は死ぬのよ。イノセント学院高等科の卒業と同時に、18歳で!それがこの世界にとって一番良い事なんだか……ら!!?」


 地面に突っ伏してる人の言葉とは思えないそのマリンちゃんの高笑いが止んだ。ライトが彼女の胸ぐらを掴んだからだ。


 彼女の血がついた短剣を近くの木に突き立ててから、ライトが両手でマリンちゃんの胸ぐらを掴んで無理矢理立ち上がらせる。


「てめぇ……今の言葉もういっぺん言ってみろ!!フローラが死ぬだと!?ふざけるな!」


「ひっ……!」


 後ろ姿だから、私達からライトの表情は見えない。でも、その震える肩から、喉が裂けてしまいそうな怒鳴り声から、彼のまとう空気からさえ、言い表せない程の怒りを感じた。


(ライトがあんな怒ってるの、初めて見た……)


 皆も驚いて居るんだろう。いつもならライトの暴走を真っ先に止めに入るクォーツは今居ないし、フライも唯唯あ然としている。そんな中声を張り上げたのはライトの専属執事であるフリードさんだった。


「……っ!殿下、なりません!どんな罪人であれ、まだ自国フェニックスの民です!!」


「……っ!くそっ……!」


 王族足るもの、無闇に民を傷つけてはならない。彼はそれを、ちゃんとわかっているから。

 フリードさんの真意をしっかり受け止めたライトが、マリンちゃんの身体を地面に下ろした。ほっ……と仲間からは安堵の息が漏れる中、再び地面に崩れたマリンちゃんだけが自分の首もとに手を当てて咳き込んでいる。

 ヒロインとは思えない怒りに満ちた目が、メインヒーローであるライトを捉えた。


「げほっ……!ふんっ!いくらでも怒ればいいわ。どうせ私を退学には出来ないし、フローラは破滅するの。この世界の運命シナリオが、そう決まってるのよ……!」


「ふぅん……、なら、その運命とやらをぶち壊してあげようか」


 緊迫した場には不釣り合いの、穏やかで柔らかい声が響いた。


「「「「クォーツ!!」」」」


「お兄様!お待ちしておりましたわ!」



 え、いつの間に来たの!?と驚く皆にいつも通りのほんわかな笑みを向けたクォーツが、マリンちゃんの前に屈んで一枚の書状を広げた。


「『この度、自治区であるフローレンス教会本部の火災、国家の管理下にある流通ゲートの破壊、並びに、ミストラル王女·フローラの暗殺未遂容疑にて、マリン·クロスフィードと彼女に懇意にしていた以下の男子生徒を退学とする』」


「なっ……!う、嘘よ……!」


「嘘じゃないよ?ほら、ここに学院長直々の証明印まで入ってる。教会本部が緊急時にしか使わないっていう学院に通じる空間転移魔方陣で学院に帰って、大急ぎで書いて貰ったんだ」


「じゃあクォーツ、調べたいことがあるって居なくなったのは……」


「そっ、彼女達の退学手続きをしてたんだ。せっかくここでフローラが勝っても、このまま彼女が学院に居座っていたんじゃ何されるかわかったもんじゃないでしょう?ライトもフライもフローラが絡むと肝心な所ポンコツだから」


 グサッと何かが名指しされた二人に刺さった気がするのは気のせいだろうか。この場でただ一人ニコニコしているクォーツがパンッと両手を鳴らす。


「はいっ、というわけで只今を持ってマリン嬢はイノセント学院の生徒である資格を失いましたので、君の身柄は拘束させてもらうね?さ、やっちゃって」


 どこに隠れていたのか、クォーツの合図で一斉に現れた兵士達がマリンちゃんを取り囲み拘束し、手首に重厚な手錠をかけた。


「お前、あれ魔法省の兵隊と魔封石の手錠じゃないか。いつの間に手配したんだ」


「ん?フローラが儀式に出るってなった時点で学院長から魔法省に連絡をして貰ってたんだよ。害虫っていうのは一匹でも取り逃すとまた増えるんだから、駆除する時は一気に根絶やしにしないと……ね?」


「~~っ!誰が害虫よ!この世界にとって害で!邪魔で!!排除されるべきなのはヒロインの私じゃなくてそこの横取り悪役王女フローラなのよ!何で私がゲームが始まるより前に学院を退学になんてなるの!!聖霊の巫女にだって、私の方がふさわしいんだからぁ!!!」


