Ep.89 諦めの悪い男
「大丈夫ですか?」
「え、えぇ、ありがとう」
そう言って、ひっくり返った私にキール君が右手を差し出す。お言葉に甘えて掴まらせてもらった彼の手は酷く冷たかった。夜の森は暗くて分かりにくいけど、よく見れば顔色も優れないように感じて……なんだか、嫌な予感がした。
「こんな時間にどうかなさいまして?」
「……実は、今夜はミリアの容態がいつも以上に思わしくなく、咳が止まらなくて苦しいようなのです。フローラ様から頂いた魔力水で少しは楽になるようなのですが、昼間に頂いた分は飲みきってしまいましたし。でもこのままじゃとても寝付けなさそうな彼女が見ていられなくて……そこで、追加で少しでも水を頂けないかと無礼を承知で馳せ参じました」
「ミリアちゃっ……さんが!?訳はわかりました、すぐに支度するから待ってて下さい!」
なるほど、だからこんな夜中にお連れも付けずに一人で私に会いに来たのか。
他に婚約者がいる男の子が、こんな夜中に一人で親しくもない女の子に会いに来るなんておかしいと言う違和感は、キール君の説明によって払拭された。
それより、今はミリアちゃんの具合が心配だ。昼間のお見舞いの時に渡した分だけじゃ少なかったかぁ。
とにかく急がなきゃと壁にかけておいた小さな鞄……と言っても、入ってるのはお母様にもらったお守りの石が入った巾着と懐中時計くらいだけど。を持って、塔から出て扉を閉める。時計の時刻は、11時45分だった。試練まであと15分だ。
「それで、ミリアさんは今どちらに?昼間にお会いした宿のお部屋?」
「今から宿まで来ていただくのでは試練の時間に間に合いませんので、この近くまでは連れてきて居るんです。ご案内します」
「こんな真っ暗な森のなかをたった一人で抜けてまで助けを呼びに来るなんて、キール君はミリアさんが本当に大好きなのね」
「ーっ!?ちょ、いきなり何を……うわっ!」
足早に先導してくれるキール君に置いていかれないようついていく。深夜の森は静かで、何となく沈黙が痛い。何か話題をと頭を捻って、出てきたのはそんな一言だった。
一気に耳まで赤くなったキール君が、地面にせり出していた木の根につまずいてずっこける。分かりやすいな……。
「い、いや、彼女とは元々幼馴染みでして、それこそ家族のような者で、そして……」
「そして?」
あたふたと紡がれる言い訳が、そこで一瞬途切れた。
小さく息をついたキール君のいつも涼しげな表情が、優しく綻ぶ。
「月並みな話でお恥ずかしいのですが、『そのままのキールが好き』だと、家族にも疎まれていた私の人生の中で初めて打算の無い好意をくれた……大切な人です。だからこそ……、本当は……他ならない自分の力で助けたいのに。他の誰かに……貴方に助けを求めるしか出来ない自分が、情けなくて仕方ない。それでも……彼女を失うなんて、耐えられない」
そう呟いたキール君がふと顔を上げたので、釣られてその視線の先を追う。彼が見てたのは、十六夜の塔の天辺だった。あそこにミリアちゃんを救える希望があることを、キール君も知ったのかもしれない。
「だったらやっぱり、聖霊の巫女の指輪は必須だよね!さっ、急ぎましょう。早く戻らなきゃ試練が始まってしまうわ!」
「ちょっ、フローラ様!?」
もどかしさを噛み潰してるような苦しい顔のキール君の背中を押しながら歩き出す。ぎょっとした顔になったキール君だけど、抵抗する気は無いのかそのまま再び歩き出した。
再び落ちた沈黙を、今度はキール君が破る。
「ーー……こちらから助けを求めておいてこんなことを聞くのも何なのですが、ひとつお尋ねしても?」
「もちろんいいわよ、なあに?」