 辺りに響きわたるマリンちゃんの抗議。それを聞いてわざとらしく首を傾いだクォーツが、徐に私を引き寄せた。


「んー……それはもう無理じゃないかな」


「ーっ!何でよ!」


「だってフローラの瞳に混じったこの金色、聖霊王の加護を受けた証だし。それに……見てごらん?」


 クォーツに促され、全員の視線が私達が居た高台の下。住民が避難に集まった広場に向く。ぐっと腕を引かれた私が彼等から一番良く見える位置に立たされると、一気に歓声が上がった。


「フローラ様ーっ!!街を再生して下さりありがとうございますーっ!!」


「巫女様が降らせて下さった癒しの雨のお陰で死傷者も無く済みました!」


「新たな聖霊の巫女様万歳!!」


「「ばんざーいっ!!!」」


「え……っ、え、え!?な、え!?」


「へぇ……こりゃすごい。もうここまで崇められたら噂の火消しは無理だな」


「そんな呑気な……っ!一体どうなってるの!?」


「どうって、皆君が新たな聖霊の巫女としてこの街を再生したと感謝してるんだよ。避難所で保護されたキールとミリア嬢が、『フローラ様は一度道を間違え彼女を害した自分達を許し、闇に身体を蝕まれたミリア嬢の病を聖霊の加護を与えた浄化の水で治した女神がごとき慈悲深き女性だ。先程街を救った金色の雨もフローラ様のお力だ』って皆に語って回っていたからね」


「キール君達なんてことしてるのぉぉぉぉっ!!」


 バッと木の影に隠れて頭を抱えてしゃがみこむ。皆無事でなによりだけど、こんな事態は予想してなかったよ!?


「ま、そう言うわけだから、ご覧の通りもう既に多くの民がフローラが新たな聖霊の巫女となったことを知っている。この状況下で君が今さら聖霊の巫女の証である指輪を手に入れたら、皆はどう思うかな?」


「そっ、そんなの、フローラの本性をこれから皆にバラせば……っ」


「フローラの本性?初対面で大喧嘩したライトのかすり傷も本気で心配して、勝手に警戒して暴言吐いてたフライに怒りもしないで心を開くまで諦めず会いに行って、一方的な勘違いでいきなり切りかかってきたキール君も許しちゃって、しまいには自分を殺そうとした君の傷まで癒しちゃうような彼女に、どんな人に知られて困る本性があるって言うのかな?」


 至って穏やかに話しながら、ぽんとクォーツの手がマリンちゃんの肩に乗った。


「今回はまだ聞きたいこともあるから特別に魔法省の所有する塔での無期限の監禁で許してあげるけど、次フローラを傷つけたらその時は……もちろん命は無いからね?」


 内容は聞こえなかったけど、クォーツに囁かれたマリンちゃんの肩がビクッと跳ねた。


「……今、クォーツなんて言ったんだろう?」


「知らない方がいいと思うぜ……。あいつ、本気で怒らせたら血も涙もないからな。昔一度だけマジギレさせた時は本気で死ぬかと……!」


「ライト、やめようその話。思い出したくもない……!」


 二人の表情が本気で死んでいる……!これは触れない方がよさそうだ。


 一方のクォーツは、別に怒気をまとうでもなくいつも通りの笑顔で、マリンちゃんの肩から手を離した。


「さぁ、連れて行け」


「「「はっ!!」」」


「……っ、どうしてよぉぉぉぉぉっ!!!」


 クォーツの一声で、場に居た兵士が一斉にマリンちゃんの連行に取りかかる。

 怒りとも悲しみとも取れない叫びをひとつ残して、この世界のヒロイン……“マリン·クロスフィード”は、表舞台から退場していった。


(少し後味は悪いけど、処刑になるわけではなさそうだし……。皆も街の人達も、皆、無事で……良かっ…………)


 あ、あれ?

 未だに下から響いている歓声が、やっと一段落ついて雑談している皆の声が、水にでも入ったみたいに遠くなる。


「ーっ!フローラ!!」


 ぼやけた視界に駆け寄ってくる彼と仲間の姿を一瞬捉えたあと、意識を完全に手放した。



   ~Ep.102 ヒロイン退場~


   


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