「私達を助けても、フローラ様には何の利点も無いでしょう?聖霊の巫女の試練だって、皇女である貴方様には本来なら受ける必要の無いこと。更に言えば、恩を返そうにも私やミリアでは貴方の得になることなど出来やしない。なのに何故貴方はそんなにも、誰かの為に頑張れるのです?損しかないでしょうに。実際、貴方の額に出来た消えない火傷の痕も、ライト様を助けようとしてついたものでしょう?」
「へ?」
理由、理由かぁ……。考えたことなかったけど、強いて言うなら……。
「自分の為になるから……かな」
「え?……親しくもない人間を助けることがですか?」
「助ける相手は仲良しな人でも、そうじゃなくてもいいんだよ。ただね、悲しい顔をして困ってた人が、自分の差しのべた手で幸せに笑ってくれたら、こっちも幸せな気持ちになるから。……だから、私がみんなを助けるのも、ただの私の自己満足なの」
なんて、格好つけすぎたかな?と舌を出して笑う私をぽかんと見つめているキール君の手を、そっと両手で包んだ。
「私がミリアちゃんを助けるのは、ミリアちゃんに幸せになってほしい“私の為”なの。だから、別にその恩返しの為にキール君になにかをしてほしいなんて私思ってないよ。私だって、皆にいっぱい助けてもらってるもん。人間、頑張れるときと頑張れないときがあるんだから、頑張れないときには頑張れる人に助けてもらって良いんだよ」
頑張れないときに無理に頑張ろうとすると、却って壊れてしまうから。
「今は貴方たちが疲れちゃって頑張れない時なら、今頑張れる私が助けてあげる。だからキール君とミリアちゃんが元気になったら、その時は次に頑張れなくなっちゃってる他の誰かを助けてあげて?約束ね」
ぎゅっと握り締めたキール君の手が小さく震えている。重なった掌に、音もなく小さな雫が落ちた。
「ーー……はい、お約束します。……そして、お逃げ下さい!」
ポロポロと泣くキール君が、掠れた声でそう答えた直後。いきなり、キール君が私の背後の茂みに風の魔力を放った。
びゅうッと吹き抜けた鎌鼬の反動で舞い上がる自分の前髪を押さえて、同時にふとさっきの会話の違和感に気づく。五年生の時、フェニックスで誘拐事件に巻き込まれた私の額には確かに火傷の痕が残った。でもこの話は下手に知られると“他国の皇女を傷物にした”ライトの責任が問われちゃうからと内々に処理されて、ライトと私と、お互いの両親しか知らない。なのに何故、全く無関係の筈のキール君がその事を知っているの?
そう気づいた瞬間、キール君の魔力で切り裂かれて舞い散った葉っぱの影に一人の男が降り立った。余韻で吹き抜ける風に、アクアマリン教会の紋章が刺繍されたローブが揺れる。その男の顔に、確かに見覚えがあった。
「おっと、やっぱり半端に良心が残る子供は駄目ですねぇ。婚約者の命惜しさにここまでおびき寄せておきながら、今さらお姫様を逃がそうとするとは!」
「ぐぁっ……!」
「キール君!!!」
男がひと振りした漆黒の杖から放たれた氷がキール君のお腹に直撃して、近くの木の幹に叩きつけられた。倒れそうになったその身体を咄嗟に支えて、振り返る。
そうか、もう一人居た。私のこの傷について知ってる人。それは、この傷を私につけた……あの日、私とライトを襲ってきた人間だ!
「貴方、まだあきらめて無かったのね……!」
「おや、覚えていて頂けたとは光栄です、フローラ皇女。またお会いできて嬉しいです、そして、もう二度と逃がしませんよ!!!」
ザァッと吹き抜けた強風に、男のローブのフードが脱げる。
あの事件の夜と同じ、男の銀色の瞳が怪しく光った。
~Ep.89 諦めの悪い男~
『悪夢はまだまだ、終わらない』
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